第4話

 目が覚めると今日体験したことは全て夢で、目の前にあるのは平らな……天井だった。

 ちょっと視線を下にすると見慣れないおっぱいがそこにある。


「やっぱり夢じゃなかったか……」


 身体に起きた謎の異変、勇者を自称する男、極めつけは乳首からビーム。絶対ちくビームとか言われて拡散されてる。死にたい。


町尾まちお、起きてるか? 入るぞ?」


 ドアの向こうから聞こえた渋い声は上司の犬飼いぬかい(いぬかい)さんだ。


「あ、はい。どうぞ」


「なんていうか、その、大変だったな……」


 犬飼いぬかいさんは私と目を合わせずに言葉を掛けてくれた。

「……自分でも何がなんだかって感じで」


「まあ、なんだ。こんな日もあるだろう」

 おっぱいをチラ見しながらどうにかフォローしてくれようとする犬飼いぬかいさんの優しが逆に辛い。


「それで結局、あの勇者コスプレ男はどうなったんですか? 周りへの被害とか」


 自分の意思とは無関係だったとはいえ、あんなすごいものを出してしまった責任は問われるものと腹をくくった。


「それなんだが、被害は町尾まちおの服が破れたくらいで人的被害はなし。正確にはコスプレ男が吹っ飛んでいったという目撃情報があるが、ケガ人の情報は入ってきていない」


「……そうですか。ひとまず安心……ん?」


 犬飼いぬかいさん、私の服が破れたって言った?


「私の服が破れたってどのように?」


 職業柄ちゃんと真実を知っておかないとモヤモヤする。自分の想像と事実が違うってことも多々あるし。


町尾まちお、知らない方がいいこともあると思うぞ」


 犬飼いぬかいさんが非常に申し訳なさそうな表情で諭す。


「いえ、知りたいです。何も知らないまま揶揄されるくらいなら、ちゃんと真実を知った上で受け止めたいです」


「……いいんだな?」


「はい」


 犬飼いぬかいさんがここまで引っ張るということはきっと私の想像通りの現象が起きていたに違いない。


「……胸の部分の布が綺麗になくなっていた」


ああ、やっぱりそうですよね。という言葉が口から出て来なかった。絶句とはこういう状態をいうのだろう。


「写真もできる限り削除させたんだが、ネットの拡散力に我々の力は及ばなかった。すまない」


 悪いのは犬飼いぬかいさんじゃないです。頭に浮かんだ言葉を発信する力を失っていた。


「器物の破損もないし、不可抗力による露出のため公然わいせつにも問われない。町尾まちおの身体は綺麗なままだ。良かったな」


 何かの罪に問われないのは不幸中の幸いというやつなんだろう。巨乳になった日に公然わいせつ罪で捕まったら一生笑い者だ。


「ああ、それとな。お前の胸なんだが、検査結果は特に異常はないそうだ。勝手に検査に回すのは悪いと思ったがビームなんて出されたら心配なんでな。事後報告になってしまって申し訳ない」


「あ、その、ありがとうございます」


 ようやく口から絞り出せたのは感謝の言葉だけだった。あまりに突飛な出来事なのに可能な限りのことをやってくれた犬飼いぬかいさんには本当に感謝しかない。


「ひとまず今日は病院で休んでいけ。もし何か異常があればすぐに診てもらえるしな」


「はい。そうします。いろいろありがとうございました」


「これからいろいろ言われるかもしれないが、何の罪も背負ってないことを忘れるなよ」


 犬飼いぬかいさんの言葉に私は黙ってうなずくことしかできなかった。きっとこの言葉が私を支えてくれるはずだ。


「それじゃあお大事に」


 今後の進退については何も触れず犬飼いぬかいさんは病室を後にした。私自身、これからも警察官を続けるのか、辞めて遠くの地へ行くのか、そんなことを考える余裕もなかったのでとてもありがたい。


「遠くに行っても世界中に私のおっぱいが晒されてるんだよね……」


 昨日までは存在しなかった自分の膨らみにそっと手を当てると、あの時のようにおっぱいが激しく動き出した・


「えっ⁉ なにこれ」


「それは余のセリフだ。なぜ貴様の乳房になっておるのだ」


 ストレスで耳がおかしくなったのか。変な声が聞こえる。おっぱいが動いて見えるのも目の錯覚かもしれない。今日はいろいろ起きて思っている以上に疲れてるんだ。早く寝よう。


「おい! 待て! 無視するな! 余は歴代最強の魔王であるぞ」


 まるで今の私を見ているかのような声はさっきよりも大きくなっている。幻聴で結構リアルなのね。勉強になったわ。


「余がせっかく貴様のような平民に声を掛けてやっているというに……ならばこれで余の存在をわからせやる!」


 おっぱいが押し付けられたようにギューっと縮んだかと思えば、次の瞬間ビヨヨーーーンっと伸びた。まるでロケットが発射されたかのような勢いで伸びたおっぱいは身体もろとも身体を宙に浮かせる。


 しかしその勢いは長くは続かなかった。一瞬だけ浮き上がった身体はすぐさま重力に従いベッドに落下した。


ズドン!


 そこそこ良いベッドなのにも関わらず、その衝撃を吸収しきれず病院らしからぬ大きな音を出してしまった。


「いたた。異常なしってウソでしょ」


「ふん。これで余の存在に気付いたか? 愚かな人間め」


 まさかそんなことがあるはずないと思って信じられなかったけど、やっぱりそう

だ。これが事実なんだと信じるしかない。


「あの、もしかして、さっきからおっぱいが喋ってます?」


 ぬいぐるみと喋る経験はあっても、おっぱいに喋るのは初めてだった。おっぱいなかったし。


「ようやく理解したか。余は魔王サタ・マストス。異世界より転生した魔王である」

 異世界? 魔王? そういうのって、仮にあるとすれば私が転生する側じゃない?


「えーっと、その魔王様がどうして私の胸に?」


「魔王というのはな、どんなに強くなっても勇者に負けるのだ」


「は、はあ……」


 自称魔王のおっぱいは哀愁を漂わせながら語り始めた。


「余はな、自分の力におごり高ぶることなく鍛錬を積んで歴代最強最悪の魔王と呼ばれておった。だが、それに対抗するかのように勇者も過去に類を見ない強さを身に付けおったのだ」


「お互い良いライバルって感じですね」


「でも負け確はあんまりだ。そして余は考えた。勇者のいない異世界に転生すれば余は無双できると。巷で流行っている異世界転生モノみたいに輝かしい魔王まおうせいを送れると!」


「……要は勇者から逃げてきたってことですか?」


「逃げてはおらぬ! 戦略的撤退だ。勇者に倒されるところまで計画通りだし」


「それで私のおっぱいになるのは計画通りだったんですか?」


 魔王とか勇者とはひとまず置いておこう。なぜ私の胸にやってきたのか。それが問題だ。


「……異世界転生モノって、だいたい予期せぬものに転生するだろ?」


「つまり、なんで今おっぱいになってるのか自分でもわからないんですね? なんか

偉そうな態度だけど、私の身体の一部になってるんですね?」


「……はい」


 最初は高圧的な態度だった魔王も事情を話すうちにだんだんと塩らしくなってきた。とてもじゃないけど世界征服なんて無理そうだけど、少なくとも私の人生は魔王によってめちゃくちゃにされている。


「それで魔王様はこれからどうするの? 私は世界征服の手伝いなんてしないわよ。警察官だし」


「なに? 警察官だと? たしか異世界の王国軍のような存在だったか。フフフ、おもしろい。その警察官を懐柔できれば余の天下も同然!」


「盛り上がってるところ悪いけど、おっぱいに何ができるの?」


 ビームを出したり私の身体を引っ張ったり、何もできないわけではない。ただ、警察やその他軍隊に勝てるとはこれっぽっちも思えない。


「余を見くびるでない。余は鍛錬の大切を知っておる。これから貴様と共に再び最強の座へと……むぎゅっ!」


 おっぱいを力強く握り締めるとおっぱいは黙った。自分にもちょっとダメージはあるけど、魔王にマウントを取れることがわかったのは大きい。


「何をする! 魔王である余の口を塞ぐとはなんたる不敬ふけい!」


「私みたいな女性警官って昔は婦警ふけいって呼ばれてたからね」


「は? 何を言っておる」


「ごめん。今のは忘れて」


 別の世界から来た魔王に日本語のダジャレは通じないか。


「それで、私と共にってどういうこと?」


「そのままの意味だ。余の力をもってすれば貴様の身体を操ることなど容易

《たやす》い。ほら、このように……んむぐっ!」


 おっぱいの動きを先読みして予め思い切り鷲掴わしづかみにしてみた。


「ふふ、やっぱり。こうやって手で押さえればあなたは動けない」


「そのように力で押さえつけるとは魔王のようなやつめ!」


「警察官が悪い人を拘束するのは当然のことですから」


「ぐぬぬ……っ! なんと厄介な場所に転生してしまったのだ。だが覚えておれ、必ず貴様を懐柔してくれる」


「まあ精々頑張りなさい。そうそう、家に帰ったら大きいブラが届くはずだからずっと拘束状態だと思っててね」


「ブ、ブラ⁉ なんだそれは? この世界では魔王の力を封じられるものがそんなに簡単に手に入るのか?」


 自分が拘束状態になると知ったおっぱいが激しく動くので痛いのを我慢して押さえつけた。


「はいはい。魔王様、大人しくしてください」


 巨乳に慣れるにはもう少し時間が掛かりそうだけど魔王はひとまずどうにかなりそうで安堵していた。


「人間め、今に見ていろ。力で抑えつけるだけが魔王と思うなよ。フフフ、強気な女が闇に堕ちる姿を見るのが楽しみだ」

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