無能恋愛
夏目くちびる
起の章 【初めまして、女王さま】
恋愛の1 現世からの追放
× × ×
2021年3月1日、僕は異世界に転移した。
僕の転移した異世界の国『クレオ』では、女性の数が総人口のほとんどを締めている。理由は、現国王であるサロメ・
王家の末っ子として生まれた女王様は、幼い頃より兄と比較されたせいで強い劣等感を抱いていた。優秀な兄に時間を費やす父には甘える事が出来ず、彼女の監督役を務めた先々代の国王様も大変に厳しく、更には唯一の味方であった王妃様は早くに亡くなってしまったからだ。
そんなある日、先代国王と女王様の兄を乗せた他国へ旅する馬車を、突如として
「だが、私に涙などない」
二十三歳にして即位した女王様は、国民たちにそう言い放った。その表情は、まるで恨んだこの世のモノ全てに対する復讐心で、凶悪に歪んでいたという。
以来、国の実権を握った彼女は次々に法律の改定を行って、この国は男性の地位が皆無となってしまった。司法を含めた全ての行政を女性が牛耳るようになった三年目の今日まで、この国を象徴する王城は男子禁制の聖域となっている。誰が呼んだか、あの場所の通称はアガルタ(理想郷)の城だ。
当然、住みにくさを感じた男たちは国を棄てて他国へ移住した。そのせいで、クレオに残っている男は男娼か、老人だけだった。
迫害の対象になった男の妻も出ていったものだから、クレオの人口の減少は著しい。子供が生まれる事などあり得ないから、少子化はこの国の最重要課題の一つだ。
「じゃあ、なんでお兄ちゃんはこの国に住んでいるの?」
せっせと商売道具を運ぶ僕に、この国では中々珍しい小さな女の子が問いかける。異邦人だからか、それとも男性が珍しいからか。さっきからずっと質問攻めにされている。
「神様にね、女王様の機嫌を治してくれって頼まれたんだ。このままだと、いずれ世界が滅んでしまうんだって」
ここに来る前に出会った、神を名乗る女性は確かにそう言っていた。どうやら、女王様はいずれ他国の王にも憎悪を燃やすようになり、遂には国土を灰にしてしまうような古代魔法を各国に解き放つらしい。タイムリミットは、現在時点で九ヶ月程度。あまり、時間は残されていない。
この世界には、賢者と呼ばれる魔導師が5人存在していて、それぞれが世界の崩壊を招く破滅の魔法を所有している。彼らは、世界に選ばれた特異点とも言うべき存在であり、その一人がこのクレオに住んでいる。
元々国土も狭く、民は減り、兵士も失ったこの国が世界に危機を及ぼす原因はそれだ。破裂寸前の風船が、今か今かとその時を待っているのだ。言ってみれば、この世界は現在冷戦状態にあるのだろう。無論、僕と女王様以外に、その事実を知るものはいないのだけれど。
魔法とは、本当に厄介極まりない。たった一つの要素で、僕の知る政治も倫理も法則も、全て無意味となってしまうのだから。
「それで、お兄ちゃんはどこから来たの?」
「遠い所。日本って言う国から来たんだ」
「ふぅん。ニポンには、どうやったら行けるの?」
「それは、神様しか知らないんだ。女王様と仲良くならないと、教えて貰えないんだよ」
そうやって話をしていると、その子の母親と思われる女性がやって来て、強引に手を引いて離れていった。女王様の意識は、いつの間にかこの国の国民達にも根付いてしまっている。上に倣い、男は絶対の悪だという固定観念が生まれたからだ。
そもそも、家庭を持つ温厚な女性はすでに去っているのだから、残った国民が攻撃的な独裁思想に染まるのも当然の結果だ。侮蔑の目線には慣れたが、やはり気分のいいモノではない。
ここは、クレオの歓楽街『グリーンエメラルド・アベニュー』。町並みはビル群ではなく、あまり馴染みのないレンガや石の造りとなっている。中世のヨーロッパ的な風味を感じるが、魔法のエネルギーに最適化した結果の造形であるらしく、文明水準は前とほとんど変わらない。
様々な小売店や商業施設が立ち並ぶこの場所で、僕は『ペーパームーン雑貨店』という店を営んでいる。必要最低限の外交しか行わないクレオには、外国産の雑貨がほとんど存在していない。だから、月に一度隣国の『イスカ』へ出向いて、仕入れた商品を販売しているのだ。
僕の名前は
そんな僕が、何故この世界に連れてこられたのかは分からない。特別な力なんて持っていないし、顔だって精々中の上。仕事で鍛えた少しの交渉術と営業スマイルだけが、この世界での僕の武器だ。
……一年前の事。ベッドで眠って目覚めたら、この国の門の前に立っていた。
あまりの非現実感に、最初は夢の中の話なんだと思っていたのだが、そうではない事がすぐにわかった。その証拠に、時計の針はグルグルと回り続け、おまけにお腹だって空いてくる。しかし、食事をしようにも、訳もわからず向けられる侮蔑の視線と通じない言葉の連続で、お金を使うことすらできなかった。
路上での生活を余儀なくされて、濡れた小さいパンを路地裏のごみ箱から拾って食べたとき、自然と涙が流れたのを今でも忘れない。
なんて理不尽なんだと、毎日神様を恨んだ。しかし、同時にそれが全く無意味である事も理解していた。どれだけ僕が辛くたって、世界はどんどん遠ざかる。神様の話を信じる以外に道が無い事だって、悲しいくらいに現実だったのだ。
それに、滅びゆく世界の真ん中で、最後に孤独と後悔を噛みしめるのだけは、絶対に嫌だった。だったら、もし死なない為にできる事があるのなら、それに賭けるしかない筈だ。
だから、僕はこの世界で生きていくことを、あの空の三日月に誓ったのだ。
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