第千百三十二話・第六回武芸大会・その六

Side:長尾家家臣


 熱田神社に詣でて主上の和歌を拝見した。まさか民草にまで見せておるとは思わなんだ。主上が和歌を下賜されておるならば、何故、越後にもくださらぬのか。我らも尊皇の忠臣であるのに。


 その後は蟹江の町に立ち寄り、今宵は津島だ。飯と酒が美味いという旅籠だと、案内を頼んだ御師の勧めでここに泊まっておる。


 殿は相も変わらず無言のまま酒を飲んでおられる。お顔を拝見するとご機嫌はよいようだ。


 今日は少し面白きこともあったな。滅多に顔色を変えられぬ殿が主上の和歌を見て、驚いた顔をされて手を合わせたことか。


「蟹江という湊と巨大な南蛮船か。直江津と比べると凄まじいの一言に尽きるのう」


 殿は我ら家臣にもあまりお心を許してくれぬのか、なにも語られぬ。先々代から仕えておる老臣らは、殿の代わりと言わんばかりによく口を開く。


 町も船も人も、尾張は越後とまったく違う。皆、羨むようであり面白くないようでもあるな。西は豊かだとは聞いておったが、これほど違うとは思わなんだのであろう。


「それはそうと、六角左京大夫殿が清洲に来ておるとは聞いておらぬぞ」


「申し訳ございません。某も今日聞いたばかりでございます。昨年の大内義隆公の葬儀の際には尾張に来ていたと伺っておったのでございますが……」


 重臣のひとりは船や港を羨むのが面白うなかったのか、話の矛先を変えた。


 六角殿とは、公方様への拝謁のために幾度か文のやり取りがあると聞いたことがある。病ということで此度は拝謁が叶わなかったようだがな。尾張に来られておるのならば、挨拶をしてくればよかったのだとお怒りのようだ。


 管領様は公方様に疎まれてしまい、今は六角殿が天下の政をしているとも聞く。無視をして通り過ぎたと思われて、面倒なことにならねばよいと懸念しておるのであろう。


 されど御師を責めても仕方あるまい。


「酒もそうだが、米も料理も美味いな。何故、これほど味が違うのだ」


「ここは尾張久遠家の関わる旅籠でございます。鰻の開きで今や都でも名の知れた久遠料理の旅籠でございますれば。尾張でもこれを食べられるところは多くありませぬ」


 殿が少し不快そうな顔をされたことで他の者がまた話を変えた。


 確かに美味い。味噌汁の味ですらまったく違うのだ。越後の味噌汁が塩辛い泥水に思えるほどにな。


 殿はよく塩をあてに酒を飲まれるので今宵も塩を出させておるが、越後の塩よりも白く粉のような美しさがあり、味もまろやかで美味いのだ。おかげで殿の酒がずいぶんと進んでおる様子。


 明日は津島神社を詣でて書画を見て伊勢に入る予定だ。畿内までもう少しだ。




Side:斯波義統


 武芸大会も二日目が終わったか。連日の宴も少し疲れてきたわ。


 せっかく場を整えてやったというのに、北畠と六角の者は他家の者と話をしようともせぬ。それに引き換え臣従したばかりの姉小路と三木は自ら織田の者と話をして誼を通じようとしておる。各々に立場もある故、仕方ないとは思うが物足りぬと思うのはわしも変わったということかの。


 北畠宰相殿は、そのような家臣らに焦れておるのが分かるわ。武芸大会が終わったあとには人を減らしてみるか。北畠と六角から数名ずつにわしと内匠頭と一馬でよかろう。


 仲良うせいとは言わぬが、もう少し腹を割って話をすればお互いに気心が通じて実り多き宴になるであろうにの。


 それとも両家の家臣は戸惑うておると見るべきかの? 今日は北畠の愛洲殿や松平の本多が特に騒がれておった。他家の者や新参の陪臣が、尾張の民に喜ばれる様子が信じられぬ者が多かったように思える。


 家や立場を超えて強き者を讃える。いつからであろうか。それが当然となったのは。思えばジュリアやセレスなど、久遠家の女の武芸を軽んじる者もすでに家中にはおるまい。


 古参新参問わず、多くの者を面倒見ておるからの。鉄砲や金色砲が戦の主流になると不満を口にした者はおったが、ジュリアが愚かなことを考える暇があるのならば鍛練しろと一喝した姿を見たことがある。


「武衛殿。ささ、一献」


「これは宰相殿。すまぬの」


 しばし考え込んでおると、宰相殿がわしのところに来て酒を注いでくれる。公卿家の当主であるのだ。己から酒など注いで歩かずともよいものを。この男は平然とそれをする。


「やはり武芸大会はよいものですな」


「そうじゃの。争わずに競うなど、ついぞ考えなんだことじゃ」


 塚原殿に師事しておるだけあって、やはり武芸大会が気に入っておるのもあろうな。されど己が北畠の家を守っていかねばならぬという強い意志も感じる。


「されど無量寿院にも困ったものであるな」


「仕方あるまいな。いざとなれば共に力を合わせて事に当たるしかなかろう」


 宰相殿の懸念はやはり無量寿院か。北畠とすれば領内にある寺ゆえ、一揆ともなれば人ごとでは済まぬからの。


「あとで左京大夫殿にも話しておきましょう。万が一の際には助力を願いたいと思いまする」


 内匠頭はそんな宰相殿にひとつの策を口にした。そうか。北畠と六角と織田、周囲の者が皆で動くことで我らの正当性を示す気か。嫌とは言うまい。北伊勢と北近江では六角の頼みをほぼ聞いてやったのだからな。


「ああ、父上にも戻り次第、仔細を話す。飛鳥井卿とも話さねばならぬが、朝廷にはこちらからも知らせるべきであろうからな」


 公方様は味方じゃからの。あとは朝廷さえ納得すればいかようにも出来よう。


 内匠頭の話では一揆はまずあり得ぬという。尾張、美濃、三河、伊勢では、すでに無量寿院への信が揺らいでおるのだ。


 とはいえ、我らを仏敵として無量寿院が立ち上がることがないとはまだ言い切れぬ。


「仏の名を掲げる者らが互いに命を奪い合う。お釈迦様も嘆いておろうな」


 一馬らから聞くまで思いもしなかったことじゃがの。日ノ本の外では仏に仕える者が、仏の名を騙り戦をするなどあり得ぬと。


 開祖であるお釈迦様は殺生を禁じておったというではないか。長い時の積み重ねの末のこととはいえ、仏の教えに反するとは罪深い者らとも言えようがの。


 無論、寺社がこれほど荒廃した原因は朝廷や武士にもある。争い奪うことばかりしておったのだからの。


 守るためには戦うしかなかったとも言える。祈るだけで守れると思う者など坊主にもおるまい。


 されどな……。


 日ノ本から戦がなくならぬのは、我ら日ノ本のすべて者があまりに罪深いからではあるまいか?


 朝廷も寺社も神仏に見放されている。そうとしか思えぬところがある。


 もっとも、一馬らはあまり神仏を信じておらぬ。正しくは現世において、神仏の御意思がなにかしらの動きとなって現れるとは考えておらぬのだ。


 天変地異なども神仏に関わりがないと考えておる。 人がおらぬ地や海でも嵐や地揺れなどあると聞くと、確かに天変地異は神仏と関わるのかと疑問も出る。


 なれば、寺社の申す神仏とは、いったいなんなのであろうな?


 分からぬ。されど、一馬らを見ておると、朝廷も寺社も薄汚れた俗物にしか見えんうようになった。


 あの者らを信じたところで太平の世など訪れまい。







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