第3話 先生と一緒にお話しよう!
「あー! きみが
ニコニコと特上のスマイルを向けてくれる彼女は、本当に今でも天使のように可愛らしい存在として僕の視界に映っていた。
ただ、冷静になってよく見てみると、散らかり放題の部屋と、パジャマに寝癖がぴょこんと生えたような恰好が見事にマッチしているせいで、彼女の天使力ステータス(?)も幾分減少してしまっていた。
もちろん、頭に天使の輪もなければ、白い翼も生えていない。
それでも、こうして面と向かって話していると、どうにも落ち着かない。
僕が女性と話をする機会なんて、姉さんと愛衣ちゃんくらいだったので耐性が備わっていないのだ。
「大丈夫、霧子ちゃんから話は聞いてるよ。わたしの家のお手伝いをしてくれるんだよねっ! これから宜しくね!」
「よ、宜しくおねがい……します」
用意されたクッションに正座をしていた僕は、思わず彼女の発言に流されるがまま、頭を下げていた。
「もう~、そんなに固くならなくていいのに~。年下の男の子って本当に可愛いっ!」
キャッ、と、今にも頭の上からハートマークが出てきそうなリアクションをする彼女に向かって、僕は今一度、自分を落ち着かせる為にも、色々と確認をしておくことにした。
「あ、あの……あなたが
「ふぉえ? あっ、そっか。霧子ちゃんはそっちの名前で紹介してたんだね。うん、わたしは七色咲月って名前でライトノベルを書いてるんだよ。あっ、ライトノベルって分かる?」
「は、はい。もちろんです……それに、先生が書いた『ヴァンラキ』も、全部読んでますっ!」
「ホントに!? ありがとうっ! そっかそっか、読んでくれてたのかぁ~」
そう呟くと、先生は嬉々とした様子で僕の手を握ってきた。
一瞬、ビクッと動いてしまったけれど、先生は気にせずにブンブンと手を振って喜びを表現していた。
ということは、やっぱりこの人が七色咲月先生で間違いないようだ。
それに、この流れだったら僕が『ヴァンラキ』のファンであることを伝えることが出来たし、用意した色紙を渡すチャンスだと思ったのだが、生憎と先生は僕から手を放して、別の話を始めてしまった。
「あ~、でも、あんまりこの名前で呼ばれるのはちょっと恥ずかしいんだよね。あと『先生』って呼ばれるのも苦手で……。だから、これからは『
「叶実?」
「うん、わたしの本名。『
「は、はい……分かりました」
僕としては、先生のことは『先生』と呼びたかったりしたのだけど(実はちょっと憧れていた)、そういえば作家さんの中には『先生』と呼ばれることを嫌う人もいると聞いたことがある。その人の自伝には「なんだか馬鹿にされているようで『先生』という呼び方は嫌いだ。むしろ悪意ある侮蔑が込められているようでならない」と書いてあって、彼女の場合はどんな理由かは分からないけれど、本人の希望だというのなら、従うべきなのだろう。
「では、これからは叶実……さん……て呼びますね」
ただ、やはり女性であり、さらには年上ということもあって、下の名前で呼ぶのはちょっと恥ずかしい。
今のだって、少し声が裏返っていたかもしれない。
「うんっ!」
しかし、彼女……叶実さんは満足してくれたのか、また屈託のない笑顔を浮かべてくれた。
「あっ、だったら、わたしはきみのことをなんて呼べばいいのかな? 良かったら、きみの名前を教えてもらってもいいかな? 霧子ちゃんの弟くん、って呼ぶのもいいかもしれないけど、できたら、わたしも名前で呼びたいな」
純粋な眼差しを向けてくるあたり、本当に僕の名前は教えられていなかったようだ。
姉さんのことだから、そういう事務的なことは伝えていない可能性が十分にあったので、僕も改めて自己紹介をする。
「えっ? あ、えっと……津久志です……瀬和、津久志……」
「津久志くん、かぁ。いい名前だね。なんだかカッコいい!」
「そ、そうですかね……?」
「うん! 自信もっていいと思うよ、津久志くん!」
人生で今まで名前を褒めてもらう機会などなかったので、なんだか妙な照れが生まれてしまった。
その後も、叶実さんは「つくし~、つっくし~、つっくしく~ん」と軽快なリズムで僕の名前を連呼するので、それを停止させるためにも、まだ聞きたかったことを尋ねることにした。
「あの、叶実さん……まずは、その、ごめんなさい。勝手に部屋に入っちゃって……」
今更感が否めないけれど、僕は叶実さんにもう一度頭を下げた。
「あ~、いいよ、いいよ~。それより、わたしのほうこそ、ごめんね。すっかり約束の時間まで寝過ごしちゃったみたいで」
ペロっ、と下を出しながら逆に謝罪されてしまった。
懐が深いのか危機管理が希薄なのか判断が難しいところではあったが、ひとまず僕にはお咎めなしということで安心した。
こればかりは、別に怒らないと言っていた姉さんの判断が正しかったようだ。
だが、それ以上に確認しなければいけないことが僕にはあるのだ。
「あの、叶実さん……この部屋で、い、一体何があったのでしょうか?」
「うん?」
僕の質問の意図が伝わっていなかったようで、叶実さんは瞼をパチパチさせながら首を傾げるだけだった。
「いえ、なんというか、その……色々と大変なことになってるっていうか……」
僕はもう一度、リビングの全体を見渡す。
そこには、どこもかしこも散らかり放題で、空き巣に入られたと言われたら誰もが信じるような光景が広がっていた。
「ああ~、そういうことかぁ~。えへへ、びっくりさせちゃったよね?」
僕の視線で叶実さんもピンと来たようで、気まずそうに頭の裏に手を置きながら答える。
「いやぁ~、一応ね。自分なりに片付けてはみたんだけど、さすがに全部は手が付けられなかったの。ちょっと散らかってるかもしれないけど、まぁ、気にしないで」
「ちょ、ちょっと?」
「うん。大分綺麗にはなったと思うんだけどね~」
えへへ~、と笑みを浮かべる叶実さんは、とても冗談を言ってるようには見えなかった。
う、嘘だろ……。
まさか、この物が散乱している現状がまだマシだとでも言うのだろうか?
だとしたら、姉さんが僕の力を借りようとした理由も、なんだか分かってきたような気がする。
「あの……叶実さん。僕から一つお願いがあるんですけど、いいでしょうか?」
「もちろん! 津久志くんの願いなら何でも聞くよ!」
たった数十分前に出会ったばかりなのに、この信頼度もどうかと思うのだが、僕はそんなことには一切ツッコミを入れずに、彼女に告げた。
「今すぐ、僕にこの部屋を掃除させてくれませんか!?」
自分でも驚くくらい、お腹から声が出た叫びだった。
確か、某作品の主人公も後輩の家にお呼ばれしたときに似たような台詞を言ったような気がするが、僕は自分がその状況を経験することで、やっと彼の気持ちが理解することができた気がする。
しかし、僕の緊迫した様子とは裏腹に、叶実さんは呆気らかんとした口調で答える。
「えっ? やだなぁ~、そんなに気にしなくていいよ。今日は顔合わせってことだったし、来たばっかりの津久志くんを働かせるわけにはいかないよ~。それよりもっと一緒にお喋りしよっ! あっ、そうだ。たしかこの辺に美味しいクッキーがあったような気が……」
そういうと、叶実さんは自分の横に積まれた段ボールの中身をガサゴソと漁り始めたのだが、僕はそれを遮って、叶実さんに告げた。
「いえ! このままじゃあ僕が落ち着かないんですっ! だから、今すぐに掃除させて下さいっ!」
言葉だけ聞いてしまうと、僕が下僕か何かだと勘違いされそうだが、それくらい僕はこの環境に耐えられなかったという意思の表れだと思って欲しい。
僕は決して潔癖症ではないけれど、さすがにこの部屋の凄惨な状況で、優雅にクッキーを食べながらお話など出来る自信がない。
「う、う~ん……そう? 津久志くんが、どうしてもっていうなら……お願いしてもいいかな?」
さすがに僕の必死な様子を汲み取ってくれたのか、叶実さんもオッケーサインを出してくれた。
「では、ひとまず、このリビングから片付けましょう」
僕は勢いよく立ち上がって、もう一度、部屋全体の間取りを確認する。
あちらこちらに積まれた段ボールの山が、まるで僕の行く手を阻む大きなオブジェに見えてきた。
なるほど、そっちがその気ならば仕方がない。
悪いけど、僕も少々本気を出させてもらうとしよう。
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