女神の思し召し


 町の中の一角、今はテナント募集中だという元雑貨店舗の片隅に私はいた。

 薬の注文を受けるのはいいが、町中のどこにも薬を作る場所がなかった。製造途中で匂いは発生するし、宿に迷惑がかかるし、どうしたもんかなと困っていた私にベルさんが提案したのだ。

 しばらく滞在するなら空き店舗兼住居を借りてそこで滞在したら? と。宿屋に支払うよりは安上がりだよ。と言われた私はベルさんの案内で不動産屋に出向いた。ベルさんのお父さんが保証人になってくれたので、そのまま短期間契約を結んだのだ。

 1階が店舗で、2階部分が住居になる。古びた家具が残されていたので、そこは魔法で綺麗にお掃除してありがたく使わせてもらう。少しばかり人間に対して神経質なルルもこちらのほうが過ごしやすいのか、2階の日当たりの良いお部屋が彼女のお昼寝スペースになっていた。


 自分が思い描いていた旅とちょっと違うけど、ブーツが出来上がるまでの時間だからな……。うーん、毎日働くのはあれだから、お休みを設定して別の土地にも行ってみようか。

 私にはルルがいるのでお空での移動なら日帰り滞在も出来るであろう。


「調子はどう? 繁盛してるって聞いてるよ」


 薬を調合している私に声を掛けてきたのは左頬のガーゼが痛々しいベルさんだ。恐るべき速さで回復を見せているベルさんは以前の快活な笑顔を取り戻したように思える。


「まぁまぁですね。評判を聞いて注文しに来るお客さんもちょこちょこいます」

「あんたの薬は効き目がいいって評判だよ。魔術師様だから奇跡の力を使っているって噂だ」


 使ってないけど、そう思っているなら勝手にそう思わせておこう。製造方法と分量守れば薬が出来上がる、それだけなのになぁ。


「あんたがこの町に来て3週間だけど、どう?」


 ベルさんの問いかけに私はもうそんなに経つのかと顔を上げる。

 この町は…工業地帯だから飾り気はないし、気取った人がいない代わりに荒っぽい人が多い印象だけど……


「食事は美味しいし、治安は良いし、いいところですね」


 この町では先祖代々、家業を受け継いでいるという特性があって、ずっと同じ人が住んでいる。そのため村社会みたいな雰囲気はあるけど、そのお陰で変な人が寄り付きにくい。だから治安もいい印象がある。


「そうだね、ここ数年でようやく落ち着いたよ」


 彼女は苦笑いを浮かべていた。褒めたのに何故苦笑いなのか。彼女の意味深な言葉に疑問を感じた。

 ベルさんは店舗の窓から外の風景を眺めながら静かに言った。


「シュバルツ侵攻のことは知っているだろう? お隣のフォルクヴァルツが甚大な被害を受けてね。逃げてきた難民が増えて治安が悪くなって……こちらも結構な影響を受けたんだ」


 あぁ、そうかこの隣のフォルクヴァルツ領が一番の被害を受けたんだったな。彼の地はハルベリオンとエスメラルダの辺境に位置する領地だ。このビルケンシュトック領は南の国グラナーダ辺境沿いにある。工業地帯ということで仕事を求めてやってきた人も多いだろうな…

 ベルさんは「1番大変だったのはフォルクヴァルツ領の人だから開けっぴろげに文句は言えないんだけどね」と口元に人差し指を持っていって内緒ね、と笑った。


「フォルクヴァルツ辺境伯夫妻には当時生まれたばかりの娘がいてね、その娘はハルベリオン軍に拉致されたって噂だ。死んだとも言われている」


 張り紙して、調査隊を組んで国中ほうぼう探したけど結局見つからなかったそうだ。混乱期だということもあって、調査は難航したという話である。ベルさんの話を聞いた私は眉をひそめた。


「そうなんだ…」


 私は迷い子として役所に登録されたけど親だと名乗り出る者は誰一人としていなかった。この扱いの差よ。同じ親という存在なのにこうも違うのか。

 他人事なのに私まで複雑な心境になってしまうじゃないか。


「その子はね、王太子殿下の婚約者に内定していたんだ。だけどその話も白紙撤回になって、今は王太子殿下のお妃選抜でお貴族様達がバチバチ争っているんだよ」

「へぇ」


 どの国でも権力を求めてお貴族様達が上の人に取り入ろうとしてるんだね。何故かこの国に親近感が湧いたぞ。


「こないだもどこぞの貴族が毒を盛られたとかで、下手人が引っ立てられたけど、実際はそれは替え玉。敵対勢力の貴族がやったってもっぱらの噂だ。内戦とかなったら本当困る。割りを食うのはあたしら平民なんだから勘弁してほしいよ全く」


 ベルさんはそう言って店に元々置かれていたソファに腰掛けていた。

 腕を組んで不満そうに漏らす言葉は私の国の平民たちがつぶやく言葉と同じだ。どこの国でも平民が割食うよね、わかる。

 シュバルツ侵攻直後のエスメラルダでも、食糧難だったり、難民流入だったりで情勢悪化したとの話を聞いたことがある。うちの村も影響をモロに受けていて大変だったはずのに、私を娘として迎える決意をした両親には頭があがらないよ。


 それにしてもベルさん、めちゃくちゃシュバルツ内情に詳しいな。シュバルツは情報がオープンなのだろうか。お貴族様ってそういう醜聞が命取りだろうに。

 お金や権力で話をもみ消しても分かる人には分かるのに、どうしてそこまでして相手の足を引っ張ろうとするんだろうなぁ…。そんなに権力が欲しいのか。


「フォルクヴァルツはシュバルツの砦と呼ばれていたんだけど、攻め入られてしまって……今は更に軍備に力を入れているって話だよ。いつ行っても、対ハルベリオンでピリピリしてるんだ」


 そりゃそうだろうね。

 辺境を管轄しているうちの領主様も結構神経質になってるって噂で『軍備費を賄うからって税が上がった』とお母さんがブツブツ文句言っていたもん。

 フォルクヴァルツの人だって二度も同じ轍を踏みたくないだろう。今度は迎え撃つ覚悟なはずだ。


「遠くからフォルクヴァルツ次期領主の坊っちゃん見たことあるけど、とても美形なお方で素敵だったんだぁ…。この町の荒くれ者の中にはいないような精悍な青年でね…あそこの八百屋の娘が果物を差し出したら笑顔で受け取ってその場で召し上がってくださったんだって。庶民にも優しいお方だそうよ」


 ベルさんはうっとりとした顔でため息を吐いてた。まるで恋する乙女である。

 感じの悪い貴族よりも感じの良い貴族のほうがそりゃあ人気だろう。私はその青年貴族の実物を見たことないのでなんともいえないけど。


「あんたと同じ黒髪だったな。混じりけのない綺麗な漆黒だったからよく覚えてるよ」

「そうなんですか」


 へぇ、そうなんだ。

 この国でも黒髪の人意外と見かけないけど、いるにはいるんだな。



■□■



 私はルルにお願いして、日帰り旅を敢行した。

 ビルケンシュトックから北上してフォルクヴァルツ領に入る。上空からその町を見下ろすとなるほど、丘の上に頑強な城壁に囲まれた立派なお城がある。“シュバルツの砦”という名ばかりではないのだな。簡単には侵入できそうにない城だ。

 ルルに指示してとある石造りの広場に降り立つと、私の目にある石碑が映る。石碑には年月日と沢山の人の名前が彫られていた。それに近づき、まじまじと観察するとなるほど、それはシュバルツ侵攻の年である。名前は犠牲になった人の名前であろう。慰霊碑か…


 そういえば、私が森に捨てられていた日と被ってるんだよな……もしかして、シュバルツから逃げた親が私がいると足手まといになると思って捨てたとか…まさかね。

 ここに降り立ったのはなにかの思し召しかもしれない。とりあえず手を組んで、心のなかで女神様へ彼らが安らかに眠れるようにお祈りしておいた。


 私の隣で人化ルルがぐぅぐぅお腹を鳴らしていたので、気を取り直して食事にしようと街の中心地に向かうことに決めた。

 足を踏み入れて分かる。活気のある街だ。十数年前に惨劇が起きたとは思えないくらい、人々が笑顔で生活を営んでいる様子が窺えた。物資に溢れ、生活レベルの高い領地のようである。

 ……しかし、それにしても兵士の姿も多い。


「失礼、お嬢さん。身分を証明できるものを拝見しても?」

「どうぞ」


 私とルルをひと目見て旅人だと察知した警らから職務質問を受けたので、身分証代わりのペンダントを見せると、ぎょっとした顔をされた。疑われたのか詰め所に連れて行かれ、事情聴取とか魔術師名簿で確認取られたりして足止めを食らった。

 ……私はそこまで怪しいのか。まぁ、警戒するのが彼らの仕事だからね…

 誤解が解けてようやく解放されると、空腹で不機嫌なルルを連れて青空市場に出向いた。好きなのを食べていいから機嫌を直してくれ。


 両手に串焼き十数本を掴んでもぐもぐと肉を頬張るルルと市場内をうろついていると、八百屋のおばさんに声を掛けられた。


「そこのお嬢ちゃん、きれいな黒髪だね」


 この国の貴色である黒髪を褒められた。

 テオには昔からさんざん地味と詰られたが、この国では本当に貴色なんだな。歩いているとよく髪色を褒められている気がする。

 私を観察していたおばさんは目を丸くして、「若様と奥様と同じ紫の瞳だね」と物珍しそうに呟いていた。


 紫の瞳って遺伝的に中々生まれない、珍しい色なのに探せば世の中にはいるもんだな。



「それってラウル殿下の姿絵!?」

「ヤダ素敵!」


 本屋の前を通りかかったので、面白そうな本はないか探していると、どこからか若い女性の黄色い声が飛んできた。

 ラウルと言うと、シュバルツの王太子の名前か。きゃあきゃあ騒ぐ姿を見ていると、学生時代にエスメラルダ王太子殿下をみて騒いでいたカンナを思い出す……


「お嬢ちゃんもラウル様に興味があるのかい?」


 本屋の店主に声を掛けられた私は、少しばかり反応が遅れた。


「いえ…お顔を拝見したことありませんし…」


 どうせなよなよした優男なのだろう。私はたくましい獣人を見て育ったせいか、温室育ちの弱々しい男にはあまり興味ないんだ。


「若い娘なのに珍しいな。ほら、この方だよ。若い娘はこういう男性が好きなのだろう?」


 店主がお店の引き出しから取り出した絵姿には白金色の髪と灰青色の瞳を持つ美青年が描かれていた。その顔立ちは冷たく見えるが人形のように整っていた。

 成程女性ウケする顔だな。


「私は…もう少したくましいほうがいいですかね。この人は華奢と言うか…すみません、不敬ですね」

「おや手厳しいね」


 いかんいかん、他国の王族の悪口言ったら首ちょんぱーの未来がやってくるぞ。私の失言に店主はからからと笑っていた。

 絵姿を見て私は思う。

 この程度でモテるのなら、テオもそこそこの顔立ちしてるんだな。あいつも眼を見張るくらい整った顔をしている。それに恵まれた体躯を持っているし、私としてはテオのほうがいい男だと思う。

 ……ふと冷静になって私は思った。一体何を考えているんだろう自分は。なんでテオなんか褒めてるんだろう、馬鹿か。


「私は王子殿下とか貴族に夢を持っていないのであまり興味がないだけで、普通の女の子は好きだと思いますよ」

「人それぞれ好みがあるってことだな。さてはお嬢ちゃん、好きな男を思い出したな? そりゃあ好きな男が一番いい男に見えるよな」

「はっ!? なんで私があいつなんか!」


 からかわれた私はムキになって反論したが、店主はニヤニヤと面白がるのみだ。違うと言っているのに何なんだ。好きとか誰もそんな事言ってないだろう!

 恥ずかしくなった私はカウンターに本とお金を叩きつけたのであった。

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