運命の番という名の呪縛【三人称視点】
エスメラルダ、シュバルツ、グラナーダ三国の辺境に当たる中央地点には、活火山を囲む還らずの森という、人が住むには厳しい土地がある。
常に火山から有毒ガスが発生し、時に煮えたぎる溶岩が流れ出す。道は険しく、大地の裂け目と呼ばれる危険地帯も数多く見られる。そこには様々な昆虫や野生動物、魔獣、そして今では貴重種と言われているドラゴンが生息していた。
その土地にはめったに人が入らない。たまに素材収集で入ってくる人間もいるが、そういう人はだいたい腕に自信があり、猛獣と遭遇しても対抗できる手段を持っている人に限られている。
ドラゴンと人類。昔はお互い血を見る争いをしていたが、今では別々に暮らし、共生していた。そうすれば無駄な争いごとは生まれない。
乱獲や無駄な殺戮はしない。それが厳しい環境で生きる生物たちへの敬意だった。そして旅人の共通の認識でもあった。
還らずの森の奥深くに彼らはいた。
番と呼ばれる伴侶を持ち、子を為したドラゴンや、伴侶には恵まれなかったがそこそこのんびり暮らすドラゴンもいた。
その中心になっていたのは齢1200歳にもなろう老ドラゴンであった。ドラゴンの平均寿命は1000歳と言われている中でもなかなかの長寿であった。
彼には生まれてこの方伴侶がいなかった。
その理由は彼が適齢期の時代に起きた乱獲が原因だ。ドラゴンの妙薬と呼ばれる万能薬を手にするために、金儲けのためにこぞってドラゴン狩りをする人間や獣人達によって同胞が次々と狩り尽くされていったのだ。
同年代の年頃の雌が狩られ、周りにいなくなり、生き延びたドラゴンたちは身を守るために各々別の土地へと逃げ去っていった。
そうして彼も身を隠して生きてきた時代が長くあったため、伴侶を得る機会に恵まれず……ようやく仲間と合流した頃にはそういうことに興味をなくしてしまった後であった。有り体に言えば、ひとりに慣れてしまったとも言える。
もちろん、番って子が生まれたと喜ぶ夫婦を見て羨ましいなと思うこともあった。しかし彼はひとりで生きてきた。
そのうちドラゴンの里の長と呼ばれるようになり、仲間たちに慕われ……意外と長生きしてしまって今があるのだ。
昔は襲ってくる人間や獣人と戦い、幾多もの命を屠ってきた老ドラゴンであるが、年を食ったせいか穏やかになった。彼ももう1200歳、己の身体の衰えには気づいているし、自分の寿命が尽きるのも時間の問題だと解っていた。いつ死んでも大往生だ。彼はドシッと構えているつもりであった。
だが彼は出会ってしまった。
それは、西の谷に住む夫婦の姿が見えないという相談が来たのがきっかけだった。その夫妻には小さな子どもがいるという。いつも仲睦まじく空中飛行に出ていたのに、ここ最近全く姿が見えないというのだ。
老ドラゴンは腰を上げて、その一家の様子を伺いに行った。繁殖適齢期の雄雌ならば、子作りに勤しんでいるのではないかと下世話な想像をしながら、巣穴を覗き込むと──……
そこには倒れた雌ドラゴンと、衰弱した子ドラゴンの姿があった。
『おい、しっかりしないか』
慌てて巣穴に潜り込んで声をかけるも、雌ドラゴンの方はもうすでに事切れていた。老ドラゴンは子ドラゴンを介抱しながらあたりを見渡した。
──この子の父親がいない。
獲物を取りに行っているにしては、匂いや気配が見当たらない。ここ最近目立った乱獲の話は聞かない。そもそも若い雄ドラゴンなら力が有り余っているから簡単に狩猟者をあしらえるはず。事故や災害が起きたという話も聞かない…どこかでなにか起きて戻ってこれないのか…?
『う…』
『目覚めたか。どうした、何があった…父親はどこだ』
大きな外傷や病気は見当たらない。この母子に何があったというのか。薄ぼんやりまなこを開いた子ドラゴンはかすれた声で鳴いた。
『…おとうさん、運命の番と会ったから出てく、って……おかあさん、おとうさんが帰ってこないから、ずっと泣いて、泣いて……動かなくなっちゃった』
幼子の口から聞かされたその話に老ドラゴンは目を見開いた。
運命の番。
ごく稀に低い確率で出会うとされる、唯一無二の伴侶。その相手と出会ったら理性を失い、恋い焦がれ狂うという存在だ。
すでに番がいようと、子がいようと、すべてをかなぐり捨てて番の元へ駆けていく。ある意味呪縛のような存在。
たまにこうして不幸な結末を迎える片割れが存在するのである。老ドラゴンがそれを見たのは1000年前のことだった。他所の家庭の話ではあるが、苦々しい気持ちになった。
おそらく母ドラゴンは伴侶に捨てられたことで狂って衰弱して死んでしまったのだろう。そして子ドラゴンはまだ親の手を借りなくては生きられない幼子。育児放棄され衰弱死しかけていたのだ。
老ドラゴンは寿命を大きく超えて長生きした。
生涯伴侶や子に恵まれなかった。
沢山の仲間たちを見送ってきた。
沢山の人間や獣人と戦い、この手で屠ってきた。
ひとりな分、自由に生きてこられた。
もう十分、十二分に竜生を送った。いつ逝ってもいいと考えていた。
だがしかし目の前で弱っている子ドラゴンを見て自分はまだまだ死ねないと思った。
可哀想に。
今はまだ両親に大切に慈しまれ育つ時期だと言うのに、こんな形で両親に見捨てられるとは……
老ドラゴンはもう暫く頑張って生きようと思った。せめてこの子が独り立ちできるくらいの年齢になるまでは……
育児放棄された子ドラゴンを哀れんで育て始めた老ドラゴン。
二体は身を寄せ合って爺孫のように暮らしていた。両親がいなくなったことで感情が乏しくなっていた幼子だったが、成長していくにつれて老ドラゴンが自分の養親であると認識するようになり、笑顔をみせてくれるようにまでなった。
この子が独り立ちするまでは、と願っていた。
だけど叶うならばこの子を絶対に裏切らない番が見つかるまでは生きていたい。
『爺様ー! 晩ごはん獲ってきたー!』
獲物の魔獣を足で掴んで飛んできた孫娘を見た老ドラゴンは目を細めた。
…大きくなったなぁ。
出会った頃の今にも死にそうな幼子はもういない。たくましく自然と共生している。
彼女が幸せになるのを見送るそれまではせめて共に暮らしていたい。
──そう、思っていた。
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