第千百五十二話・晩秋のこと

Side:久遠一馬


 秋も深まり、そろそろ冬の気配が近づいている。


 織田領の農閑期は賦役の季節だ。街道整備は当然として、河川の堤防と遊水地の整備に湿田を乾田に変えるなど、賦役としてやるべきことはいくらでもある。


 それとこれからの季節は風邪が流行ることもあり、衛生指導を再度徹底するようにと広報活動もかわら版や紙芝居で行なっている。


 飛騨と東三河は新領地ということで細々とした問題が続いている。人の噂というのはいい加減なものも多く、臣従後の負担や規制があるとは知らなかったとゴネる人や怒る人も相応にいる。


 これについては、正直、こちらもかわら版と紙芝居で説明したり、武官と文官を派遣して村を一つひとつ回って歩くことくらいしか出来ることはない。


 自力本願の時代に統治者があれこれと命じてるんだから混乱や反発はあって当然だからね。出来れば臣従前に領内に説明してほしいところだけど、この時代では自分に従えと命じる以上の細かい説明などしないからなぁ。


 とはいえ大きな問題にならない限り、オレの出番はないのが今の織田家の状況になる。


 一方、畿内はオレの知る歴史とは違うものの、大きな変化というところまではいっていない。


 三好長慶さんは史実と違い、義藤さんと和睦をして京の都を任されている立場ということが大きく、足利義藤と細川晴元を敵に回していた史実ほど苦しい立場ではない。やはり足利家の権威は未だ衰えずといったところか。


 ただ、だからと言って史実と乖離するほどの快進撃とか畿内を制していけそうかというと、それは難しい。


 義藤さんとの和睦は長慶さんに有利に働いている面もあるけど、同時に義藤さん自身が京の都にいないことで三好政権と言えるほどの立場と権威がない。


 あくまでも留守を預かる程度の認識が畿内では一般的のようだ。それと細川晴元は若狭に閉塞したままだけど、長慶さんを京の都から追い出そうと相変わらずあちこちに手紙を送ったりしているようだ。


 次に東の武田と今川の戦だけど、こちらは相も変わらず決め手に欠ける消耗戦になっている。武田は甲斐の不作続きなど苦しい状況の中でもなんとか頑張っている。甲斐が攻めにくく守りやすい国とはいえ、状況に鑑みると武田晴信の才覚を感じるところもある。


 無論、全体の流れは今川優位のまま進んでいるんだけど、かと言って戦況を一変させるほどの有利な要素もない。


 これはこの時代の戦に共通することだ。織田のように頼んでもいない国人や土豪が戦もせずに臣従を申し出てくるなんて、よほど誰にでも分かる国力差がないとあり得ない時代なんだ。


 武田方には今川の謀も浸透しているらしいけど、それでも大きな変化がない程度にはまとまっている。一方で信濃は戦国乱世の縮図のような群雄割拠の状態であり、守護家である小笠原家を筆頭に今川が武田を叩くことを期待する反面、今川の勝ち過ぎを危惧しているところもある。


 その今川も戦に関しては有利ではあるものの、こちらは経済的には綱渡り状態に近い。


 寿桂尼さんが自ら人質になる覚悟を示したこともあって、尾張からの流通を敵国扱いから一部緩和したので一息ついている。とはいえ、領内で経済を回すという概念なんてあるはずもないから、武田との戦費と尾張から商品を購入するために銭が失われていくだけなんだよね。


 今川はここ数年、武田との消耗戦を続けているけど、同じようになんだかんだと兵を挙げている織田とは比較にならないほど経済負担が重く圧し掛かっている。そのために本拠地の駿河はいいとしても、遠江の国人衆には徴兵や戦費の負担で不満が溜まっている状況だ。


 織田の場合は私鋳銭を造っていることもあり、雑兵に至るまで褒美という名目で銭を与えている。また兵糧や武具など軍の規模も大きいので負担は軽くないけど、それでも織田家の経済規模だと消費を刺激する程度の負担でしかないんだよね。


 ほんと経済知識がいかにチートになるか実感する。




「ありがとうございまする」


 今日もまた相談に来た人に助言をして一息吐く。政秀さんが第一線を退いて吉法師君の守役に専念したこともあって、オレのところに相談に来る人が増えているんだ。


 ただこれには政治に参加する人が増えたという事情もある。文官、武官はかつての織田家と比べ物にならないほど増えたし、商人や職人に僧侶や神官なども求められればそれぞれの立場で意見を言うこともある。


 そのため政治に慣れていない人たちをまとめて調整する人が必要になるんだよね。家老衆も頑張ってはいるけど、前例がないだけに結構苦労している。


 信康さんなんて田畑を耕して戦をしていた頃が懐かしいと、先日お茶を飲みながら愚痴をこぼしていたくらいだ。


 禄や褒美が増えたものの、忙しくて使う暇がないなんて冗談のような話をする文官も結構いるんだよね。


 ケティが働き過ぎを戒めるように指導しているけど、有能な人ほど仕事が早いのでどうしても仕事が集まってしまう。前の世界でも同じようなことがあった。ある程度は仕方ない部分もあると思う。でも、さすがに過労死するほどの長時間、仕事をさせないようにしている。


 今の清洲城には隠居した武士や奥方、坊さんや神官なんかが普通に登城している。


 現状だと読み書きや計算が出来るだけでも任せられる仕事は十分にあるから、それなりの家柄と人格で命じられた仕事をこなせる人材は引っ張りだこなんだよね。皆さん働けば収入になるし、適度に動くことで健康維持にも役立っているみたいだ。


 それと武官だが、東三河や飛騨など新領地に視察や検地で赴く際には文官だけでなく武官も一緒に派遣している。


 北伊勢でもあったことだけど、武士も領民も戦国クオリティだから武勇に優れた武官が威圧しないと、素直に従わず細かいことでゴネようとする人が割と多いんだよね。


 おかげで武官の皆さんからの評判は上々だ。最近は戦が減って武官の働き場所が少なくなっているから、やっぱり役目があるというのは悪い気はしないようなんだ。



 来客が途切れるとウチの仕事がある。望月さんが東三河と今川の動きを報告にきてくれた。


 今日はエルたちが文化祭の準備でいないので、オレと資清さん、それと春と千代女さんで報告を受けている。


「鵜殿家当主が追放された件でも、今川は報復に出てこないか」


 現状では義元と雪斎が安易に動くとは思えない。とはいえ、この時代だと領境の国人は両属していたり半独立のところが多いし、統制だってそこまで強く取れているわけじゃない。


 近隣の村同士の小競り合いに武士が出張ってくるなんて普通にあるくらいだから、もう少し動くかと思ったんだけどね。今のところは国境を接する東三河や遠江側の国人が有耶無耶のうちに動くという事態もないようで少しほっとする。


「今川が諸勢力に動くなと厳命しておる様子。また安易に動けばこちらを敵に回します故、動けぬのでございましょう」


 資清さんの言うように動けないんだろうけど、それでも形勢が不利になった東三河の統制があそこまで取れることが恐ろしい。


「吉良家に行なった沙汰が効いているわね。上の者に責めを負わせて下の者が許されるなんて安易に考える人が多いから、ちょうどいい抑止になっているわ」


「ああ、あの件か」


 正直、遠江はもう少し揺れるかと思ったんだけど、動かない理由はそれか。春はあの一件を現場で見ていたから痛感するようだ。


 吉良家に関しては、適当に主を煽って戦をさせて自分の力量を示せば、自らは新しい主に臣従出来るというこの時代の慣例を無視して煽った家臣を厳罰にしたからな。


 国人単位とかその家臣だと機を見るに敏というか、大名家の勢力や時勢の変化を敏感に感じ取って、御家存続のために鞍替えしちゃうからね。今川方の遠江の国人とか安易に動かないのは少し驚きなんだよね。


 信秀さん、今後の影響まで考えて吉良家にあの沙汰を下したんだろうか? もしそうだとしたらすごい洞察力だな。


「遠江奪還は斯波家の悲願でございますからな」


「守護様にその気はないんだけどね。でもそれを言えないお立場だし。ただ、今すぐに遠江攻めが無理なのはみんな理解しているはずだよ」


 気になるのは資清さんが言うように、遠江奪還は義統さんにとっては先代のお父さんの無念を晴らすという意味があることか。


 今川としても遠江は譲れるはずはないだろう。さすがに織田を倒してとまでは考えていないと思うけど、和睦するにしても臣従するにしても何かきっかけが要るのは間違いない。遠江をなりゆきで失えば今川家そのものが崩壊しかねない。


 織田としても現状だと東三河と飛騨で手一杯だ。今川とは停戦条約があるし、ちょうど都合よく無量寿院の一件や飛騨の江馬と内ヶ島が従っていないこともあって、今川とは戦を出来ない名分がある。


 それでも安祥城の信広さんを筆頭に三河衆は今川の報復への備えもしている。ウチも物資の確保と輸送など手伝っているけど、この分だとなし崩しで全面戦争なんてことにはならないだろう。


 正直、ホッとするね。




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