第千百二十話・武芸大会に向けて

Side:飛鳥井雅教


 蟹江から船で桑名へと入ると、東海道を行く者が多い。


 船で近くにおった旅の商人らが、織田が北伊勢を治めるようになって以降東海道の賊が減ったと喜んでおったのを思い出す。


 地元の者に案内を頼み、無量寿院の末寺であったところへと行く。


「一揆があったと聞いたが……」


 無量寿院が北伊勢の末寺を奪われたというておる一揆。見たところそこまで酷い一揆であったと思えぬが。途中の村は確かに焼けたのか人のおらぬ廃村もあったが、田畑には稲や稲を刈った跡があった。


「そりゃあ、ひどいものでございましたよ。この辺りは尾張より貧しくてね」


 案内をしておる者に一揆のことを問うと、いかんとも言えぬ顔で話してくれた。


 身分は明かしておらぬ。姿格好で公家だとはわかるはずじゃが、身分を明かすと話も聞けぬからの。


 国人や土豪の城が真っ先に狙われてしまい、近隣の武士は誰も助けてくれなかったそうだ。寺領も多くが荒らされ、寺に難を逃れた者が溢れておったとか。


「織田様が来てくださらねば、今も荒れたままになっておったはずでございます。願証寺の末寺ではいち早く織田様と共に粥を振る舞い、多くの者が難を逃れました。寺領の民でない者まで助けていただいて……」


 織田が兵を挙げたことで、一揆の者らはすぐに逃げていってしまったか。


 そのまま織田が北伊勢の大半を押さえて、飢える民を働かせて飯を食わせたのじゃと、まるで仏でも祈るように語り、手を合わせる男に身震いがするようじゃ。


「無量寿院の末寺もこの辺りには多かろう?」


「ああ、左様でございますね。落ち着いてから一度は粥を振る舞ったと聞いております。ただ、あそこは大半が織田様の助けもなく荒らされましたからなぁ」


 聞けば願証寺ではいち早く織田の兵が駆け付け、旗印を立てて寺領を守ったとか。一揆勢も仏の弾正忠には逆らえぬと避けたか。


 比べるわけではないが、無量寿院の末寺は寺領を荒らされ困窮してしまったようじゃな。無量寿院からの助力で粥を振る舞いはしたが、寺領の者以外は与えられぬと食えなかった者がおったとか。


 それでも足りず、あまりの有様に織田が食いものを分けてやったとのことで、それ以降末寺は織田に従うようになったところが多いか。


「食いものどころか、なにもありませんでしたから。あれに見えるゲルなる布の家も織田様より貸し与えられたものでございます。飯も家もすべて織田様のもの。この辺りの年寄りは、朝から晩まで仏の弾正忠様を拝んでおりますな」


 案内の男に悪気もなく、無量寿院を悪く言うこともない。されど、ここでは無量寿院を崇める者がおらぬのではと思うほどであった。




「なんと……、飛鳥井様でございますか」


 案内の男は末寺で銭を与えて帰した。末寺の住職に身分を明かして話を聞きたいと頼んだ。


「ここで見聞きしたことを本山に言うことはせぬ。北伊勢がいかがなっておるか知りたいのじゃ。教えてくれぬか?」


 困った顔をされた。拒むことも出来ぬと思うたのであろう。ここで起きていることを話してくれた。


 桑名ともさほど離れておらぬここは、付近の国人の城の次に襲われたという。応戦したが多勢に無勢。寺領は荒らされ、寺も危ういところであったが、助けてくれたのはまたしても織田だった。


 守護使不入の寺領に入って済まぬと助けた将は言うたらしいが、感謝しかなかったようじゃ。


 無量寿院からは今も銭を納めよと催促がくる。されどそのような余裕もなく、寺領を織田に明け渡す条件で得た織田の助力で寺の再建をしておるのだとか。


「本山には申し訳なく思うております。されど我らにも暮らしがあります。また一揆で亡くなった者も多く、せめて三年は猶予をいただきたいと願い出たのでございますが……」


 申し訳ない。住職はそう口にしたが、いずこまで本心であろうか。


 無量寿院の者らは本願寺を憎み、許せぬと今でも言うておるが、それとて末寺からすると関わりのなきことと言えなくもあるまいな。


 さて、もう少し末寺を回り無量寿院に行くか。


 いかにすればよいのやら。




Side:久遠一馬


 軒下に吊るされた干し柿を見ると秋だなと思う。


 産休中のジュリアのところには、多くの人たちから贈り物が届く。熱田のシンディ、牧場の孤児院にいるアーシャのところも同じらしいが。


 この柿もジュリアがもらったものになる。


 最近はお市ちゃんがジュリアと一緒にいる時間が増えている。エルも仕事を再開したこともあって、ジュリアに護身術の基礎を習い始めたそうだ。


 まあ、まだ小さいから遊びみたいなものらしいが。


 あとジュリアを訪ねてきて相談事をしている人も結構いる。武闘派の喧嘩の仲裁なんかもしている。些細なことでも拗れると大事になるからね。この時代だと。


「越前と何度も大変だね」


「いえ、それも修行でございまする」


 暦は九月に入り数日が過ぎたこの日、真柄直隆さんが尾張にやってきた。夏の花火大会で越前の公家衆と一緒にきたばかりだがまた来たらしい。


 近いようで遠いんだけどね。越前は。


「越前はどう?」


「はっ、相も変わらずといったところ。されど、内匠助様のおかげをもちまして朝倉の殿にはたいそう喜んでいただけました」


 ああ、花火大会の時に真柄さんに磁器の焼き物を持たせたことか。


 朝倉家と斯波家の因縁が消えたわけではない。とはいえ争う気がない朝倉を敵に回すほどこちらは暇じゃない。


 硝子の徳利と盃や白磁の焼き物など、朝倉延景さんの好むものだからな。


「ああ、今回も良かったらウチにいるといいよ。いろいろあるけどね。こうして顔を会わせて話す意義は大きい」


「ありがとうございます」


 真柄家は厳密に言えば朝倉の家臣ではない。確か史実だと直隆さんが臣従して家臣となったはずだが、今のところそんな話はないようだ。


 堂々と尾張に来て武芸大会に出られる立場になる。宗滴さんからは真柄さんをよろしくと文も届いた。真柄さんを介して互いに誼を深める。斯波と朝倉の現状は今川よりもいいと言えるだろうね。




「うん。ごくろうさま」


 真柄さんと入れ違いに丸屋さんが報告書を持ってきた。商人の目付。監査役を頼んだことの報告書だ。


 丸屋さん。那古野に屋敷を与えていて、ウチの家臣や奉公人を何人も付けている。待遇は重臣クラスで丸屋さんも驚いていたが、丸屋さんと家族の身の安全のためには相応の防備とウチの重臣だと示すことが必要だったことがある。


「しかし、よろしいのでございますか?」


「新しいやり方も多いし、あれこれ口を出しているからね。いきなり処罰するよりは改心させたい」


 やはりといったところか。相当数の問題が洗い出された。どうも蟹江のミレイとエミールが一緒に動いた結果らしいが、罪状にもよるが大半は警告と罰金で済ませる予定だ。


 新しいやり方と新しい秩序を守らせるには相応の苦労がいる。


 現在、織田領では領外との商いはいろいろと規制がある。米、雑穀、塩、鉄などの戦略物資はもとより、金色酒などのウチの商人の品も勝手に売ることは禁じている。


 これは物価統制のためだ。領内は領民のために安価にしていて、領外は織田との関係に合わせて値段を決めている。大規模な取引は許可制になっていて、値段もこちらで決めているんだ。


 身ひとつで働く行商人には多少緩くしているが、そんな行商人を使ったり寺社を挟むことで神仏の物として転売することにより、領内向けの品を密かに領外に流して違法な利益を上げたりする商人がそれなりにいる。


 まあ、仕方ないことだ。物価統制も品物の管理もしていなかったんだから。


 武芸大会の前に、一通り警告をしておく必要がある。人の出入りが激しくなると勝手をする人も増えるからね。


 それでも他国の商人よりは随分ましなんだけど。織田とウチに逆らうと商いが出来ないと知っているから。


 

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