第9話 郵便ポスト

 次の日、天音さんが病欠で休んだ。風邪を引いたらしい。

 昨日の騒動は、津田君もあまり教えてくれなかったから良く分かっていない。

 分かっているのは、二人が雨に打たれたってこと。それだけ。

 津田君は休み時間が終わったら教室に戻ってきたけど、天音さんは放課後まで帰ってこなかった。私が帰宅する時にも、天音さんの靴が靴棚に並んでいたから、学校にはいたんだと思う。きっと、雨の中ずっと屋上にいたんだろうなぁ。


 そりゃ風邪ひくよね。

 一時限目の授業が終わって目が覚めると、霧島先生が私の机に近寄り、軽く机を叩いた。

「起きなさい、高梨」

「あ……オハヨウゴザイマス」

「そう警戒するな。一つ、頼まれてほしいことがあるんだ」

 先生はそう言って、私にプリントが数枚入った大きな茶封筒を差し出してくる。何だこれ。

「これを天音の家に届けてほしい。いつでも良いが、今日中が望ましい」

「私、天音さんの家の場所知りません」

「なら住所は教えよう。それが分かればスマホで検索できるだろう」

「出来ますけど、それって良いんですか? 個人情報的に」

「特例だ」

 イタズラっ子みたいに笑い、内緒だぞという風に指を口に当てる。

「先生って、そんな感じで話すんですね」

「失敬な。私が日頃から乱暴な奴だとでも思ったか? 私はあくまで、限度を超えた馬鹿を指導する時だけだぞ。手を出すのは」

 うん。それは分かってる。でも、だからこそ怖いというか、良くないというか……。


 私、一時限目、完全に寝てたんだけど。

「先生にとって居眠りはまだ限度を超えはしないということでしょうか……?」

「いや、頻度が高くなれば指導対象になるが、私も鬼ではない。眠気は生理現象でもあるからな。多少は目をつぶっている。どうせ、高梨なら授業を効かなくても成績に支障も出るまい」

「あはは……」

 なんでか知らないけど、霧島先生からの評価が高い。それは期待なのだろうか。それとも、釘を打ったのだろうか。

 勉強は好きだ。答えを覚えればいい。公式を覚えればいい。歴史を暗記すればいい。

 私にとっては、簡単なことだから、恵まれているのかな。分からないけど。

「まぁ、そういうことなら有難く見逃してもらいますね! ちょっと昨日は夜更かししちゃって、眠かったので!」

「夜更かしは感心しないが、まぁ楽しいからな。だが、程々にしておけよ? 天音みたいに、体調不良にも繋がるからな」

「はーい」

 先生が教室を出る。少し疲れちゃった。


「高梨さん、先生に気に入られてるみたいだね……」

 後ろの席で津田君が話しかけてくる。津田君もびしょびしょだったのに、風邪もひかずに登校しているあたり、男の子って感じがする。

 あと、真面目って感じ。

「私は真面目ちゃんだからね! 仕方ないね!」

「そうなのかな……?」

 少し疑問形で返ってきた。津田君って意外とはっきり物を言うタイプだな。その方が私は好きだよ。

「津田君って案外はっきりと言える人なんだね~」

「あ、ごめん……怒らせちゃった?」

「ううん? 好きだよ、そういう人」

 へへって笑いかけると、津田君の顔が少し赤くなった。可愛いなコイツ。

「津田君も行く? 天音さんの家」

 先生から渡された茶封筒をひらひらと津田君に見せる。すると、津田君はすぐに首を横に振った。

「僕は遠慮するよ。お、女の子の家に行くのは、緊張するというか……」

「ふ~ん。私の家には来たくせに」

「あれは……ノーカンで……」

 さらに赤くなりながら、次の授業の準備を始めた。面白いなぁ。

「おっけー。じゃあ、今日は私だけで行くね!」

「うん。気を付けてね」

「あいあい~」

 それで会話は終わり。ちょっと疲れが取れた気がした。


 ☆


 お昼休みまで熟睡したら、随分体調が良くなった。元々悪かったわけじゃないけど、やはり生き物には睡眠だけが癒しをくれるのかもしれない。学会に出したら褒められるかな。いや無理か。こんなこと、すでに誰かが出してるに違いない。

「よーし、待ちに待ったお昼ご飯だー!」

 鞄からコンビニで買ったカレーパンと牛乳を取り出し、勢いよく後ろの席に振り向いた。

 そして、その席にドンとカレーパンと牛乳を置く。

「な、何!?」

 当然、席の持ち主は驚いていた。

「一緒に食べようよ! 天音さんいないから、1人で食べるのもつまらないし!」

「え、僕は学食で食べようかと……」

「え~寂しいなぁぁぁぁ!」

「えぇ……」

 少し困った顔をしてから、財布を片手に教室を出ていった。

 数分後、購買で買ったお弁当を持って津田君が帰ってきた。

「お待たせ」

「津田君……嫌な時はちゃんと断りなよ?」

 まさか戻って来ると思わなかったから、もうカレーパンを齧ってた。うまうま。

「まぁ、嫌ではないから……」

 ボソボソと何かを言いながら、市販の弁当の蓋を外し、ハンバーグ弁当が露わになる。学食の物は、いかにもコンビニの弁当のような容器に入っているものの、ちょうどよい温かさにされて売られているから、美味しそうな湯気が立ち上るのだ。

 あぁ、美味しそうだな。でも、学食って人がいっぱいいて並ばないといけないから面倒なんだよなぁ。

「美味しそうだね、そのハンバーグ弁当」

「うん。この学食の肉料理は人気なんだ。肉野菜炒めとか、とんかつとか」

「そりゃ毎回人がごったがえすわけだね」

 冷たいカレーパンをぬるい牛乳で流し込む。カレーパンも牛乳も同じ温度なはずなのに、どっちにも微妙な温度だ。

「少し食べてみる?」

「え、いいの?」

 津田君が、割り箸でハンバーグを少し分けてくれた。多くは無いけど、私の一口だとかなり満足な大きさだ。

「ほら、温かいうちに」

 そのまま箸で持ち上げ、私に向けてくる。

 それを食べろってこと? あ~んじゃない?

「それ、そのまま食べろってことで言いの?」

「え? あ……その……!」

 私の発言でやっと気付いたのか、津田君は一瞬で顔を赤くしながら、弁当の蓋にハンバーグを置いてくれた。

「だよね、やっぱり」

 蓋に乗せられたハンバーグを指でつまんで食べた。普通にコンビニで買うようなハンバーグより遥かに美味しい。学食のおばちゃんの料理の腕前を見せつけられたよ。

「津田君って、女の子に耐性ないみたいなのに、たまに凄い女の子の扱い出来るよね。実はモテモテ?」

「い、いや!? そんなこと、ないよ……」

 恥ずかしそうにお茶を飲みながら、目を泳がせた。

「妹がいるから、たまに出ちゃうんだ……そういうのが」

「へぇ、なるほどね~」

 振る舞いからして、少し年の離れた妹さんがいるのかな? いいなぁ、私は一人っ子だから羨ましいや。

「今度妹ちゃんもうちに連れておいでよ! 美味しいデザート御馳走するから! お父さんが!」

「それは妹も喜ぶよ。伝えておくね」

 まだ赤みが残りながらも、津田君も弁当を食べ始めた。



「ちょっと良いかな?」

 カレーパンを食べ終わった頃、聞きなれない声がして振り返る。

 そこにいたのは、クラスメートではない見知らぬ男子生徒らだった。

「えと、誰ですか? 七人も大所帯で」

「ううん。特に用ってことではないんだけどさ」

 七人の男子生徒は、みんな顔や腕に傷を負い、絆創膏や包帯をつけていた。集団で転んだりでもしたのだろうか。さてはこの人達……仲良しかな?

「このクラスに、金髪で長髪の女の子、いるよね? ちょっと乱暴な」

 猪川さんのことか。

「いますよ」

「どこにいる?」

 話しかけてきた人は、凄く優しそうな顔をしていた。後ろの六人は、どこか警戒した表情を浮かべ、何かを探しているようにも見える。

「どこにいるかは知りません。今日、学校に来てないし」

「机はどれだい?」

 特に考えず、猪川さんの席を指さした。

「そこです」

「おぉ、ありがとう」

 男は小さく会釈をし、ポケットから取り出した手紙を猪川さんの机に入れ込んだ。

「手紙ですか?」

「うん。ちょっとね」

 笑顔のまま答える男の声は、胃の中で落ちくぼんでいく感触がした。優しい口調のはずなのに、赤ちゃんとか泣きそうな雰囲気だ。変な感じ。

「あと、もう一つだけ聞いても良いかな?」

「何でしょう?」

「このクラスだとは思うんだけど、敬語を使う正義感の強い女の子がいないかな?」

 男が笑顔のまま聞いた。

 天音さんのことだ。

「その子はどこの席かな?」

「さぁ、分かりません。キャラが薄い人を中々覚えられないんですよ」

 適当にごまかそう。猪川さんを探す集団に、良い感触が無い。あまり関わらないで済む方向で行こう。てか猪川さんの席を教えたのにお礼のお菓子とかもくれないケチな人達だし。

「クラスメートのことも分からないの?」

「なんせまだ高校生活数日ですから」

「…………そう、それは仕方ないね」

 男は渋々納得したようで、それ以上聞いては来なかった。

「僕はすぐ覚えるんだ。人のこと」

 そう言い残し、教室を出ていく。その男についていくように、他の男も教室を出ていった。


「高梨さん……よくあんな集団に囲まれて平気で話が出来たね」

「まぁ、いきなり殴っては来ないと思ったし」

 少し残った牛乳を飲み干した。

「それに私、誰だろうと思考より先に口が動いてるんだよね」

「あぁ、そういえばそういう人だったね」

 何を納得しとんじゃ。否定してよそこは。

「僕は怖くて、何も話せなかったよ……」

「まぁ、あの圧力は誰だって怖いよ」

 特に後ろにいた、面々は機嫌が悪そうだったしさ。

「それにしても、誰なんだろ。猪川さんと天音さんを探すなんて」

「さっきの人たち、きっと昨日の屋上で猪川さんに殴られてた人たちだと思う……。天音さんが仲裁に入った喧嘩の、猪川さんの相手側の人たちだったはずだよ。遠目で、顔は見てたから間違いないとは思うけど」

「そんな人が探してるの、あんまり良くないよね」

 猪川さんを探すのは分かる。

 でも、天音さんはなぜ?


「よし、津田君。私は早退することにするよ」

「え?」

 呆ける津田君を他所に、教科書を適当に鞄に詰め込み、先生から受け取った茶封筒も押し込んだ。

「早退って、授業は!?」

「受けずに帰るのが早退でしょ?」

「それはそうだけど……」

 心配そうな表情。津田君は本当に私が怒られたりすることを心配してるんだろう。優しいね。

「大丈夫。今度のテストでも良い点とるし」

 これだけで授業の居眠りを笑顔で許してくれるのだ。一回くらい、早退も許してくれるだろう。

「じゃあね、ハンバーグ美味しかったよ! ありがとね!」

「ちょ、高梨さん!?」

 津田君の声に背を向け、教室を出た。


 靴箱で猪川さんに会った。今来たのだろう、靴を上履きに履き替えていた。

「おはよう」

「……おう」

 返事はしてくれた。猪川さんはそれ以外に何も言わず、そのまま教室へ向かっていった。

 あの手紙に気付くだろうか。何が書いてあるのだろうか。

 それを見た猪川さんは、また怒るのだろうか。


 天音さんのいない所で、また喧嘩するのかな。

「難しいねぇ、平和って」

 靴を履き替えるために自分の靴棚に手を伸ばす。


 そこには、一通の手紙が入っていた。宛名は無い。ただ『天音結衣様へ』とだけ書いてあった。

 まさか、ラブレターを入れようと思って、間違えて私の靴箱に入れたのだろうか。とんだせっかちもいたものだ。

 だが、このラブレターの主は運が良い。私が直々に、天音さんの家に持って行ってあげよう。

 

 ちょっと楽しみになりながら、手紙を鞄に入れる。早く天音さんの家に行きたいな。


 この時の私は、学校から早退して気分も上がっていた。

 だから、このラブレターの便箋と、猪川さんへの手紙の便箋が同じものだと、全く気が付けなかった。

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