ねこのつめ(彼の足元には屍体が埋まっている 番外編)
おっすおっす、キュートレディなワシは今年で二十歳である。
なんとお酒が解禁したのだ。
いえーい、ぱちぱち。
しかし、残念なことにワシの家系は代々チョー下戸である。
ママ上もパパ上もお酒に弱くて、缶ビール一本で顔が茹で蛸のように赤く染まり、呂律が怪しくなってしまう。
その為、ワシは大学の友人との付き合いの場でアルコールの類は頼まなかった。
もっぱら介抱担当である。
飲み過ぎてテンションが臨界点突破した同級生らの後始末がワシの役割だ。
酔っぱらいの付き添いで警官に囲まれたことも数しれずである。
しかし、不思議と嫌な気持ちにはならない。
人間関係が極端に閉鎖的だった中学時代の反動なのか、大学に入ってからは他人の世話を焼くのがそれなりに楽しかった。
今のワシの心の余裕は、苦しかった受験を乗り越えて、美術大学という自分の好きな分野についてトコトン突き詰めて学べる環境にいることが大きいのかもしれない。
四月の朝風は柔らかくて、春の温もりを宿す空気がふわふわと羽毛で擽るように頬を撫でてゆく。
ワシはデッサン用鉛筆や折り畳みイーゼルを詰めたカバンを片手に最寄りの公園に来ていた。
ブランコ、ジャングルジム、鉄棒という三つの遊具が存在する小さな公園だ。
赤茶色く錆びて年季の入った人工物は、桜が花開く木々の美しさを損なわないようにそっと佇んでいる。
風に吹かれた桜がパラパラと落ちて、地面いっぱいに白い花弁が敷かれていた。
「オアアアアア!?」
ワシは木製のベンチに座って優雅にスケッチをしようとして、悲鳴を上げる。
ベンチの上で仰向きに倒れた香色の長髪の女性がいた。
苦しそうに眉根を寄せる顔には、一枚の白い花弁が張りついている。
雪のように真っ白いワンピースから、しなやかな四肢が地面に向かいだらんと垂れていた。
重たいカバンを地面に下ろしてから、女性に声をかける。
「も、ももも、もしもーし……生きてますかー……?」
ワシはベンチからずり落ちた女性の右腕をちょんちょんと人差し指でつっついた。
「……う、ぅ、うう、……ぁ?」
むずがるように身体を揺らして、唸り声を上げながら女性は目を覚ます。
とろんとした目つきで、ワシをじいっと見つめてくる。
女性は何度か瞬きを繰り返して、それから下唇を隠してにっこりと笑う。
天然純度100パーセントの笑顔を向けられて、同性ながらドキリとした。
女性は白魚のような両手を間延びしたような感じにヒラヒラと振る。
ワシが振り返すと、獲物を捕える蛇の如き敏捷さで手首を掴まれて、そのまま力強く引き寄せられた。
ぽにょん、と。
顔面がふわふわとしたもので押し潰される。
それが女性に押し当てられたおっぱいであると理解するのに、さほど時間はかからなかった。
優しい感触はミルクのような甘い香りがする。
子が母を求めるような原初的な甘えたい欲求を刺激されて、思考回路がどろどろに蕩かされていく。
なんだか、おかしな気分になってきた。
「まだ、ねるのー……」
「あああああぁあのあのあののののののの」
「ん、んー、なぁーにー」
「はなはなはなはなはなはなはな」
「んぅ、うるさいー……よしよし、どうしたのー?」
女性の声はアルコールを吸ったみたいに上擦っている。
本物の子供を甘やかすような優しい手つきで、頭を撫でられた。
「いい子ねー、いいこ、いいこ」
「はなしてくださいぃいいいい!ウオオオオアアーッ!彼氏いない歴イコール年齢のワシはおかしな扉を開けてしまいますぅううううう」
ワシは絶叫する。
あと少しで性癖が壊れてしまいそうなところで、女性のおっぱいから開放された。
魔性のふわふわだった……恐ろしいぜ。
開きかけたおかしな扉を頭の奥底に沈めていると、女性は身体を起こした。
「あう、はーちゃん?変なはーちゃんだなー?」
寝起きが悪いのか、女性の眠そうな顔がメトロノームのようにゆらゆらと左右に揺れていた。
こやつ、さてはワシを誰かと勘違いしているな。
「へい、お姉様、ワシは、はーちゃんなる者じゃないっす。マイネームイズ楽々浦純那(ささうらじゅんな)。本名と一文字もかすっておりません」
「……む?むむ、むむ」
「ワシ、マイネームイズ楽々浦」
「あー!?はーちゃん、じゃっ、ない!?」
女性はショックビック大とばかりに仰け反る。
お前は誰だとばかりにワシを人差し指でズビシッと指さすのも忘れずに。
「おーいえす。ところで、お姉様はさ、どうし、」
「咲璃さんッ!」
ワシの質問を遮るように男の人の声がした。
女性は一点方向を見つめて、へにゃりと頬を緩ませる。
「はーちゃんっ!はーちゃんだ!はーちゃん、はーちゃん!どこいっていたのー!にゃー!」
視線の先に目をやると、右頬がガーゼで覆われた学ラン制服を着た男の子がいた。
憔悴しきった暗く淀んだ目をしている。
「アンタは一体誰ですか?」
強ばった声、男の子はこちらに歩を進めてきた。
ただ、ワシを射貫く瞳に敵意はない。
多分、意識しないうちに他人を追い詰められる人間なだけなのだろう。
そのことを特別に悔いたことはない、きっとまだない。
ワシはそういう欠陥を抱えた人間を見抜くのが昔からそれなりに得意だった。
男の子の香色の髪が、春風に揺れる。
「……まあ、いいか。別に答えなくてもいいです。アンタのことなんてどうでもいい」
「は、はぁ……さいでっか」
猜疑心に満ちたキツく陰った目つき。
目の前の未成年は、他者に向ける言葉一つすら刃物のように尖らせる必要があるのだろうか。
機嫌が悪いのだなあ、と冷静に思った。
ワシは仮にも成人女性で大人のオンナなのだ。
年上にトサカを立てるような若気の至りに呆れはするものの、いちいち腹を立てたりはしない。
さっきまでワシにじゃれついていた女性は、今ではメンがヘラってそうな男の子に抱っこをせがんでいる。
中々に節操がないレディだった。
「ああもう!心配しましたよ。昨夜から帰って来なくて、どこで寝ていたんですか?襲われてませんか?」
「にゃふふふふふ!はーちゃんが慌ててるー!おもしろーい!それはぁ、ひみつー、ひみつー、ひみつのアッコちゃんなのよー」
抱きしめられて甘えた声を上げる女性と、女性を横取りされたら相手を殺してしまいそうな雰囲気の男の子は、二人だけの世界を築いている。
ワシは自分の荷物を抱えて、抜き足差し足忍び足で公園を後にした。
中々にルナティックなラバーズである。
……口直しにコンビニでコーヒーでも買おう。
▼ E N D
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