046 落下

りんごがポトリと落ちた。



言ってしまえばたったそれだけのことに、ある先人せんじんは興味を抱いたらしい。俺だったら気にもとめないだろう。とてつもなくお腹が空いていたら、食べてしまうかもしれない。それはさておき、もし落下の瞬間を見逃していたら、あるいはそのりんごが前日に収穫されてしまっていたら、壮大そうだいな物理法則の発見は遅れたのだろうか。


答えは、まあ、わからない。


FPSというゲームを始めていなかったら、俺はどうなっていたのだろうか。反応チートに気づくこともなく、プロゲーマーにもなっていないのだろうか。そんな世界線だったとしても、悠美ゆみさんとは出会っていてほしいのだが。



「はい。どうぞー。」



差し出された黄色いマグカップを受け取る。クマのイラストが入っている。かわいい。



「ありがとう…ございます。」



ちなみに俺は今、とても緊張している。なぜか。ここが悠美さんの部屋だから。





時は十数分ほどさかのぼる。


今日は楽しい楽しいデートの日だった。付き合い始めてどれくらい経っただろうか。最近、やっと手をつなげるようになった。手をつなぎながら、歩く帰り道。


少しでも一緒にいたいので、いつも通りの遠回りをした。それがあだになったというか、なんというか。思いっきり雨に降られてしまった。しかも土砂降り。



「わーっ!雨っ。」



あいにく傘の持ち合わせがない。幸いにしてタオルはあったので、ちょっと失礼して悠美さんにかぶせる。



「あ、ありがとうございます。」



そんなこんなでバタバタ。駅に戻ろうかとも思ったのだが、距離的に悠美さんのお家の方が近かった。



―――まあ…かさ借りて帰ろうかな。



そんな皮算用かわざんようをした結果、俺は今、悠美さんのお家でタオルにくるまれている。ぐるぐる巻き。狙ったわけではない。断じて。


悠美さんはというと、かわいらしい部屋着姿。…何をとは言わないが、見てはいない。断じて。



「降り止んだら、帰りますので…。」



マグカップをカイロがわりにしつつ、そうつぶやいた。自分でも信じられないほど小さな声で。



「じゃあ…ずっと、んでほしくないです…。」



悠美さんが隣に。こぶし1個分の距離。



「…悠美さ…っくしゅん!」



なぜ、今。



「んふふっ。ぎゅっ。」


「わっ…。」



こうやって抱きしめてもらえたのは、何年ぶりだろうか。


俺の両親は、仕事で世界中を飛び回っている。それは昔も同じ。シチュエーションも何も覚えていないけど、母さんに抱きしめられたとき、とってもあたたかくて、とっても安心したことだけは覚えている。


言葉にはしないけど、さみしかった。



「…悠美さん、俺…。」



感情を言葉にしかけたとき、強烈な睡魔すいまに襲われた。閉じたくないはずのが視界をさえぎる。あらがうことはできなかった。



コーヒーだろうか。苦みだけが、ほのかに残った。




――――――第一編 終了




――――――作者からのご報告



第一編、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


このお話は、落としてしまったトーストを途中で救いたいという、まあ、なんとも言えない作者の願望からうまれた作品です。トーストって、なぜ、ジャムとかバターを塗った面を下にして落ちてしまうのでしょうか。よく物を落とす作者からすると、結構切実な疑問だったりします。


それはさておきまして。第二編からは、大樹の冒険ストーリーをお届けしたいと思います。少しでも楽しい作品をお届けできるように努めますので、今後とも、よろしくお願いいたします。


 くるとん

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