第千百五十話・商人組合
Side:久遠一馬
寺社というのは、本当に面倒な存在だなと実感するね。寺社奉行や尾張高田派の皆さんもいろいろと頑張っているけど、北伊勢では寺ごとに対応や反応が違っているんだ。
尾張や美濃でもそうだけど、一部の寺社は未だに寺領を維持しているところがある。織田の行政サービスを必ずしも必要としていないということだ。現状では武装放棄と警備兵の受け入れを条件に、寺領の領民が賦役に参加することは認めているけどね。
領民が一番必要としているのは農閑期に銭を稼げる賦役なので、それだけで十分だという判断なのだろう。寺領の関所に関しては撤廃させているけど、これは関所を撤廃しないと織田も関所を設けることにしているので、損得勘定を考慮して諦めたところがほとんどだ。
北伊勢では織田も無量寿院も信用ならないと考えた無量寿院の末寺が、願証寺の末寺に鞍替えする動きもあるけど、さすがに対立する本願寺派に宗旨替えするのは本当にごく一部だけのようだね。
全体では、すでに無量寿院に返還する末寺と寺領の領民の大半は移動が終わっている。終わっていないところは持ち出すものが多いところだ。
惣村の中には家屋敷を解体して材木として売ることで、お金に変えているところすらあるんだよね。寺も似たようなものだ。昨年の一揆で焼け落ちて再建途中の寺なんかでは、再建を放棄して材木などを持ち出しているところもある。
後が大変になるんだけどな。
尾張高田派は遠くないうちに戻れるからと説得しているものの、領民たちのほうは戻った時に村や寺がそのまま無事に残っているとは思っていないらしい。
空けた村に誰かが住み着いたり野盗が財産を奪ったりするなんて日常茶飯事なのだろう。戻れなくても後悔しないように持ち出せるものはみんな持ち出すのが当たり前のようだ。
「殿、無量寿院から逃げ出しておる者が相応におりまする」
「これが御仏に仕える者の行いと言えるのか」
一方で無量寿院だけど、望月さんの報告に資清さんが顔をしかめた。望月さんは神仏は敬うけど坊主を拝む気はないと言いたげな顔で冷静だけど、資清さんはそれなりに寺社を大切にしているからな。
「坊主とて所詮は人ということだ。殿がおっしゃる神仏と坊主は別物だというお言葉が正しいのだとよう分かる」
望月さんは現実をよく見ている。改めて現実の寺社の酷さに幻滅したというところだろうね。
「逃げ出すのはいいんだけど、こっちに来られても困るんだよね」
尭慧さんに近い者たちなんだろう。無量寿院から坊主や僧兵が逃げ出しているんだけど、中には尭慧さんを連れ戻そうと尾張にくる人もいてはた迷惑だ。
他にも逃げ出した人たちはいるが、頼る宛なんてないんだろう。伊勢や尾張の末寺に勝手に来て寝食をたかるような横柄な振る舞いをして、諍いを起こしているとの報告が上がっている。
一方、尭慧さんだけど、今のところ尾張に留まっている。兄である飛鳥井さんは帝に報告するために都に戻ったけど、尭慧さんは義統さんの勧めで尾張にて静養するという名目で見聞を広めることになった。
まあ、これは理由がはっきりしていて、尭慧さんが尾張にいるほうが無量寿院にとって面白くないからだ。完全な嫌がらせだ。義統さんと織田家の皆さんもだいぶ怒っているからね。
それと尭慧さんと対立している真智さん。実は彼、本山の無量寿院には入ることが出来なくて、今も西三河の寺にいる。
西三河は史実と違って織田が安定させた地域で、特に政治的な動きもなく大人しくしているので真智さんとは会ったこともないんだけどね。
無量寿院はもう本当に関わらないでほしい。こっちは忙しいんだから。
Side:ヘルミーナ
この日、蟹江にあるウチの屋敷に集まったのは、織田領各地の商人の代表たちよ。さすがに新参者である飛騨と東三河は来ていないけどね。
今日は織田家商人組合の第一回定期会合になるわ。
織田家からも文官と津島の大橋殿が参加していて、ウチからは湊屋殿と丸屋殿、熱田の私と蟹江のミレイと津島のリンメイも参加している。
「今日はまずは顔合わせということでゆるりと楽しまれよ」
議事進行は湊屋殿が買って出てくれた。大湊の元会合衆という彼がいなければ、これほど早く商人組合は形にはならなかったと思うわ。各地の商人を集めるにしても関わりがある寺社に話を通したりと大変だったもの。
「これはまた初めて見る料理でございますな」
初顔合わせということで、今日はシーフードカレーをメインにしたわ。久遠家の料理には天竺料理があると噂があるのよね。これなら珍しい料理でも抵抗はないでしょうし。メニューは湊屋殿がいろいろと考えてくれたわ。彼、ちょっと食道楽なところがあるのよね。
この時代の人は香辛料の刺激や辛さに慣れていないから、辛さを少し抑え目にした和風の出汁の利いたシーフードカレーよ。
「天竺料理とは……」
「噂はまことであったか」
遥か天竺の御釈迦様も食べた料理だと教えたら、みんな目を丸くして驚いたわね。商人だとウチの料理を食べる機会はあまりないからね。ただ噂で聞いたことはあるようでいつか食べてみたい。そんな感じかしら?
「ほう、これはなんと
どんなことを命じられるのか、戦々恐々としていた者も多いようだけど、料理とお酒でもてなすとひとまずホッとして喜んでくれたみたいね。
領内の安定と成長のためには彼らの協力が要るの。敵対する気もない人たちをわざわざ敵に回すほど私たちには余裕も時間もないわ。
今日は顔合わせなので、特に話し合う議題は決めていないわ。ただ、商人がこれだけ集まると互いに挨拶代わりに世間話が始まるのは当然ね。
話の内容は飛騨と東三河の臣従と、伊勢無量寿院に関連する話が多いわね。飛騨と東三河は商機にもなるので、あれこれと意見交換と情報収集が行われている。
「そういえば、無量寿院が領内の商人に織田と商いをすることを禁じたとか? まことか?」
「ああ、その話か。まことだ。織田が無量寿院との商いを禁じたからな。されど困っておったぞ。それでは商いが成り立たぬと」
無量寿院に話が及ぶと、商人たちもこれからいったいどうなるんだとなんとも言えない顔をしているわ。
私のところに正規のルートで報告があったのは、ついさっきの情報なのよね。
無量寿院が領内の商人に対して織田との商いを禁じたのは、先にこちらの領内の商人に対して無量寿院との商いを禁じた織田への対抗策だろうけど、ちょっと考えられないわ。
領地の広さも経済規模も違うことを理解していないのかしら? 織田が商人に許さないことを自分たちが許しては示しが付かないという意地だとは思うけど、それが自分たちにどう跳ね返るか全然分かっていないようね。
厳密に言えば、この場の商人にはあまり関係のない話ね。無量寿院に出入りしていた安濃津の商人が織田領の品は売れなくなったと説明に行くと、その商人に仏罰が下るだろうと脅して、もう来るなと叩き出されたとか。
後先考えられる人が逃げ出しているせいで、残った者たちは過激な方向に進んでいるみたいね。
寺社がいかに問題か、いい先例になると思うわ。
◆◆
日本商人連合会。
歴史は古く、天文二十二年に久遠一馬の奥方である、久遠エリザベートの提唱により織田家商人組合として発足したのが前身の組織になる。
当時の商人は寺社が権限を持っていた座という組織に属するか、公界などの自治都市として独自に活動していた者が多かった。
これに一石を投じたのが久遠一馬であり、久遠家は織田家に仕官して武士として商いを拡大していったことで、座による商業の支配を有名無実化して終わらせている。
織田家商人組合はその過程で生まれた組織であり、拡大する織田領の商人を織田家で直接統括し、商人の意見や要望を吸い上げる組織として生まれた。
実際に織田家商人組合を発足させたのは、久遠ヘルミーナと久遠家家臣湊屋彦四郎であり、初期の会合にはこのふたりの姿が多かったようである。
これ以前から、寺社と商業の切り離しが行われていたのは周知の事実であり、すべては寺社の統制を考えていた久遠家の一連の策であったとも伝わるが、真偽のほどは定かではない。
日本商人連合会は、現在では日本最大の経済団体のひとつになっている。
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