第千百十九話・空気差
Side:京極高吉
こんな城など燃やしてやりたくなるのをグッと堪えて平伏する。
上様は何故、六角の城などにおられるのか。病ならば都に入られたほうがよい薬師もおり祈禱とて頼みやすいであろうに。
「面を上げよ」
御簾の先におられる上様の御姿に素直に安堵とした。これで京極家とわしは安泰だ。
「久しいな」
「はっ、上様のご尊顔を拝し恐悦至極に存じます」
ああ、間違いない。この声は上様に相違ない。
「裁きを言い渡す」
「……今なんと?」
「上様のお言葉を聞き逃したのか! 無礼者めが!!」
聞き逃したのではない。そのお言葉の意味を理解出来なんだだけだ。腰巾着の側近風情が図に乗るな!
「しかるべきところから養子を迎え、家督を継がせることを許す。そなたは隠居しろ。高野山に行くか、都かどこかで大人しゅう暮らすか。好きなほうを選べ」
「お恐れながら、それはあまりに……」
信じられぬ。わしはいったいなんのためにここに来たのだ? 上様は京極の家を軽んじるのか!? いかほど苦労をしてここまで来たと思うておるのだ!
「北近江の守護はここにおる左京大夫を任じたのだ。そなたはそれを不服として挙兵しようとした。左京大夫は京極の面目を重んじて、そなたをいなかったこととして乱を鎮めたがな。そなたは余の
何故、何故それほど六角に肩入れなさる。京極は四職を務め足利を支えてきた家柄ぞ。
「余に逆らう管領に味方しておるそなたを信じることは出来ぬ。されど京極家代々の忠勤に免じて命までは奪わぬ。隠居でよい。そなたももう歳なのだ。ゆるりと余生を過ごせ」
「上様、お待ちを! 某は!!」
上様はわしになど興味がないと言わんばかりに、すぐに席を立とうとなされた。このままでは終われぬ。六角に浅井にいいようにやられてばかりのこのままでは終われぬのだ。
されど上様は僅かに立ち止まられただけで席を立ってしまわれた。
何故、何故なのだ。
わしは……。わしは……。
Side:
静かに御仏に祈りを捧げる。
我らは多くを望んだつもりなどない。ただ親鸞上人の教えを捻じ曲げた本願寺にだけは頭を下げるわけにはいかぬ。それは織田とて理解してくれておったこと。なればこそ本願寺の下におる願証寺に負けぬためには末寺が要る。それとて理解してくれてもよいはずであろうに。
そもそも、本来は末寺を従えるは我らの役目。何故それを奪うのだ。何故、寺領を末寺から奪ったのだ。
銭のような下賤なもので、末寺の者らを惑わしておるのを止めろというは当然であろう。仏の道も知らず仏の名を騙るだけでも罪深いというのに。
ここ無量寿院は勅願寺ぞ。守護代如きである織田が手を出していいところではない。それを言わずに話を聞いてやっておるというのに。
道理も理も知らぬは、武士らしいといえばその通りであろうな。仏の名を騙り、民草を偽り扇動する。それが織田の真の姿であろう。
「尭慧上人、北伊勢の末寺に勝手に文を送っておる者が……」
ああ、愚か者は身内にもおる。兄上に頼み込んで来てもらったというのに。何故、勝手なことをするのだ。
織田を怒らせれば、清洲におる兄上の面目どころか命すら危うくなってしまうことが何故分からぬ。
寺を守るために兄上をも切り捨てるつもりか?
されど、わしが止めろと言えば寺が割れてしまう。末寺を失い多くの利を失った者は織田を憎み罵っておるのだ。わしにすら憎しみを向けるだろう。
兄上はご無事であろうか? 面倒事をお願いしてしまったことが心苦しい。何事もなく戻ってほしいものだ。
side:久遠一馬
飛鳥井さんがウチの屋敷を突然訪れた翌日、一旦伊勢に戻ると急遽清洲を後にした。
伊勢の末寺を自分の目で見たいそうだ。その上で無量寿院にてもう一度話をしてくると言っていた。
裏でおかしな工作をしているのかと少し疑ったが、そんなことのない人だった。シルバーンからの報告でも飛鳥井さんは関係なく、無量寿院が暴走しているだけだった。
なんというか見ているのが可哀想になる人だ。氏素性も定かではないウチをわざわざ訪ねてきて、困っていると言うなんてありえない身分の人だというのに。
この時代で殿上人である公卿が、目下の者の屋敷を訪ねるなんてまずありえない。武士でさえ、目上の人のところに出向くのが当たり前の世の中だ。
そもそも血縁が強いこの時代では、飛鳥井さんは無量寿院の仲介の頼みを断ることも見捨てるということも出来ることではない。それだけで飛鳥井家の面目が潰れてしまう。
歴史にある公家の名門だ。そんなことになれば末代までの笑いものにされると考えるだろう。まして無量寿院って勅願寺という、過去の天皇が綸旨を出した護国鎮護のための寺になる。
権威も相応にあって、それを見捨てたとなれば朝廷での立場も悪くなるからなぁ。
そんな飛鳥井さんが最大限の誠意をみせてくれたこともあり、こちらとしても開示出来る情報は教えた。
正直、飛鳥井さんを見ていると、この時代の秩序と常識を破壊して申し訳ない気持ちもある。とはいえ、未来のために寺社の既得権はなくしていかないといけない。
無論、本山と末寺という関係まで壊す気はない。とはいえ、多すぎる寺と寺領の数と利権の整理は避けて通れないところだ。
まして伊勢では、無条件で無量寿院と末寺を織田が支えろというのが彼らの望みだ。とても飲める条件ではない。
「清洲も旅人が増えたね」
「武芸大会が迫っていますから」
無量寿院の件は飛鳥井さんの判断待ちだ。伊勢の末寺には信秀さん名義で大丈夫だから騒がないようにと命じてある。
織田領ではそれよりも武芸大会が迫っていて、各地から人が続々と集まっている。夏の花火と秋の武芸大会。今のところ各地から人が集まるのはこのふたつだ。
早植えの田んぼはすでに稲刈りが粗方終わっていて、あとは遅植えの田んぼの稲刈りを待つばかり。
エルと共に清洲からの帰り道に馬車の窓から景色を眺める。
武芸大会は今年も盛り上がりそうだな。喧嘩やいざこざ、盗みなどで治安が僅かに悪化しているという問題もあるが、それでもこの時代ではうまくいっているほうだろう。
今年は北畠家、六角家、姉小路家を招いている。あと東三河で織田に臣従をしたいと接触があった国人や、積極的にこちらと誼を結びたいと動いている信濃の木曽家も招いたが。
東三河はそろそろ正式に臣従を認めてやる必要がある。冬になると寒さで凍死したり飢える人が少なからず出る時代だ。助けてやらないと不満が出るだろう。
今川は東三河の直轄領は維持する方針のようだ。代官は朝比奈ということもあり、すぐに撤退もしないだろう。
一応、離反する東三河の国人に対する今川の報復を警戒する必要はあるな。小競り合い程度ならばいいが、この時代での武士は血の気が多いし。
義元と雪斎は織田と争う気はないらしいが、勝手にこちらに鞍替えした国人を攻める可能性はゼロではないからな。
「文化祭も若殿が張り切っているし……」
「うふふ、賑やかなことがお好きな方ですから」
学校の文化祭。とうとう信長さんまでやる気になっている。忙しい立場なんだけどね。
もっとも那古野は信長さんのお膝元だ。当然、報告はしてあったんだけど。
信長さんは学校や工業村に出向いて、準備や話し合いに参加している。それがまあ評判がいいんだよね。一緒に汗を流すというのは、いつの時代も重要なことだ。
織田領はどんどん発展している。だからこそ周囲との問題が出ているんだけども。
楽しみであり、大変なところだね。
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