第15話 血まみれの旅立ち (注意)
「あのお菓子にはね、私が作った弛緩剤を入れているのさ。ヴァイスにも効いて、本当に良かった」
そう言いながら、お姉さんは剣を抜いて、二人の方へ向かった。
「何…するの」
精一杯口にするけど、そんなの分かりきっていた。
ジュリアさんが剣が突き付けられる。
「やめて……お母さんを殺さないで……」
ルーチェが泣きそうな声を絞り出す。
お姉さんの表情は、一切動かなかった。
剣が下ろされる。
ジュリアさんは小さなうめき声をあげた後、けいれんして動かなくなった。
「お母さん……?」
傷口から血が流れてきて、わたしの頬をぬらした。
剣を引き抜いたお姉さんは、呆然としているルーチェの方に行く。
わたしは必死に体を動かそうとした。
けれど力が入らなくて、何もすることができない。
「いや……」
ルーチェの目が、自分の体に向けられる剣を追う。
ただ震えて、涙を流していた。
「まってよ……お願い、ルーチェは殺さないで」
お姉さんはちらりとこっちに目を向ける。
「悪いとは思っているよ」
それだけ言うと、ルーチェに剣を突き刺した。
カクン、とルーチェの顔が傾いた。
目は見開いたまま、わたしを見ているようだった。
その目からは光が消え去って、真っ黒な闇が宿っていた。
「なに君まで死んだ目をしているの」
わたしに向けられた言葉だった。
わたしは力なくお姉さんを見上げる。
おかしそうな顔のお姉さんを見て、ルーチェの言っていたことが正しかったことを知る。
――ああ、この人を信用しなければよかった。
「……殺してよ」
「だめだめ。君が死んでしまったら、二人を殺した意味がないからね」
涙がこぼれた。
もう旅なんてどうでもよかった。
ルーチェがいなくなって、夢も、生きる気力もないのに。
わたしはこれから、こいつに遊ばれるの?
「そうだ。いいことを教えてあげよう」
お姉さんがルーチェをつかんで、わたしに放り投げた。
すぐ横から、鈍い音と衝撃が伝わる。
「今からでも、この子に君の血を飲ませれば、生き返らせることができる。私としても、被験体が増えるのは歓迎するよ。残念ながら、ヴァイスは一人としか契約できないのだけれどね」
わたしは迷わず、ルーチェに近づいた。
自分の舌を嚙みちぎって、ルーチェに口付けした。
わたしの血が、ルーチェの中に流れる。
少しずつ、ルーチェが温かさを取り戻していく。
やがて、ルーチェが目を開けた。
「……あれ? なんで私が……」
ルーチェは戸惑ったようにキョロキョロ見回す。
わたしはまた涙を流す。
お姉さんはそんなわたしの口をつかんで、中をのぞきこんだ。
「さすが、もう舌が治っている」
お姉さんはわたしを夢中で観察していた。
「……ああ、そうか」
だから、後ろで立ち上がるルーチェに気がつかなかった。
ルーチェは机をつかんで、振りかぶった。
お姉さんは自分を覆う陰に気がついて振り向いた。
でも、もう遅かった。
「死んじゃえ」
机がとてつもない勢いでお姉さんを襲った。
ちょうど私の目の前をかすめて、お姉さんを地面にたたきつけた。
ルーチェはまた机を振り下ろす。
「死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ……」
何度も何度もお姉さんから血が巻き上がる。
わたしはただ、見ていることしかできなかった。
途中からは、血に混じって赤いぐちゃぐちゃしたものや白いものまで飛んだ。
何回をそれを見ただろう。
机が粉々になって、ルーチェは座り込んだ。
真っ赤な床でただ虚空を見つめていた。
「……ルーチェ」
わたしが呼んだのを聞いて、ゆっくりと振り向いた。
その目は、ほんの少し前、死んだときの目とそっくりだった。
それにわたしはゾッとする。
ルーチェがまだ死んでいるように思えたから。
「ねえ、こいつの血を飲んじゃおっか」
ルーチェは一切表情を変えずに言った。
わたしはただ、うなずくことしかできなかった。
ルーチェは腕をちぎって放り投げる。
わたしはそこからあふれる血をなめる。
――全然『美味しく』なかった。
それでもただ飲み続ける。
「二人分あるかな」
ルーチェはそう言うとぶよぶよした赤い物体にかじりついた。
血が一気に噴き出して、ルーチェを赤く染める。
「ほら、こうするともっと血が飲めるよ」
わたしは何も答えることができずに血をすすり続けた。
どれくらい経っただろう。
気がつけば、お姉さんだった物は白いものを残して、ほとんどなくなった。
血はとっくに固まって、もう飲めなくなっていた。
ルーチェはふらふらと外に出る。
「……私もヴァイスになったんだよね」
「……うん」
雨に触るルーチェ。その手に落ちた雨粒が肌を腐らせることはなかった。
ルーチェは屋根から出て、全身を雨にあてる。
「夢が叶ったね、アスール」
わたしは思わず飛び出して、ルーチェに抱き着いた。
「もうやめてよ! いやだよ、こんなルーチェを見るのは」
「……私、全然平気だよ」
「そんなことない。だってルーチェ、泣いてないでしょ」
「なんで泣く必要があるの? ……お母さんの仇もとれたんだよ?」
ルーチェの声が震えた。
「どうして?」
ルーチェがつぶやく。
「……どうしてこんなことに?」
わたしはもっと強く抱きしめる。
「ごめんね。わたしがあの人と関わらなければ……」
「アスール悪くないよ。悪いのはあいつで……あいつがお母さんを……」
ルーチェの涙が雨に混じって流れる。
わたしを抱いて、泣いていた。
「お母さん……」
雨が血を溶かして、かすかに赤い線を地面に引く。
その赤い糸は、村の出口に向かって流れていく。
どこまでも、どこまでも……。
あのとき語ったわたしの夢は、こうして実現した。
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