第1話 メイド・in・異世界《ファンタジア》 その2
エリザベート・ドラクリア・バラスタインが〔
父が死んでから、もうすぐ一年になる。
あの日――竜翼騎士団48騎と、ルシャワール帝国軍三万八千が衝突したバラスタイン会戦にて両軍は大きな損害を被った。王国側は騎士43騎、随伴魔導士348名が討ち死に、帝国軍は三万もの将兵を失ったことで、両国の休戦協定へと繋がったのだ。
その際に王政府は、帝国がすでに占領下に置いていたバラスタイン平原を含むガルバディア山脈以南を帝国へ割譲。残ったバラスタイン辺境伯領北部も『統治能力不足』を名目に、そのほとんどを召し上げた。それらは大貴族たちに分配され、彼らの間で高まりつつあった王政府への不満を逸らすことに使われた。
帝国と大貴族たちに食い散らかされたバラスタイン家は、もはや辺境伯とは名ばかりの騎士侯以下の存在だ。そこに『西の古竜』と恐れられたかつての面影はない。
――だが。
それでもエリザベート・ドラクリア・バラスタインは父を誇りに思っている。
騎士と領地を失いはしたが、民を守り、拡大しつつあった戦争を止めたのだから。
たとえ、バラスタイン家唯一の生き残りであるエリザのもとに残されたのが、時代遅れの古城とその城下町だけだったとしても。
その古城――町の名から『チェルノート』と名付けられた城の地下蔵で、エリザはひとつの棺と向き合っていた。
父が言い残した『塊鉄炉の印』の押された棺である。
石造りの薄暗い地下蔵はその広さに反して、まったく物が無い。かつての領地にあったものはほとんどが召し上げられてしまったし、それ以外のものはエリザ自身が生活費のために売り払ってしまったからだ。本当なら天井の魔導灯すら点けたくないほどの貧乏貴族。唯一の城下町から納められる税は町の維持運営費で消え、王政府からの俸禄はメイドひとり雇えないほどの額しか与えられない。はっきり言って日々の食事にも困る有様なのだ。エリザが空腹を覚えなかった日など、あれから一日だって無い。
それでもエリザが棺の中身を売らなかったのは、その度に父の言葉が理由だ。
『ひとりで民のために戦わねばならぬ時は、塊鉄炉の印が押された棺を開きなさい』
そして〝その時〟とは今日のことだったのだ。
「まあ、それがまさか魂魄人形だとは思わなかったけど……」
エリザは棺の中から取り出した魔導書をパラパラとめくりながら呟く。
棺の中には等身大の女性型人形が納められていた。白木と球体関節で構成された少し大柄な身体に、軟樹脂の皮が被せられた面。太陽を思わせるショートカットの赤髪が目を引く以外は、総じて
――だがその価値は自動人形を遥かに凌駕する。
それは失われた魔導式によって鋳造された、錬金術師たちの秘技の結晶。発掘された魂魄人形がオークションにかけられると、町一つをやり取りするような値段が付くという。 ……正直、棺の中身を知っていたら空腹に負けて売っていたかもしれない。図らずも父の言葉が、今日この時の危機を乗り越えるチャンスに繋がったのだ。
エリザは魔導書に従って、魂魄人形の起動式を組み上げていく。
胸殻を開き、核となっている畜魔石にエリザの
ただ、魂魄人形の起動はここからが問題だ。
――死者の魂を、呼び寄せるのである。
魂魄人形は自動人形とは異なり、蓄えられた魔力で動くわけではない。核となる畜魔石に死者の魂を定着させることで、新しい生命として再誕させるのだ。『
そして何よりの問題は、ここから先については魔導書も成功を保証していないことだ。
死者といえど意思がある。相手の同意があればこそ死者の魂を呼び寄せられるのだ――と、魔導書は語る。つまり応える者がいなければ、魂魄人形は目を覚まさない。そして次に儀式を行えるのは棺に大魔が溜まる数年後。失敗は許されない。
――でも、やるしかない。エリザは意を決して魔導書に記された
「死にゆく者よ、いま一度、その魂を役立てて欲しい――」
エリザは自身の個魔力に意志という方向性を与え、魂魄人形へと言霊を投げかける。魔導書が、エリザのブリタリカ公用語を原初の統一言語へと
「――死後、我を主人とし尽くすのならば、汝の欲するものを与えん」
たった二節の式言。契約の文言の短さに反して、その意味は非常に重い。
エリザは祈るような気持ちで、個魔力を通し続ける。
と、
「――ッ! 来た、」
エリザから流すばかりだった個魔力が、大きな魔力に押し戻される感触。死者の魂は、人そのものが魔力へと変換されたようなものだと聞く。ならコレが『魂』なのだろう。
蓄魔石の中で、エリザの個魔力と召喚された魂魄が持つ魔力とが干渉し合って光を溢れさせる。〔魔導干渉光〕と呼ばれるソレはみるみる強さを増し、やがて小さな太陽となって地下蔵を白く染め上げた。
――魂が、定着したのだ。
途端、役目を終えた魔導陣から順に棺へと折り畳まれ、干渉光も収束していく。数瞬後にはあっけなく光は消え去って、術式の完了を示すように魂魄人形の胸殻がパタリ、と閉じられた。
エリザは息を呑む。
魔導書に記された通りなら、これで魂の定着は完了。今は魂が魂魄人形の素体を動かせるように同調させている段階のはずだ。しばらくすれば、この魂魄人形は動き出す。
まだか。
エリザは不安に駆られ、棺の中を覗き込み――
――――瞬間、魂魄人形の紅玉色の瞳が開かれた。
バッチリ、目が合った。
「…………」
「お、おはようございまーす……?」
呆けたようにエリザを見つめる魂魄人形へ、エリザは笑いかける。
と、唐突に魂魄人形が目を見開いて、
「――北軍ッ!?」
「ホクグン? ――って、うぇええッ?」
聞きなれない単語を叫んだかと思うと、魂魄人形はエリザへ飛びかかる。何が起こっているのか分からぬままエリザはうつ伏せに押し倒され、右腕を捻りあげられた。「い、痛い! 痛いってば!」エリザの訴えを無視して、魂魄人形は装甲した騎士のような腕力でエリザを押さえつけた。
エリザの背後で魂魄人形がせわしなく周囲を窺う気配が伝わってくる。自分がどこにいるのか分からず困惑しているのだろう。しばらくすると魂魄人形はエリザの耳元へ口を寄せ「おい、ニホン語が分かるのか? 帰化民か?」と問いかけてきた。
「ニホンゴ? ごめんなさい、その単語は知らないわ。あなたの国の言葉?」
「お前何言って――」
と、急に魂魄人形は口を閉ざす。
エリザの言葉が理解できるだけでなく、自分の口から知らない言語が飛び出していることに気付いたのだろう。
魔導書によれば魂魄人形との意思疎通を円滑に行うため、現代で扱われている言語知識を死者の魂へ付与するらしい。冥界には国や人種や種族に関係なくあらゆる魂が集積されている。起動した魂魄人形がブリタリカ公用語を話す確率の方がよほど低いからだ。
それでもブリタリカ公用語に存在しない単語は、元の言語のまま発せられることになる。『ホクグン』や『ニホンゴ』といった概念が、おそらく現代には残っていないのだろう。
魂魄人形が問う。
「何なんだ……こんな言葉、オレは知らないぞ……」
「ねえ、わたしはあなたを傷つけたりしないわ。解放してくれないかしら」
「無理だ、このまま質問に答えろ。――そうだ、場所だ。ここは何処だ?」
言いながら、魂魄人形はエリザの身体を服の上から叩くように触り始めた。武器か何かを持っていないか調べているのか。もしかしたら生前は騎士か魔導士だったのかもしれない。声は女性のものだが、騎士や魔導士は性別よりも才能が重視されるからあり得る話だ。
「……ブリタリカ王国、バラスタイン辺境伯領、チェルノートよ」
「王国? 知らないな。お前の顔立ちからして東欧か?」
「――あなた、ブリタリカを知らないの?」
今度はエリザが驚く番だった。
ブリタリカ王国の歴史は千年を超える。人類種すべてと魔族すべてがぶつかり合った千年前の『人魔大戦』において活躍した〔十三騎士〕が作った王国なのだ。それを知らないということは、この女性が死んだのは千年以上前ということになる。
――だが、それはありえない。
魂というものは、死んで肉体という器を失ってしまうと急速に劣化していく。冥界の渦に送られて人格が保てるのはせいぜい百年前後。千年も前の魂が、ここまでハッキリとした意識を持っているはずがない。
そもそも『トーオー』などという地域を、貴族として歴史や地政学を学んできたエリザでさえ聞いたことがなかった。家庭教師すら知らないような、どこか遠くの国なのか。
それとも――
ふと、エリザの頭にひらめくものがあった。
「……あなた、〝ファンタジア〟の人間なの?」
「ふぁんたじあ?」
「このままでいいから、自分の腕を見てみてくれない?」
途端、エリザの背後から「うわぁ」という情けない声があがり、背中に覆いかぶさっていた重みが消える。驚いた魂魄人形が飛び上がり、距離をとるように後ずさったのだ。
ようやく解放されたエリザは痛む肩や腕をさすりながら立ち上がる。そして自身を見下ろして混乱する魂魄人形の少女を落ち着かせるため、優しく微笑んでみせた。
「落ち着いて。わたしはあなたの敵じゃないわ」
「おい! オレに何をしたんだ!?」
「死んだあなたの魂を、魔導式で魂魄人形に定着させたの」
「……なに言ってんだお前――オレが死んだ? まど、うしき?」
困惑する魂魄人形の顔を見て、エリザは確信する。
どうやらわたしは冥界からではなく――
――――『異世界』から魂を呼び寄せてしまったらしい。
「やっちゃった……」
エリザは一人、天を仰ぐ。
今日は、領民の生活がかかった大切な日だった。
万全を期して臨みたかった。唯一の気がかりを解消するため、魂魄人形を起動した。
どうしても手伝って欲しいことがあったから。
…………けれど流石に、異世界の死者には難しい。
存在は確信されているが、誰も見たことのない此処とは異なる世界――『異世界』。
魔導式すら存在しない不可思議な世界から呼び寄せられた人間に、いきなり頼み事をするのはあまりに酷だ。まずは事情を説明し、この世界の事を理解して貰うべきだろう。そうして少し落ち着いた相手に、「もしよければ」と交渉すべきだ。
でも、
「ごめんなさい!」
もう他に手はないのも事実なのだ。
エリザは困惑の表情を浮かべる魂魄人形の両肩を掴んで、頭を下げる。
「無理を承知で頼みたいことがあるの!」
「あぁ!? な、なんだよ……」
エリザの気迫にたじろぐ魂魄人形。泳ぐ
ずっと見ていたいという気持ちを呑み込んで――エリザは厳かに、その頼みを告げた。
「今日一日、わたしのメイドになってくれないかしら」
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