胸騒ぎとペンダント


 玄関前の鏡で身だしなみを確認すると、マントの隙間から覗く高等魔術師のペンダントが胸元でキラリと輝いた。

 どうせ移動で髪は乱れるだろう。適当に結んで到着してから整えばいいか。私はベルさん作のブーツの踵を鳴らして歩き始めた。


「…あの貴族に薬作って渡せばよかったじゃねーか。お前が出向いてやる必要はなかっただろ」


 いざ玄関の扉を開けると、待ち伏せしていたテオがムスッとした顔で文句を言ってきた。

 またあんたはお見送りのために仕事半休取って来たのか。


「どんな症状かわからないの。実際に患者を診なきゃどの薬を作ればいいか判断つかないでしょうが」


 私は医者じゃないから診ても病気はわからんかもしれんが、無難な薬や栄養剤を飲ませて様子を診るってことは出来るので、その方向でいくつもりだ。

 テオは私が他国へ出張することに反対の体を見せているが、きつく引き止めないのはあのシャウマン氏のお母さんの命が危ないと聞かされたからであろう。

 微妙に渋っているのは相手が貴族の子息なので、なにか悪いことに巻き込まれないか心配しているのだろうな。


『落ち着け、私がついてる。なにかあればあの青二才を喰ってやる』


 上の方から降ってきた声にテオが顔を上げると、そこにはドラゴン姿に戻ったルルがグルグル喉を鳴らしていた。

 にやりと笑ったルルの口元から鋭い牙が覗く。


『犬っころは村で大人しく待っていろ』

「だから犬じゃねーって。…つーか、なんか胸騒ぎするんだよ。あの貴族の野郎がどうとかじゃなくて……別の、何か起きるんじゃねーかって」


 テオはなんて言っていいかわからない不安を感じているのだという。彼の獣耳と尻尾が力無くへたってしまっている。

 野生の勘か、それは。

 ……まぁ確かに他国の貴族が隣国の平民出身の魔術師に助けを求めるんだもんな。私が身分登録している魔術師機関を介してとかではなく、直接契約と来た。

 シュバルツの医療、魔法魔術レベルは我が国とそう差はないはず。それなのにどの医師に診せても救えないという、謎の病にかかった貴族夫人。…不穏だよね。


 私は自分の首にかかった細い鎖のペンダントを片方抜き取る。それをテオに差し出すと奴は目を丸くして私とそれを見比べていた。


「あげる。こっちは必要ないから」


 渡したのは上級魔術師のペンダントだ。高等魔術師になった今、それはもう使えない。不要というわけじゃないけど、身分証明には使えないから。


「俺に…?」

「ハロルドに中級魔術師のペンダントあげた時羨ましそうに見ていたでしょ?」


 欲しかったんじゃないの? と私が首を傾げると、テオは戸惑っていた。

 獣人は魔法魔術とは無縁だ。私が操っている姿を見て憧れを抱いたんじゃないかなと思ったけど、違うのか?

 

「いや、そっちじゃなくて…」

「これを開くと方位磁針になってるの、私の努力の結晶なんだから大事にしてよね」


 私は大丈夫。そんな不安そうな顔しないでよ。らしくない。これあげるから元気だしなよ。

 テオの手のひらに無理やりペンダントを乗せると、テオはそれを両手で支えるように持ってぼんやりしていた。

 嬉しかろう。飛び跳ねて喜んでもいいんだよ。


「おっと、もうそろそろ行かなきゃ。じゃあね、いってきます」

「あっ、デイジー!」


 いつまでもここで油を売っている暇はない。なんかテオが呼び止めていたけど、私はルルの背中に乗って一気に上昇した。ルルの翼の力であっという間に村を離れて、隣国に向かって飛んでいった。

 シュバルツ国境付近で一旦降りて入国審査した後は一気にシャウマン氏の領までひとっ飛びの予定である。



■□■



 私は先に頼まれていた仕事を終えてなるべく早めに村を出発していたのだが、シュバルツ王国シャウマン伯爵邸であるお屋敷に到着したのは依頼主が戻ってくる前だった。

 …馬車の旅ってこんな時間かかるものだったっけ?


 シャウマン伯爵家の門を叩いて、用件と身分を明かすと、シャウマン伯爵家執事の初老男性とメイド数名が慌てふためいた様子でお出迎えしてくれた。

 さすが貴族様のお屋敷だ、ムダに広い。綺麗に整えられた庭に立派な建物。ここに来るまでシャウマン伯爵領を上空から眺めたが、緑が沢山で、農業が盛んな町だとひと目でわかった。気候も温暖で、飢えや寒さに苦しむことのない恵まれた領だなって印象である。


 依頼主のエドヴァルド・シャウマン氏が帰ってくるまで今しばらく待機していてほしいと言われて、私が通されたのは談話室である。メイドがご丁寧にお茶とお菓子を出してくれた。紅茶と季節の果物のタルト。タルトからはみ出るくらい大きな果物がゴロゴロ豪華に乗っかっている。こんなの食べたことない。


「おいしいです」


 遠慮なくもぐもぐ食べ、側にいたメイドさんに感想を言うと「それはよろしゅうございました」と頭を下げられた。

 隣に座っていたヒト型ルルがフォークを使わずに手掴みでタルトをムシャムシャ食べてるのを笑顔で黙認してくれてありがとうございます。彼女ドラゴンなんでですね、人間流のマナーを面倒臭がるんですよ…


 ここは以前滞在したビルケンシュトックの上に位置する領地。シャウマン家の爵位は伯爵位だが、依頼主の彼は子息で、まだ家督を継いでいないそうだ。

 紅茶で喉を潤していた私は、辺りを見渡す余裕が出来たので談話室を観察した。立派な調度品に芸術品…私にはその素晴らしさはわからないが、とりあえず高いんだろうなぁって思う。


「これ、領内の風景画ですか」


 私の目に留まったのは一面畑の絵だ。壁に飾られたスケッチに色を落としたような絵を見て私がつぶやくと、それに反応した執事が誇らしげに頷いていた。


「シャウマン領は農業が豊かでして、旅の画家がこの美しい風景を絵に残したいと描いてくれたものです」


 何も豊かなのは農業だけではないらしい。近年、鉱山金山の掘り当てに成功したそうで、お隣のビルケンシュトックの工業スキルを買って、協同運営してるそう。

 その収入があって領民は比較的豊かな生活を送っているそうだ。


「内政がうまくいってるんですね。ここの領主様は優秀なんでしょうね」


 なんてない感想だ。思ったまま言ってるだけ。別に深い意味はない。

 貴族なんてピンきりだ。先祖代々貴族でも政治に明るくないぼんくらだっている。民が悲鳴を上げてるのに税を上げるアホ領主なんか腐るほどいる。

 それと比べたら、この領は領主に恵まれているのだろう。

 

 ──しかし、執事は先程まで誇らしげだったその顔を渋めていた。


「…ここだけの話、内政は坊っちゃまが取り仕切っておられます」

「…えっ?」


 まだ家督を継いでないシャウマン氏が?

 いや、彼は立派な成人男性だし、跡継ぎならそういう勉強を幼い頃からしていただろうから、内政する分は全然問題ないだろうけど……普通は伯爵当人が中心になってするもんじゃないの? 詳しくは知らんけど。


「旦那様は15年前に出来た愛人に熱を上げておいでです。政事から目をそらし、民たちに理不尽な重税を課し、民からの訴えも無視し、民たちは苦しんできました」


 そう言って、執事は窓の外を遠い目で眺めていた。忌まわしい過去を思い出しているのか、ものすごく憂鬱そうな表情であった。


「……一時はどうなることかと思いましたが、坊ちゃまが地道に投資してきたそれを元手に領内の改革を行いました。坊ちゃまのお陰で我がシャウマン領はこれほどまでに回復、成長したのでございます」


 なるほど…シャウマン氏もとい、エドヴァルド氏には内政だけでなく、お金を増やし、活用する才能があるんだな。そして腑抜けの色ボケに成り下がった父親の代わりに見事な手腕で領地を蘇らせたと。アホな父親を反面教師にしたんだな。

 魔なしだと本人は自己評価低そうだったがそんなことないじゃないか。領民にとっては素晴らしい領主になってくれるに違いない。


 …しかし、執事の顔色は優れない。


「坊ちゃまはきっと素晴らしい領主になられるでしょう。……ですが、このシャウマン伯爵家を継ぐのは、旦那様の愛人の子が継ぐことになるでしょう」


 私は怪訝な顔で首を傾げた。

 ……何故だ? エドヴァルド氏は魔なしだが、シャウマン家の正統な嫡男だろう。愛人の子は所詮愛人の子だ。それともなんだ、愛人の子のほうが優秀なのか?

 執事は悔しそうな顔をして、ぐっと拳を握りしめていた。


「坊っちゃまは領主としての器をお持ちです。領民達も我々も坊っちゃまを慕っております。…ですが、旦那様の意向は違うところにあります。…そのことで私達使用人には口出す権利もありません」


 任命権はあくまで伯爵当人が持っている権利なのだろうか。領民がいての領主なのに……

 伯爵は周りが見えてないんだろうな。正妻に産ませた息子が必死になって領地を立て直ししたと言うのに、それを評価せずに愛人の子どもに入れあげる……自分のことしか考えられない伯爵なんだろう。


 貴族の不貞がどの程度許されるのかはわからないが、両手広げて歓迎されるものではないだろう。国の上の人や他の貴族の人達が眉をひそめたりしないのか。諌めたりはしないのか。

 領地改革や運営に魔力はそんなに必要ないと思う。それとも貴族間では魔力至上主義が横行して、魔なしにはその権利すら与えられないのか…


「…とても口惜しいです」


 エドヴァルド氏は領民や使用人に慕われている。魔なしであっても腐らず、努力して信頼を勝ち取った。彼が領主の器にふさわしいのは誰が見ても判断つく。

 ──だけど、世の中そんなに甘くないのだろう。


 私を接待してくれた執事やメイドたちはドヨンとした顔でしばし落ち込んでいたのであった。

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