第千百七十三話・手合わせの戦い方

Side:ジュリア


 少しばかり散歩に出て学校に来ると面白いところに出くわしたね。


「さすがだね。先生」


「なあに、年の功というやつじゃよ。この歳まで諸国を巡っておると、そういう知恵がなくば困るのでな」


 胤栄殿は史実の資料だと確か三十過ぎだったね。元の世界の基準なら肉体的には全盛期を越えたくらいだけど、この時代は五十前後が生体寿命と言われる。


 生存環境が悪いから、当人に自覚はなくても肉体的には下り坂に入っているだろうね。技術的に円熟期を迎えるのはこれからだ。肉体と技術の狭間、どんな強さを見せてくれるんだろうねぇ。


 見てみたい。多分、先生の思惑もそこだろう。断ったところで問題ない。ただ、誰よりも強くありたいと思うのは、武芸に生きる者の性(さが)だろうね。


 先生も新介もアタシも槍だって使える。元の世界だとあまり知られていないが、鹿島新當流には槍術もあるからね。この時代だと武芸は一芸を追求するというよりは生き残るための武術だ。ルールのあるスポーツなんかじゃない。


 だからこそ……、槍でこの人ありと言われたその力量を見てみたい。


「木刀でいいのですか?」


「子らに見せるにはそのほうが得るものが多かろうと思いますので」


 支度をするために一旦校舎に入った胤栄殿を待つ間に新介は木刀を手にしていた。達人同士の手合わせになると得物の差は大きく影響する。セレスが少し驚いた様子で理由を聞いたが、勝ち負けよりも子供たちのことを考えたんだね。


 間合いの長い分、槍は刀よりも有利であることは確かだよ。ただ槍は雑兵のものならば叩くために使うが、武士が使う上物ならば突くことを主とした武器になる。


 アタシや先生なら木刀でも槍に勝てるだろうけど、新介はどうするのかね。


「お待たせ致しました」


 胤栄殿の得物は学校で使っている鍛練用のたんぽ槍だった。先に綿を詰めたもので子供たちでも安全な代物だ。噂の十文字槍じゃないね。


 両者が向き合うと、子供たちが静まり返った。いい教育しているよ。みんな真剣な眼差しだ。


 校庭の真ん中で始まった模範試合に、教師陣や授業を受けていた大人の生徒たちも集まっている。


 胤栄殿というより新介がそれだけ注目される立場なんだよね。


「いざ参る!」


 両者ともに得物を構えた。


 互いに相手を見定めようと、しばしの間が空いたのちに、先に動いたのは胤栄殿だった。基本的な動きで新介を突く。


 強い。槍の使い方も体の動きもよく鍛練を積んだものだ。


 新介は一歩引いてそれをかわした。十文字槍とは違うからねぇ。慣れない鍛練用の槍だと付け入る隙はある。新介は気付くかね。


「あの男、強うございますな」


 ちょうど学校で武芸を教えていた菊丸も驚く中、胤栄殿の連続する突きを新介は身のこなしと木刀でかわしていく。双方共に様子見だね。相手の力量をみて楽しんでいるのが分かる。


「噂以上であるな。さすがは尾張一と言われるだけのことはある」


「塚原殿はわしより強いぞ。本気で挑んで負けたからな」


 体も温まってきたのか手を止めた胤栄殿は、改めて新介の強さに驚いたみたいだね。新介はすでに達人と言える実力がある。司令の元の世界なら世界レベルになるだろう。


 新介はすでにギャラクシー・オブ・プラネットの近接格闘術と戦術などをこの時代の武器を主体に組み立てた久遠流と、鹿島新當流は免許皆伝レベルになっている。


 加えて食生活も違うし体づくりもこの時代とは違う。さらに新介は多くの強者との対戦経験がある。


 胤栄殿も強いけど、ちょっと相手が悪かったね。アタシの見立てだと新介はとっくに史実の全盛期の強さを超えているものね。


「では、そろそろ参るとしよう」


 眼つきが変わった。胤栄殿が本気になった。


「はぁぁぁ!!!」


 槍の速度が違う。突き殺すのかと思う迫力がある。実際そのつもりなんだろう。そのくらいの覚悟と気迫でないと新介に失礼だと思ったのかもしれない。


 木槍と木刀が交わる音がまったく違う。子供たちが息を飲んだのが分かるほど。


「なっ!」


 菊丸の驚きは胤栄殿の動きが突くことから変わったからだろう。確かに実戦で確実に殺すには突く必要がある。だけど棒術があるくらいだ。相手を無力化するなら刃の部分にこだわる必要ないんだよね。まして木刀だと切断される恐れもない。


 まるで棒術のように槍を使い始めた。突くだけだと勝てないと悟るのが早い。


 あれが宝蔵院流槍術なのかどうか分からないけど、状況に合わせた戦いが出来るってことはそれだけ強いと言える。


 産後じゃなきゃね。ちょっと悔しいよ。


「はっ! はっ! はっ!」


 熱くなるタイプか。すぐに槍術を隠しもしなくなった。槍として使ったかと思うと自ら接近して棒術のように振るう。変幻自在。型が違うと門派の師が見たら怒りそうだけどねぇ。


 でも強いよ。


「なっ、なんと!!!」


 胤栄殿の驚きの声で模範試合が終わった。


 アタシたちが教えただけあって、変幻自在は新介も得意なんだよねぇ。それにこの時代はなにより勝つことを求める。乱戦は珍しくないんだ。武芸者の手合わせだとさ。


 槍と剣ではなく木槍と木刀の試合で勝とうとすると、互いに刃を意識しないで済む。


 新介は木刀で木槍をいなしたかと思うと、そのまま胤栄殿の側頭部に蹴りを入れるようにして寸前で止めた。寸止めしなかったら胤栄殿は怪我していただろうねぇ。


「どっちもすごい!」


「お坊様、強いね!」


 武芸大会を見ている子供たちはふたりの強さを理解して興奮したように沸いた。新介が体術を使うのはよほどの相手だと知っているんだ。


 やはり経験に勝る新介が有利だったか。


 無論、今回の胤栄殿は十文字槍を使った槍術じゃないから実戦だと変わるだろうけどね。でも実戦では自分の得物を折ったり失ったりする場合もあるんだ。得物を言い訳にしてたら生き残ることは出来ない。


「驚いたな。蹴りが来るとは思わなんだ」


「久遠流の技だ。久遠流は得物を選ばぬ。たとえ無手となろうと戦える技がある」


 新介は状況判断がいい。胤栄殿は久遠流の動きそのものを知らなかったのが敗因か。勝敗と呼んでいいか分からないけどね。


「世は広いということか。学ばせていただき感謝する」


 胤栄殿が深々と頭を下げると、新介もまた頭を下げた。


 なかなか気持ちのいい坊主だね、胤栄殿は。興福寺との関係も上手くいってほしいって思うよ。


 そういえば、このふたりは史実だと親交があったはず。新介に聞いたら顔見知り程度だと言っていたけど、これをきっかけに親交を持つのもいいだろうね。


 人の縁が歴史になる。先生を見ているとそれを実感するね。


 きっと、この日のふたりの試合も歴史になるのかもしれないよ。




◆◆

 天文二十二年、晩秋。尾張国那古野にあった織田学校にて、宝蔵院胤栄が柳生宗厳と手合わせをする形で模範演技を見せた記録が織田学校に残っている。


 胤栄は、宗厳の婚礼のために尾張を訪れていた柳生家厳の警護として尾張に来ていたという記録があり、その滞在中のことだと思われる。


 一部記録によると、胤栄の力量を見抜いた塚原卜伝が模範演技を求めたことからの手合わせだったという。胤栄自身、卜伝の求めに快く応じたとあり、その人柄が分かる。


 勝敗自体は宗厳が勝ったとあるが、その力量は確かで他流試合の多い宗厳と互角に渡り合った胤栄の強さを驚いたという逸話も残っている。


 現代にはあまり資料が残っていない宝蔵院槍術の開祖である胤栄の強さと人柄が分かる逸話として、この手合わせが語られることが多い。


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