第千百四十一話・菊丸、寺社について考える

Side:久遠一馬


 武芸大会の後片付けに、米の収量を村毎に確認し税を集めるこの時期は忙しい。


 日照りや野分などの大きな災害はなくても、長雨による田んぼの浸水とか細々とした災害はある。その結果、収量が減っても飢えることのないようにしなくてはならない。さらには飛騨と東三河の冬の期間の支援も必要だ。


 領内にある各地の米蔵では、新米から奥にしまい古米を手前にする入替作業と備蓄米の確認をする。古米のほうがかさが増えるのでいいという意見もあるけど、何年保存することになるか分からないので新しい米を奥に仕舞う。


 最近は減ったけど、以前は備蓄米をネコババした土豪もいたから定期的な米蔵の確認は必要なんだよね。


 飛騨や東三河では、臣従した者たちの周辺の国人や今川の対策も必要だ。織田に臣従した国人の領地を攻めてくるとは考えにくいけど、隣村と係争地があるところなんかいくらでもある。そんな隣村に隙があれば、ちょっかいをかけて既成事実を作ってしまおうとするのがこの時代だ。


 正直、織田くらい力があると止めろと命じることも出来るけど、国人クラスだとそれすら難しいところもある。自分たちの利と主張を支持して守ってくれないなら従わないという者は少なくない。


 今の織田家は即応体制が整いつつある。武具や食料などは日頃から備蓄していて、常備兵とまでは言えないけど賦役の領民をいつでも派兵出来る体制になっているからだ。賦役で暮らす領民を黒鍬隊として定期的に訓練をしているしね。


 史実の屯田兵のようなものだ。


 そんな今日だが、菊丸さんと話をしている。無量寿院の件を少し耳に入れておく必要があると判断した。


「考えてもみれば、寺とは身分のある家の口減らしで出家する者が多い。自ら望んで仏の道を修行している坊主など僅かしかおらぬ。足利家に至っては御家騒動にならぬようにと、家を継ぐ者以外は寺に入れる仕来りがある。オレの弟二人も出家している。無量寿院に愚か者が集まる原因は足利にもあるのであろうな」


 大武丸と希美と遊びながら話す菊丸さんは、無量寿院と飛鳥井さんの件に少し複雑そうな顔をした。


「仏の道の修行はそうなのかもしれませんが、かつて大陸から得た知恵や技を理解し習得し日ノ本に広めてきたのは、かの者たちでございますよ」


「それとて古くは朝廷が、ここしばらくは足利がやらせておったことであろう? 何故、坊主が知恵や技を己のものとしてしまうのだ?」


 少し乱暴な言い方にエルが訂正するけど、菊丸さんは更に問いかけてくる。いいところを突いてくるなぁ。


「学問を学僧に任せた結果ですかね? 任せてしまったことで、任された者が自らのものと考えるようになったのでしょう。当家ではそういうしがらみが出来ると困るので自ら学問をしていますが」


 菊丸さんの言い分は分かるけど、この問題は日ノ本の歴史の積み重ねだからなぁ。一概にどこが悪いと断罪して済む話ではない。


 オレとエルはロボ一家のブラッシングをしつつ答えるが、ほんとこの件をきちんと片付けるには歴史の清算が必要だと思う。


「クーン」


 おっと、手が止まっていたらしい。どうしたのとロボたちはつぶらな瞳で見上げてくる。


「仏の道を目指す者以外を出家させる。無用な家督争いを避けるために出家させる。それらを無くす必要があるか?」


「それは必要かもしれませんね。仏に仕える者は明確に仏に心身を捧げるくらいの意志がほしいところです。ただ、行き場のない人をどうするのかは……」


 理想はそうなんだけど、家督を継げなかった者がどうやって生きていくのか。そこは難しいんだよね。


 寺社だって好きで受け入れているわけではないところもある。


 結局、世の中は平等なんてない。貴人や身分がある人が世の中の仕組みを自分たちに有利にするのはいつの時代もあることだ。理想と現実をどう調整するのか。


「肉を喰らい酒を飲み女を抱き、阿漕な金貸しをするような坊主をなくさねばならぬ」


 大武丸と希美はすっかり菊丸さんに懐いちゃったなぁ。真面目な話をしているのに、菊丸さんに遊んでほしいとキャッキャッと騒いでいる。


 卜伝さんたちにも懐いているけど、菊丸さんはよく一緒に遊んでくれるからな。純真な子供とか赤ちゃんと遊ぶのが楽しいらしい。


 しかし、菊丸さん。どうも神仏を利用する破戒僧が嫌いらしいね。潔癖とまでは言い過ぎだけど、清濁併せ呑むよりは正道を望む真っ直ぐな性格もあるのだろう。


 織田家でもこのタイプの人は結構いる。神仏を信じるからこそ、寺社の堕落に怒りを感じて破戒僧は罰するべきだと考えたりする。


 まあ武士のほうが戦争や人攫いなど、もっと非道なことをしているから人のことは言えないんだけど、織田家だと信義とかモラルとか重んじる人が少しずつ増えているからね。


 領地に籠り田畑を耕して、今を生きるのに精いっぱいだった人たちが文官や武官として今までよりも広い世界を生きている。今までよりも余裕が生まれ多くの人たちと出会うことで変わり始めた人は、オレたちが直接は関わらない人にも多いんだ。


「寺社の堕落を嘆く話は昔からあったと聞くがな。変えることは天下をまとめるより難しかろう。もしや、そなたらの考えた図書寮はそのための策でもあるのか?」


「……まあ、そうなればいいなという程度の思惑ですが」


 ちょっとドキッとした。まさかこの段階でそこまで見抜かれるとは思わなかった。菊丸さんに見抜かれるのはいい。だけど寺社に見抜かれると少し面倒なことになるからな。


「はたして寺社が本分である信仰に立ち戻る日は来るのであろうか」


 キャッキャッと喜ぶ大武丸と希美を微笑ましげに見つつも、菊丸さんは先の行く末に少し懸念を感じているようだった。




Side:吉岡直光


 誰かに負けて、これほどすっきりしておるのは初めてやもしれぬ。無論、悔しさはある。されど納得しておるところがあるからであろうか。


 そもそもオレは家業の染物業のことで尾張に来ておる。尾張の染物を見て必要とあらば学べぬかと思うてきたのだ。武芸大会の噂は聞いておったので、狙ってこの頃に来たという本音もあるがな。


「そうか。久遠物か」


「はい、都に流れておる最上の品は久遠様が本領から運ばれてくるもの。手前どもも励んでおりまするが、未だ及びませぬ」


 尾張の染物業は思うたよりも優れておった。数年前までは尾張の名など聞かなんだというのに、噂の久遠や遥か西国の周防からきた職人に学んでおるところが多いのであろう。


 とはいえ、近年織田が朝廷に献上し公家に出回っておる反物が、尾張で作られておるものと別物だとは。久遠物か、都ではそこまで知られておらぬ。


 学ぶのは難しいか。職人の技は弟子だけが受け継ぐ秘伝ゆえ、余所者に己の技を教える者などおらぬ。元より大した期待はしておらなんだがな。


 まして久遠物は唐物の生糸で織られた反物と比べても上物だ。なので尾張で織っておると思うたのだが、教えるはずもないか。


「邪魔をしたな」


 武芸大会で名を売ったこともあり、思うたよりも話は聞けた。


 父上が先代の公方様にお仕えしていたこともあって、織田家では客分として遇してくれるが、さすがに染物の技を教えてほしいなどと厚かましいことは言えぬな。


「しかし、良い国だ」


 民はよく働き、悪さをする愚か者も少ない。流れ者ですら働かせておるとは、驚きを通り越して呆れてしまうほどよ。


 幼子がひとりでおれば攫われてもおかしゅうないというのに、ここではそのようなことも滅多にないと聞く。


 武芸もまた盛んで、主上がお詠みになった和歌がわざわざ届けられるなど、諸国の者らが聞けばいかに思うのであろうな。


 織田とは誼を通じておくべきであろうな。来年は見所のある者を連れてきてもよかろう。染物業もあり都を離れるわけにはいかぬが、この国とは長い付き合いをしていくべきだ。




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