第5話 アスール

「ルーチェ、言っておきたいことがあるの」


 わたしの声は、自分でもわかるくらいに震えていた。

 それでも、わたしは勇気をふりしぼって、なんとか次の言葉を出そうと必死になる。

 

 そんなわたしの様子をおかしいと思ったのか、ルーチェは心配そうにわたしをのぞきこんだ。


「大丈夫?」


「……うん。ありがとう」


 わたしはひとまず深呼吸をする。

 そして、ルーチェに向きなおった。


「あのね、ルーチェ。……わたし、ニンゲンじゃないんだ」


「……え?」

 

 ルーチェはきょとんとした。

 わたしが何を言っているのか、本当にわからない様子だった。


 ――今なら引き返せる。

 わたしの頭に、ふとそんな考えが浮かんできた。


 でも、わたしはそれをすぐに消し去った。

 それだと、これから先ずっと隠し続けなければいけなくなる。

 そんなことになるのは嫌だった。


「……見ていてね」


 わたしは部屋のまどを開けた。


「……なにするの?」


 ルーチェが聞いてきた。

 その顔には、疑問と不安が混ざっている。

 

 わたしはわざと何も言わないで顔をそむけた。


 ――これからのルーチェの表情を、見たくなかった。


 わたしは、手をそっと窓に近づける。

 その手は震えていた。

 たぶんそれは、痛いのが怖いからという理由だけじゃなかったと思う。


 今は雨が降っていなかったから、壁についていた雨水をさわった。


 水の冷たいかんしょくを感じた直後、げきつうが走る。

 思わずうめき声をあげて、手をひっこめた。


「どうしたの!?」


 ルーチェは驚いてかけよる。

 わたしはルーチェにその手を見せた。

 汚い緑色に腐っている手を。

 

「なに、これ……」


「わたしはね、雨にぬれるとこうなっちゃうんだよ」


 ルーチェはしばらく驚いていたようだったけど、事情を察したようだった。  


「いっしょに行けないって、こういうことなの?」


「うん……」


 ルーチェは私の手をじっと見つめた。


 わたしは、ルーチェが何を考えているのかすごく心配になった。


 もしかしたら、拒絶されるかもしれない。

 

「ねえ」


 ルーチェはわたしの顔をのぞきこんだ。

 その目は、まっすぐわたしを見ていた。


 わたしは一瞬目をそらしそうになったけど、その必要はなかった。


 ――そこに、わたしが怖がっていた恐怖や嫌悪はどこにもなかった。


「これさえどうにかしちゃえば、いっしょに旅できるんだよね?」


 ルーチェは、笑顔だった。


「わたしが、こわくないの?」


「ちょっとびっくりしちゃったけど、ぜんぜんこわくないよ」


 それは、私の体についてのことだろうか。


 わたしがニンゲンじゃないことには気づいていないのかもしれない。


「わたし、ニンゲンじゃないんだよ?」


「え? 何を言っているの?」


 ルーチェはきょとんとしていた。

 やっぱり、気づいてなかったんだ。   


「あなたが何かの動物だっていうの? そうやって二本の足で立つのは人間だけだよ」


「でも、わたしは――」


「それよりさ、これからのことを考えようよ」


 わたしが続きを言えなかったのは、すこしためらってしまったからかもしれない。

 そのせいで、言うタイミングをなくしてしまった。


 でも、別にいいか。

 ルーチェなら、わたしを受け入れてくれる気がしたから。


「これからのことって?」


「あなたのその体を、どうするのかって話」


「わたしも、まだこうなってる理由を考えているところなの」


「そうなんだ……」


 ルーチェはうつむいたけど、いまここで考えていても仕方ない。

 それより、ルーチェに図書室を見せてあげようとしていたのを思い出した。


「それよりさ、図書室を見てみない?」


「あ、そうだったね。もしかしたら、そこに何かヒントがあるかもしれないし」 

 

 

  

 

 図書室は、地下に続くかいだんのすぐ前にある。

 だから、かいだんの途中で見えた図書室に、ルーチェは目をかがやかせた。


 ルーチェは図書室へとかけだす。

 わたしが中に入ると、ルーチェはそこら中にある本をキョロキョロ見ていた。


「どう?」


「すっごくひろくて、いっぱい本がある!」


「本は読んでみてもいいからね」


 ルーチェはなにを読もうかと本の山をあさっていた。

 なかなかいいのが見つからないのか、何度も手にとっては床に置いた。

 そうしていると、ふとルーチェは顔を上げた。


「ここの本って、本棚に戻さなくていいの?」


「……めんどくさくなっちゃった」


「めんどくさいって……」


 ルーチェは床に散らばっている本をいくつかひろって、たなに置いた。

 

「片付けてくれるの?」


「本がかわいそうだからね。君も手伝って」

 

 ルーチェだけにやってもらうわけにもいかない。

 わたしもしぶしぶそうすることにした。

 近くにおちていた本をいくつかひろって、たなにもっていった。 


 



 それからしばらくは、本の片付けをしていた。

 気が付くと、背がとどくところにある本棚は、きれいに整理されていた。

 残りの本は、机にきれいに並べておいた。


「ありがとう。すごくきれいになったよ」


「どういたしまして。またぐちゃぐちゃにしないでよ?」


「……がんばる」


 また前の状態にもどりそうな気がしたけど、それは言わないでおく。


「わたし、そろそろ帰らなくちゃ」


 いつのまにか、かなりの時間がたっているのに気がつく。

 そして、急にさみしくなった。


「……また、来てくれる?」


「もちろん。雨が強くなかったら、また来るよ」


 それを聞いて、わたしは安心した。


「こんど来たら、あなたのその体についてしらべてみようか」


 ルーチェはわたしの手を見る。

 

 ふと、ルーチェは顔を上げた。


「……そうだ。名前がないのって、不便じゃない?」


「そう? わたしは平気だけど」


「わたしが困るの。友達のことはちゃんと名前で呼ばなくちゃ」


「友達?」

 

「うん、友達」


 ルーチェがそう言ってくれて、すごくうれしかった。

 わたしにとっても、ルーチェはいつの間にか友達になっていたから。


「だから、わたしが名前を付けてあげる。どうしようかな……」


 ルーチェはしばらく図書室の中を歩き回った。

 

 わたしはどんな名前がいいのか分からないけど、ルーチェがつけてくれる名前なら何でもいい気がした。


 しばらく考えている様子だったルーチェは、何か思いついたように足を止めた。


「アスール、なんてどう?」


「アスール……」


 どういう意味かは分からない。

 けど、ひびきはすごくよかった。


「ありがとう。気に入ったよ」


「よかった」


 ルーチェは安心したようにして、階段の方に向かう。


 玄関から外に出ると、空はもうくもっていた。


「雨、大丈夫?」


「ギリギリかな。多分大丈夫だよ」


 くつをはいて、輪を作っている木々のところまで見送る。


「またね、ルーチェ!」


「うん。またね、アスール!」


 わたしはルーチェのせなかが見えなくなるまで、手を振りつづけた。

















































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