第千二百二十九話・寺社の変革
Side:柳生家厳
尾張に来て一息ついた。ここは柳生の地と比べるのもおこがましいほど賑やかで栄えておる国だな。
久遠の殿からは隠居をしてもよいと言うていただいたものの、まだまだ老け込むつもりはない。なにかお役目をとお頼み申すと、ひとまず領内を見て回ることを命じられた。
聞けば他国からの新参者は皆、同じなのだそうだ。当然といえば当然のことか。領内を知らねば役目にも障るからの。ただ、織田の所領は広い。ひとまず尾張南郡を知らねばと歩いておるが、珍しきことや驚くことばかりだ。
「所領がないということは楽でよいの」
「はっ、まことでございますな」
家臣らとあちこち歩いており、今日は熱田に来ておる。
尾張においては国人領主がおらぬ。従って煩わしい関所もなく、人の往来が多いので余所者だからと襲われることもない。道は整い、川に橋も架かっておる。大和とはすべてにおいて違うわ。
「お初にお目にかかりまする。柳生家厳でございまする」
「よく来てくれましたわ。そうね、紅茶でもいかがかしら?」
「はっ、ありがたく頂戴致しまする」
熱田にある御家の屋敷に挨拶に参った。皆、忙しいようだが、子を産んだばかりの桔梗の方様に目通りを許された。
心地よい風が入る中で、紅茶という久遠家にしかない茶を頂く。以前、殿から贈っていただいたものを飲んだことがあるが、それと比べると香りや味が少し違うか?
「この茶はね。淹れ方も重要なのよ」
「左様でございまするか」
「あと、作法などは気にしなくていいのよ。これは当家の茶なの。思うままに楽にして味わっていいわ」
ふむ、作法よりも茶の淹れ方を重んじるか。権威や形式よりも実を求める。見習うべきなのかもしれぬな。
「近頃の大和はいかなる国なのかしら?」
「大和守護の興福寺を筆頭に筒井や越智などの大和四家が治めておりまする。いずこも同じでございましょうが、争いは絶えぬ地でございまするな。特に筒井の先代様が身罷られて以降は、いささか先行きが見えませぬ」
茶を飲みながら少しばかり大和のことを話して、桔梗の方様との目通りは終わった。
面白いと思うたのは、武士や寺社のことよりも大和の産物などを聞かれたことか。なにがあってなにを求めておるのか。久遠家ではそのようなことを知りたいのだと教えていただいた。
久遠家は武家であり商家でもあるか。おかげで大和柳生家は大和での地位を確かなものとした。大和でも鄙びた地が所領なのだ。吹けば飛ぶような身分なのだがな。久遠家の御配慮で近隣の者も誰も手を出せぬ地となった。
まことに面白いことよ。残りの生涯をこの地で生きてみたいと心から思うほどにな。
Side:久遠一馬
津島神社と熱田神社、それと願証寺の尾張と美濃にある末寺の寺領の扱いについて決まった。
寺領という形をなくすことで調整がついたんだ。代わりに公儀から領地の実入りに準じた運営金の支給をすることになる。さらに今後は医療活動や寺子屋といった行政サービスの褒美も明確に支給する。
ただし、それぞれ神事や法事に奉納する米を生産する神田や仏供田、一部自分たちが食べる分の田畑は残すことになった。神田や仏供田に関しては無税になるものの、自分たちが食べる分の田畑は別途税を納める側になることで合意したんだ。
モデルケースとなったのはウチの牧場だ。税を払う側になるけど農地を管理生産することは出来る。米の生産量も増えているし、自分たちが食べる米くらいは作りたいという意見が結構根強いらしい。
あと医療活動や寺子屋などを含めた、寺社の監査についても意見交換をした。
寺社が地域の中核であることは現時点ではすぐには変えられない。オレたちは学校や病院に公園や運動公園を作ったりと、寺社が中核にならなくてもいいような政策を進めているけど、それが全国に普及して定着するまでには数世紀はかかるだろう。
現状では寺社奉行の管轄下で監査役を設けることにした。ただ、寺子屋は学校の教師陣の指導が要るし、医療活動は病院の医師の指導が要る。これを機会に多くの部署と交流をして互いに協力していく体制が望ましい。
オレたちがいる間に、その形だけはなんとか作り上げたい。
「したたかで貪欲だよね。寺社は」
一連の交渉で津島神社と熱田神社は生産側になる可能性を残した。もともと僧坊酒のように寺社が生産する側である時代だ。武家であり商家であるウチと同じように、寺社であり商家のような形を模索しているようでもある。
「収入がなければ寺社も困りますからな。公儀からの禄だけというのは、いざという時に困ると考えておるのでしょう」
湊屋さんの言う通りなんだろう。自前で自由になるお金はやはり欲しいのが当然だ。今日は無量寿院との極秘の商いの報告にきているけど、この流れをある程度読んでいたらしいね。
実際、信光さんは酒造りなどで大きな利益を上げている。水軍衆は養殖や輸送などもしている。税を取ることが出来なくなることを受け入れた人たちは、次の糧を探しているようでもある。
「良い流れですよ。皆が世の一員として生きる。そうしなければ、争いになりますので」
エルもホッとしている。本業に専念もいいだろう。だけど宗教に限らず、人が社会から孤立するとろくなことをしないというのが、歴史を見ても明らかだからね。
「殿、六角殿はいかがするのでございましょうか」
「詫びを求めることくらいはするだろうけど、密売は止めないと思うよ」
湊屋さんが気にしているのは、六角と無量寿院の関係だった。あそこが対立すると、周りのみんなが無量寿院の銭で潤っている仕組みが崩壊するからな。
援軍からの報告にあったけど、無量寿院の僧が随分と好き勝手なことを言って煽ったらしいんだよね。ただ、謀とかいうレベルじゃない。深く考えていないような行動だ。
北伊勢にある無量寿院の末寺も蜂起の準備なんかしていなかったし、飢えたところとかが勝手に動いただけだ。一部の坊さんが勝手に動いていただけだろう。
「ならば懸念は宇治と山田でございましょう」
「大湊が気にしているの?」
「はっ、堺の鉄砲や武具など、こちらが禁じておる品を無量寿院に流しているようでございます」
あそこはねぇ。表向きは争う意思がないという態度だけど、結構えげつない。こちらのお願いを無視しているからな。まあ、彼らの動きがこの時代の商人の標準なんだけど。
北畠と六角の横流しも気付いたようで、自分たちもとやっているみたい。大湊の会合衆にはこちらの策だと教えてあるけど、あそこには教えてないからなぁ。
「放置しても構いませんよ。あそこは北畠が押さえるにはもう少し時が必要です」
ろくなことしないなと悩むも、エルが言うようにあそこは北畠の領内にある。一応、北畠には従っているんだけどね。その分、こちらのお願いは聞いてくれない。
まあ、オレたちは義信君の上洛もあるから、今はあまり問題を増やしたくないところもある。しばらくは放置だね。その分、後でしっかり報いを受けてもらおう。
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