#39 台風一過と擬似体験

 聖那さんの声が飛び交っていたリビングに、突如静寂が訪れた。

 めちゃくちゃ静かになったもんだから、俺は改めて聖那さんの声量に驚いている。今は規則正しい寝息を立てて熟睡中。そう、聖那さんが来るまでは、こういう大人しい朝を迎えていたはずだったのだ。


「初対面の人間の部屋に入って、散々喋って寝るって子どもかよ……」

「仕事の疲れもあるんでしょ。可愛いじゃない、スヤスヤ寝てて」


 この台詞1つ取っても、俺と華音の心の純度の違いが浮き彫りになりそうでやだなぁ。


 ソファ完全に占拠されたやん……と思う俺とは対照的に、聖那さんの体にそっとブランケットをかけてあげる華音。朝飯はできていたけれど、「聖那さんの分は後で温め直そう」と言って気持ちリセットできちゃう所が尊敬でしかねえ。俺だったら叩き起こすけどな。悠馬がいつも俺にそうしているように。

 でも初対面、しかも(多分割と)年上のお姉さんにそんなんできるわけもなく(色んな男の人と繋がってそうで、単に報復が怖いということもある)、俺と華音は2人で静かに朝飯をとる。


「いただきます……うんめえっ。うんめぇっ!!」

「ほんと? ありがとう。京汰くんに褒められるの嬉しい!」


 華音は洋食モーニングでも和朝食でも良いらしい。今日は昨晩のお米が残っているので、和食なんだとか。

 ご飯に、わかめと豆腐の味噌汁に、肉じゃがと卵焼き。肉じゃがは作り置きして温め直したものらしく、味がじんわりと染み渡っている。華音の切った人参は乱切りだったけど、ちゃんと食べました。好きな女の子が作ると、苦手な食べ物も魔法の味になるよね。

 そして卵焼きは、絶妙なあまじょっぱさ。世間の卵焼き論争が塩味派か甘味派かにしか大別されない中、両者の武器を掛け合わせたサラブレッドである。今海外赴任中の俺の母親も、このタイプだったな。……好きな女の子の飯食ってママの味思い出すとか。あぁ、ママ会いたい。


「うまかったぁ。ご馳走様でした」

「味が大丈夫で良かった。おかわりあるけど、もし良かったら……いる?」

「マジで?」

「うん。多めに作っちゃったから」


 お、おかわり……!

 お言葉に甘えて、全てのメニューを少しずつおかわりさせていただく。

 華音がこちらに背を向けてよそってくれている間、俺はニヤつきを抑えることができなかった。ニヤつかずにいられる人類が、この世のどこにいるというのだろうか。


 あぁ、こんな光景、まるで、まるで……。


「なんか新婚みたい」

「ぎゃふっっ?!」


 お茶が気管に入りそうだった。あっぶねえ。

 俺の思考を華音が言葉にしちゃうなんて。


「え、大丈夫京汰くん?」

「う、うん、ちょっと気管に入りそうになっただけ」

「んもー、気をつけてよ?」


 はい、とお茶を注いでくれる嫁……ごっほん、華音。

 同棲するか結婚するかしたら、この光景が毎日……。世界が瞬いて見えるよ。今日も世界は美しい。


「京汰くん?」

「……あ、ありがとう! いただきます!」

「気をつけて食べてね」

「おぉ」


 俺はおかわりの分も綺麗に平らげた。料理もうまいとか、もう最高です。欠点が本当に見つからない。

 食器をキッチンに持っていき、せめてものお礼で洗おうとしたら、「京汰くんはゲストなんだから。座ってていいんだよ? 食べてくれただけで嬉しいんだもん」ととんでもなく可愛すぎるお言葉を賜ったので、俺は聖那さんの寝ているソファの横にちょこんと座った。その直後。


「どうでした? 2人きりの朝食は」

「ひっ?!……んぐっ」


 いつの間にか起きていた聖那さんに声をかけられ、俺は大声を上げそうになったが、手で口を塞がれる。すぐに口は解放されたが、俺は華音に聞こえないように聖那さんに言った。


「いつから起きてたんすか」

「んー、15分くらい前から狸寝入りだったよ。甘々だったじゃないの〜♡」

「マジかよ」


 好きな女の子の手料理って魔法の味するよね、と男目線のコメントを囁き、彼女はむっくりと起き上がった。「あ、聖那さん! おはようございます! 今から朝ご飯温めますね」と華音が言うと、「うわぁありがとう! お言葉に甘えていただきます♡」と上機嫌な返事。「この姐さん狸寝入りだったから!」と叫びそうになる直前、聖那さんは再び俺に囁いた。


「2人きりにさせてあげる私、なかなかの策士よね」

「自分で言うか」


 そうして聖那さんは秒速で食卓につき、「おいしーい♡」と瞬く間に朝ご飯を平らげ、「じゃあね! 華音ちゃんも京汰くんも、是非お店来て!」と言って去って行った。日中は健全なカフェらしい、本人曰く。


「なんか嵐みたいな人だったな……」

「うん。でもお隣さんが美人で明るくて、楽しい人で良かった!」


 華音は安心したらしい。まぁ隣人が気さくな女性というのは安心要素だろう。

 結局華音の部屋の謎は解けなかったが、「京汰くん、1日ありがとね」と華音に感謝されただけで大満足である。



 時に鼻歌なんて歌いながら帰宅すると、悠馬はテレビを見てくつろいでいた。お友達の小さな妖も一緒だ。紫色の手のひらサイズの妖は、俺を見て小さく手を振った。可愛い。

 俺が「ただいま」と言うと、悠馬は『おかえり』と言うだけだ。もしかして……朝帰りの意味を誤解されてる? それはありそうだな……。



 まぁとにかく、俺なりに華音の部屋の謎を解くことにしますか。

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