谷底の爺孫ドラゴン


 ロバに乗って、大きな裂け目の谷底を進む。私の進む道はどんどん険しくなっていった。

 谷に入ると魔獣や野生動物の数が更に増える。図鑑では見たことのない形をした生物がたくさんいた。彼らの生活を脅かさないように速やかに通り過ぎていたので、じっくり観察はできなかったが、十分私の目を楽しませてくれた。


 空を見上げれば、崖のところに巣穴が空いている。ここには何の生物が住んでいるのだろう。


「ピィーッ…!」

「ん? 何、また魔獣でもいた?」


 草食動物であるロバはどうしても肉食獣の気配に敏感でここまで来るのに何度も怯えた声を漏らしていた。最初は私も一緒になって警戒していたが、何度も繰り返すと慣れもあって私の反応も軽くなる。

 しかし、今度ばかりはロバの様子がおかしかった。尋常じゃなくブルブル震えているのだ。


「どうしたの…?」


 私はロバから降りて近くの木に繋げると、ひとりで辺りを散策しに行くことにした。後ろで怯えたように甲高い鳴き声を漏らすロバ。一体何に怯えているのか……

 半信半疑で探りに行った私だが、すぐにその原因を見つけた。ロバをつなげた場所からそう遠くない、谷底の湖近くにそれはいた。

 年季を感じさせる巨体には矢や剣、そして魔法痕が残っており、地面には血溜まり。どうみても重症なのが見て取れた。シワシワのまぶたは閉じられているが、かすかに呼吸をしているようだ。


 大きな大きなドラゴンだ。

 本物をはじめて目にしたが、おそらく大分年かさのドラゴンなのだろう。鱗が枯れ木のような色をしている。……あちこち血が飛び散って、鉄サビの匂いが辺りに広がっていた。

 …大変だ。密猟者に見つかって害されたのだろう。


 はるか昔にはその身体から取れる素材や妙薬のもととなる肉を手にするために乱獲されていた存在。最も今では絶滅危惧種として保護対象となっているはずだが……。

 倒れたドラゴンに近づこうと、そぉっと足を踏み出す。一歩踏み出した私は何かを踏んでいると気がついた。硬い石ころだろうかと足を持ち上げる。


「……これは、」


 落ちていたのはペンダント。

 魔術師の証明になるペンダントだ。……瑪瑙石のはめられた、ハルベリオンの魔術師の……

 つまり、このドラゴンを屠ろうとしたのはハルベリオンの人間…ハルベリオン国境から大分離れたこの還らずの森にやってきた…ドラゴンを捕まえようとして……。


「グルルル…」


 低い地鳴りのような鳴き声に私はハッとして顔を上げると、先程まで閉ざされていたまぶたが開き、縦に裂けた瞳孔とぱっちり目が合った。


「い、今すぐに治癒魔法を…」


 保護対象の生物を救うのも魔術師としての使命だ。私は倒れているドラゴンのもとに駆け寄り、呪文を唱えようと口を開いた。


「我に従う光の元素たちよ、このドラゴンを」

『やめよ』


 脳に響くようなその声に私はビクリと肩を揺らす。その声は目の前の老ドラゴンから聞こえてきた。


『私はもう老い先長くない。憐れみなら不要だ。そこの娘、魔力を無駄にするんじゃない』


 通心術を使ったわけでもないのにドラゴンと意思疎通が出来る…。ドラゴンが私に向けてなにか魔法でも使ったのだろうか…?

 私が驚きでぴしりと固まっていると、老ドラゴンは怠そうに目を細めた。


『私も年をとった。平和ボケして密猟者に背後を奪われてしまった』

「……魔術師に襲われたの?」


 私が静かに問いかけると、老ドラゴンは顔を持ち上げて何かを示した。

 ……気づかなかった。ドラゴンの巨体で隠れていたが、彼の後ろには死屍累々と人間の死体が転がり落ちていた。それを直視してしまった私はサッと目をそらす。まるで人形みたいに転がっているが、数時間前までは生きていた生身の人間。腕がちぎれていたり、頭がない遺体もあった。

 たとえそれが犯罪者だとしても平然と直視できるものではなかった。


『突然そやつらがやってきてな。若い頃のように軽く遊んでやろうと相手してやったら…このザマだ。なにやら怪しげな呪術を使って私の足を引っ張りおって……腹が立ったので頭をもぎ取ってくれたわ』


 やられた分は倍返ししてやったと鼻を鳴らす老ドラゴン。このドラゴンはドラゴン狩りが合法だった時代から生きていたのだろう。だから情け容赦なく殲滅できたのかな…。

 人間側が加害者で犯罪を犯しているので同情はしないけどさ。むしろ人間がごめんねと謝りたい気分である。


『私の肉が必要だと言っていた。我らドラゴンの肉は妙薬扱いだからな』


 確かにドラゴンの肉は妙薬であるが……今は寿命で死んだドラゴンからでないと採取出来ない代物で大変高価な品だ。…金儲け目当てだろうか。

 ……これはここだけの話にするわけには行かないな。…国に、王太子殿下に伝書鳩を送ろう。それと証拠の品を持っていって……あと投影術で現場の映像も……


 私が次にすることを頭の中で順序立てていると、老ドラゴンが身体を動かした。


『魔術師の娘よ、私の頼みを聞いてくれるか』

「…頼み? ……あ」


 老ドラゴンの身体の下には子ドラゴンが気を失って倒れていた。この子を守って戦っていたのかもしれない。


『この子はまだ100年と少ししか生きていない、まだまだ幼い子どもなんだ』


 それ16年程度しか生きていない私に言っちゃいますか。いや、ドラゴンの寿命はすごく長いので100年だったら人間で言う10歳児感覚でしょうけどね。


『この子をどうか頼めないだろうか』


 せめて独り立ちするまで気にかけてあげて欲しい。


 その言葉からは孫を守りたいけど、それが無理だと理解している祖父の無念が伝わってきた。

 気持ちはなんとなく伝わってくるけど、私は魔術師駆け出しで、ドラゴンの生育法とか詳しく知らないよ…


「ぐるる…」


 意識が戻ったのか喉を鳴らす子ドラゴン。パチリと開けたその瞳は美しい金色だった。まだ柔らかそうな鱗を持ったその身体をのっそり起こし、傍らに倒れ込んだ老ドラゴンを見た子ドラゴンは悲痛な鳴き声を上げていた。

 老ドラゴンと違って何を言っているかはわからないが、自分を庇って瀕死の重体になった祖父を心配し、嘆き悲しんでいるというのは見て解った。

 金色の瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちる。…ドラゴンも泣くのかと不謹慎にも感心していると、子ドラゴンは私の存在に気がついたようでこちらを見てきた。


 目が合って数秒、その数秒で私は子ドラゴンから敵認定されたらしい。羽を広げた子ドラゴンは私に襲いかかってきたのだ。


「!? 元素よ、転送させよっ」


 慌てていつもよりも端折った呪文を唱えると、元素たちはその声に素直に応じてくれた。私は転送術で素早く遠ざかると、崖にぽっかり空いた巣穴らしき場所へ降り立つ。


「ぐぎゃああああ!!」


 怒りの咆哮を上げ、私に向かって負の感情を向けてくる子ドラゴンはこちらへ向かって飛んできた。

 絶滅危惧種だ。怪我はさせたくない。しかしこっちに攻撃を仕掛けてくる。気絶させるか…

 

「我に従う闇の元素たちよ!」

『やめよ、その娘は私を治そうとしたんだ。お前を襲ってきた人間どもはすべて私が屠った』

 

 私が呪文を唱えようとすると、それを遮るように老ドラゴンが制止してきた。その言葉にピタリと動きを止める子ドラゴン。攻撃をやめると、すぐに老ドラゴンの元へ飛んでいった。


『私は元々長く生き過ぎた。…生き物には寿命がある。いつか別れが来るものだ。それは解っているな?』

「キュルルル…」


 老ドラゴンの別れの言葉に悲しそうに鳴く子ドラゴン。わかっていてもあっさりと別れを受け入れられないのであろう。


『…魔術師の娘よ、人間はドラゴンを薬にするのだろう? …年老いた身体でいいなら使うが良い。…その代わり、この子を頼む』

 

 死にかけの中での遺言である。この流れじゃ断りにくいな。…知らないよ。私が世話したせいでドラゴンらしくないドラゴンに育っても。

 私は重々しく頷いた。仕方ない、関わってしまったのが最後だ。私に出来ることをしてあげよう。

 老ドラゴンは安心したようにため息を吐き出すと、側で泣いている子ドラゴンに静かに言葉を遺す。


『…お前と出会えて私は幸せだった。伴侶も子もいない、同胞を見送るだけの寂しい人生だったが、ここまで長生きしたのはお前と出会うためだったのだろう…長生きしてよかった』


 老ドラゴンの顔に子ドラゴンの涙がポタポタと降り落ちる。


『幸せにおなり』


 そう最後に言い残し、老ドラゴンは息を引き取った。その瞳は開けたまま、もう何も映していないがきっと彼は最期の瞬間まで孫と慈しんだ子ドラゴンの姿を見守っていたかったのだろう。

 永遠の眠りについた老ドラゴンの体をゆすり「起きて」と促す子ドラゴン。その動作を繰り返しても彼はもう声を出さない。心臓は止まり呼吸もしていない。そこにいるのは永き時を生き延びて自然に還ろうとしている亡骸だけである。


「ギャオオオオオン!!!」


 大粒の涙を流し、空へと叫ぶ子ドラゴンの鳴き声が谷底に反響した。その咆哮は先ほど私に向けて吐き捨てた怒りとは違う、嘆きの咆哮だ。

 この地にひとり取り残された悲しみが私にまで伝わってきて、私はその子ドラゴンに憐れみの感情を抱いてしまったのであった。

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