第1話 死神の世界

 目をこれでもかと見開いて、荒い呼吸を何とか整えようとする。

 全身は汗だくになっており、不快感を覚えた。

 しばらくそうして呼吸が落ち着いてきた頃、さっきいた所とは全く違う所にいることに気づく。

 照明は明るく、木のような材質の天井は近く、小さな部屋らしい部屋に、ベッドに寝かされていた。

 ここは、どこなんだ。

 上半身を起こしてぼぅっとしてると、突然、扉のノックする音が聞こえた。

 一気に体が強張る。心なしか再び息が荒くなってるような感覚になる。

 一体誰が来るんだと、警戒していると扉が開かれる。

「はよー。今日はもう起きていたんだな。ほい、替えの服とタオル。さっさと拭いて着替えろよ。オマエはすぐ風邪引くんだからさ」

 隣に来て、服とタオルを差し出される。それでもなお理解出来ず、それをじっと見ていると。

「オマエ、今日もまたちゃんと寝れてない、のか?あんまり無理すんなよー。着替え出来るか?…………なんなら、手伝うが」

 最後は何故か言い淀むような言い方が気になったが、それよりも誰かに着替えさせて貰うのはかなりの嫌悪感があった。

 そうと思ったら、差し出された着替えとタオルを半ば引ったくるように奪い取ると、相手はため息を吐いていた。

「分かった分かった。じゃあ、オレは出ていくからな、さっさと着替えろよ」

 相手が部屋から出ていくのをどことなく見て、完全に姿が見えなくなると、やっと緊張がほどけ、その頃合いで目が覚めてきて、さっき来た相手とここがどこなのか思い出してきた。

 この家に住む者で、名はヒュウガ。銀髪と紅い瞳の、この世界ではごく普通の特徴を持っている。

 この世界──死神の世界と呼ばれる世界は地底にあり、だから空は常に暗く、血のように紅い月が浮かんでいる。

 この世界の者は死者から生まれているらしい。そして、髪色が銀、瞳の色が紅く、死神の象徴である大きな鎌を持つ。その鎌は人によって違うという。

 その大鎌を授かる儀式があるのだという。十三歳になると、この世界を支配する者の屋敷に訪れ、その者の前にある魔法陣の上で、これもまた人によって違う呪文を唱え、大鎌を召喚することが出来たら、無事、死神として扱われ、人間界に行き寿命になる人間の魂を狩る使命が与えられるという。

 これら全て、ヒュウガから聞いた─というより、勝手に話していた─この世界の仕組みなのだが、自分にとっては関係ないと思って、聞き流していた。

 どこから来たのか分からず、この家の近くにある"血の湖"と呼ばれる前で倒れていて、保護され、そのまま居候になり、"何か"に怯えているせいで、ほぼ引きこもり生活をしていて儀式を行っていない半死神の自分なんか。

 その思考を遮るかのように汗ばんだ服を脱ぎ始めた。

 服を脱いで真っ先に目についてしまうのが、右手の甲から腕にかけて刻まれた"刻印"。腕全体に禍々しく黒く刻まれた刻印を見る度に、途切れ途切れの記憶を思い出すのだ。

 ──簡素な椅子に動けないように縛り付けられ、怯え泣いているのを気にもせず、周囲には多数の人から罵詈雑言を浴びせられる中、熱した棒を腕に当てられる度に煩い悲鳴を聞きたくない為に封じられた口からくぐもった声を上げる姿が。

 何故、刻まれたのかが未だに分からなかった。が、きっと、この髪のせいだろう。

 もみ上げの先をつまむように触る。

 銀髪ともみ上げ部分は黒い、死神の特徴ではない、自分にしか無い目立った特徴。

 "災いの髪"。誰かがそう口にし、良くない感情を向けられた。「触ったら、呪われる」とも。

 だからなのか、寝ると悪夢を見てうなされ常に寝不足、その上、よく熱を出してうなされることもある。

 病弱なのかと思ったりもしたが、ヒュウガ曰く、死神だから人間のように熱は出さないと。

 それで思ったのだ。この髪のせいでこうなってしまったのだと。

 刻印は罪の証。

 身体中についている無数の傷も恐らく、自分が生きていること自体罪だから、その罰としてつけられたのだろう。

 体を拭く手が止まる。


 ─オレは、生きている意味はある?


 そう疑問になったとして、いざ自分のことを傷つけようとしても死ねない。死神は死ねないのだ。

 この不老不死とも言える体に、この先も一体どれだけ苦しまなくてはならないんだろうか。

 どうして自分だけがこんな目に。

 無意識にタオルを持つ手が痛い程強く握っていた。

 顔には出ていなかったが、今怒っているんだなとどこか他人事のように思っていた時。

 コンコン、と扉が叩かれる。

 すぐに扉の方を向いた。

「まだなのか?やっぱり、ダルいのか?」

 扉越しでくぐもったヒュウガの声が聞こえた。

 ヒュウガは、かなりが付く程のおせっかいで、つくづく鬱陶しく思っていた。

 それに反抗するかのように、さっさと拭いて、替えの服に着替え、ベッド横に置いてあるブーツを履いて、部屋を出ていった。


 部屋の近くに座っているヒュウガと目が合った。

「クロサキ。本当に大丈夫なのか?今日は一日横になってた方がいいんじゃねーのか?」

 心配そうに眉を下げているヒュウガには返答もせず、踵を返して、玄関の方へ足を向ける。

「なんだ?外でも行くのか?気を付けてな」

 その言葉を背中で聞いて、玄関の扉を開いた。

 外に出てすぐに目に映るのは、"血の湖"。

 面積はこの世界の半分以上占めており、どこからでもその湖を見渡すことが出来る。

 その名の通り、血のように赤黒く、数多の人の流した血なのかと思うぐらいリアルな色合いだった。

 そんな湖を見ても何にも面白くないが、クロサキはこの目の前に座って見る時があった。

 つい最近まで外に出ようとはせず、ほぼベッドの上で眠気と闘っていた生活だった。

 しかし、眠気に勝てる訳でもなく、知らぬ間に寝てしまい、うなされていると大体はヒュウガがすぐに起こしに来るのだが、クロサキにとってそれはしても欲しくない、いわば余計なお世話なことで、それから逃げる為に、気晴らしの為に、この湖を見るのを口実に外に出始めた。

 それに、人が滅多に来ることが無くなったので、ちょうど良かった。

 何にも考えず、周りの音を聞いてみても辺りは何にも音がしない。無音。

 自分以外に誰にもいないというのが心地よいはずなのに、わずかに悲しさと寂しさが入り交じったものになり、さりげなく胸辺りを押さえて何も気づかないフリをしていた。

 どうせ、そのことを考えても記憶の無い自分には答えが見つからないのだから。

 静かに揺らめく水面をじっと見つめる。

 そうしているうちに、瞼が重たく感じた。無理もない。常に寝不足なのだから眠気が襲ってきたのだろう。

 起きたら忘れてしまう夢だが、毎回汗だくなるぐらいの悪い夢だけなのは分かる。だから、寝てはいけないと思い、抗おうとしていた。しかし、抵抗も虚しく、一度目を閉じたら最後、暗闇の底に堕ちるが如く、簡単に意識を手放した。


「──っ!───!」

 遥か遠くの方で何かが聞こえる。誰か呼んでいるのか。まさか、自分のことを?

 そんなはずがない。名を呼び合う程の親しい間柄はいない。"クロサキ"という名を呼ぶことさえおぞましいと思われ、呼ばれことがない。それ以前に"クロサキ"という名は本当に自分の名前なのかどうかさえ確証が持てない。

 それよりも、この上手く呼吸が出来ない状況はなんだ。まるで、誰かに首を絞められているような。いや、実際に首を絞められているようだ。首に誰かの手の感触と圧迫感がある。

 どうしてこんな状況になった。

 とりあえず、その手を退けようと手を掴もうとしたが、絞めている片手が空いたかと思った瞬間、頬に衝撃が走った。

 殴られた、と自覚した途端に痛みと口の中に味わいたくもない味が広がり、さらに苦しめられた。

 目は開いてるはずなのに視界は暗く、何故という疑問と不安感は増す一方。

 もがいてももがかなくても絞めてくる手は緩まない。

 そのうち意識が朦朧としてくる。

 力が入らなくなってくる。

 このまま、死ぬのか。

 死ねないというのにそんなことを思ってしまう。

 目を閉じて、されるがままになっていると。


 暗転。


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