第13話

 昨日と変わらない部屋の中で、僕はまた匂いに顔をしかめた。この匂いに慣れる事は一生かかってもできないだろう。


「それで? どうだったのです?」


 待ちきれんといわんばかりに、黒く長いドレスの裾を引きずって、椅子まで歩んでいく。ふわりと腰掛けると、僕は麻袋を手渡し、その場に跪いた。


「ご覧の通りでございます。約束通り、僕の家族には手出しせぬようお願いいたします」


 こんな奴に跪くなと、少し屈辱であった。しかし今は耐えられる。不思議と気持ちも軽い。

 こんな城内の末端である猟師に騙されている醜い魔女がどんな顔をしているのだろうか、と顔を上げた。

 目に飛び込んできたのはまさしく、恍惚の表情であった。全てが自分の思い通りになる世界になったといわんばかりに、頬を赤め三日月のように口角を上げている。


「やりおったか! これで私が、私が世界で一番美しい! ようやく手に入れた! 魔術の頂上に立ち、国の頂上に立ち! 今、私は美の頂上に立ったのだ! ひゃあああぁああぁあ!」


 気の狂ったように僕が持っていた麻袋をひったくり、ぐつぐつと煮えたぎる鍋に心臓を放り込んだ。


「下がりなさい、キトラ。約束通り、私は貴方の家族には手は出しませんわ。この事を他言しないなら、ですけどね」


 部屋を後にして、僕は玉座の間へと向かった。兵は僕の顔を見て、すぐに扉を開けてくれた。中にはメイドが膝を着いて頭を垂れている。

 玉座まで駆け寄り、必死に訴えかけた。

 森で姫様が迷子になってしまった事。ようやく見つけられたと思ったら、猪が襲ってきてそれを撃った事。

 そしてその銃声に驚いて、また遠くへ走り去ってしまった事。

 僕の訴えは届き、国王は堪えるように命令を下した。


「キトラ。お主はもう何年も前から知っておる。だからこそ、お主には命令を下す。テレジーナを、見つけ出すのだ」


 はっ、と心臓部分に手を当て、僕はひとまず城を後にした。くたくたな足を引きずり、なんとか家に辿り着いた。

 子供たちの出迎えのみで、ラオはいない。まだ店だろう。まだ夕日の頭が見えている。

 店には弟子が住み込みで働いており、大体はその弟子に品出しや後片付けを任している。

 だからきっと仕込みを終えれば帰ってくるだろうと見越し、遊んで欲しそうな子供たちに詫びを入れ、僕はさっさと二階へと上がった。

 いつもよりも早い帰宅だというのに、こんなにも疲れきっている。

 あらゆる人を騙し、でも命は救ったという安堵感のせいか、一気に来た眠気に引き摺り込まれていった。

 



 突然の落下する感覚に、僕はたまらず目を覚ました。

 窓からは明朝の光が弱く入り込んでいる。あのまま深く眠り込んだらしい。隣にはラオが幸せそうに寝息を立てている。まだ子供たちも起きていないだろう。

 寝ぼけた頭を必死に起こして一階に降りると、テーブルの上には簡単なサンドイッチが乗っていた。

 小さな虫や埃から守れるように、籠が被せられている。その傍にメモが置いてあった。


『お疲れ様でした。ご飯置いてあるので食べてくださいね。ラオ』


 妻からの愛情が詰まった料理に手を伸ばそうとした時、世界は突然暗転した。


 全てが闇に包まれ、自分の手や足ははっきりと見えるが、どこまでも続く闇に戸惑う。

 目の前にあったサンドイッチはなく、そもそもここは本当に我が家なのだろうかとさえ思う。

 それともまだ夢を見ていて、覚めていないだけだろうか。どちらにせよ、薄気味悪い事は確か。


 すると浮かび上がったのは、いつぞやの鏡の中の誰か。その隣にはハッセンが立っている。


「キトラ。お前は私に嘘をつきましたね」


「そんな、そんな訳ないじゃないですか。ちゃんと心臓はあなた様に……」


 白い布を被った、誰ともわからぬそれは口を開いた。


「テレジーナ姫様は生きておられます。あの心臓は猪の物です。今は森の奥深くにある小人の家で暮らし、健やかに暮らしております」


 さあ、と血の気の引く音がした。どうする、どうする、どうする……!


「お前には失望しましたわ。でも、私も鬼ではありませんわ。キトラの最も愛する妻、いえ、息子の命をもらいましょう。子供の心臓は若返りに大変役立ちますもの。ほっほっほっほっほ!」


 引き戻される現実。ぐらぐらと揺れる視界。胃の中の全てが戻ってきそうな感覚。

 しかし目の前には確かに、ラオの作ったサンドイッチがある。 


 あぁ、魔女は僕に何といっていた? そうだ、息子を一人貰い受けると、そういっていたな。


 事を理解するや否や僕はようやく自分の足を動かして二階へ駆け上がった。

 子供が危ない。もう既に居ないかもしれない。やめてくれ。頼む、無事で居てくれ……!

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