第千百十二話・仲介する者
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無量寿院にて門主を務める弟に頼まれて遥々やってきた。尾張の斯波や織田と拗れておるとのことで、助けを求められたのだ。
されど……。厄介なことを引き受けてしまったのやもしれぬの。
「何故、ここまで放置しておったのだ」
弟である尭慧と学僧らを前にした時に、声を荒げたくなるのをぐっとこらえて問う。
届いた文に書かれておらなんだことが多くあった。弟を疑うわけではないが、学僧どもめが厄介事を隠しておったのではとすら疑うておる。
文には織田が無量寿院の末寺を奪ったとあったが、よくよく聞いてみると困窮する末寺が織田に助けを求めて鞍替えしただけではないか。
武家は寺と寺領には手を出さぬのが通例だ。されど北伊勢にある願証寺の末寺は昨年の野分と一揆で飢えることになり、織田に従うことで助けを受けることとなった。同じく飢えるよりはと無量寿院の末寺も織田に従い、守護使不入を廃し、寺領を織田に献上して助けを受けることにしてしもうたのだ。
異例だが、北伊勢の分郡守護となったとのことで筋は通っておる。噂には聞いておったが、織田はまことに民を食わせることで領地を広げておるとは。
寺領を失った末寺も困窮したとは聞いておらん。織田に従い賦役に民を出し、寺も学問を教えるなどして織田から禄を貰うておるとか。
上手くいっておるではないか。こやつらのつまらぬ意地と面目以外はな。
「多くは望みませぬ。何卒、良しなにお願い致しまする」
願わくはすべて元通りにしてほしいじゃと? 無理を言うわ。せめて体裁を保てるようにしてほしいと泣きつかれたが、いかがするべきか。
寺領を飢えさせたこやつらの徳が足りぬのであろう。こやつらを処分する方が先ではないのか?
弾正忠信秀。今は内匠頭であったか。会うのは二十年ぶりか。父上が内匠頭に請われて、蹴鞠を伝授するために下向したときに共に会うて以来か。あの時は互いに若かったな。
昨年には関白様が尾張を訪れたことは吾も聞き及んでおる。此度のことでも都を出る前にお耳に入れておいたが、あまり無理はするなと申しておられた。
主上の覚えもめでたく、年に幾度も貢物を届けるかの者を怒らせては困るというもの。
高齢故に来られなかった父上も内匠頭殿を才気ある者じゃと申しておられたが、今では仏の弾正忠と呼ばれ諸国でも知らぬ者がおらぬ男になった。
まずは尾張に出向いて話をしてみるしかあるまいか。
「これが尾張か」
無量寿院を出て尾張に入った。二十年も昔であるが、父上と共に訪れた時とまったく違う国に見える。
安濃津から船で蟹江という湊まできたのだが、噂の黒い南蛮船の凄まじさに驚いておると、賑わう民の様子にさらに驚かされた。
「お久しゅうございます。平手でございまする」
「おお、平手殿。久しいの」
あまりの賑わいに見入っておると、懐かしい者が出迎えとして待っておった。平手五郎左衛門政秀。内匠頭殿の家臣じゃったな。
「たいした賑わいじゃの。東に都が出来たようだと噂になるはずじゃ」
「すべては主上のおかげでございまする」
安濃津も織田の湊となったようで賑わっておったが、ここはそれ以上じゃ。無量寿院はこれほどの湊を擁する者を相手にしておるのか?
まるで都に来たばかりの鄙者のように見入ってしまったわ。
「これは……」
「馬車というものでございまする。尾張にて近頃使うようになった乗り物でございましてな。飛鳥井卿に是非とも乗っていただきたく用意いたしました」
馬か籠でも用意しておるのかと思うてみておると、牛車と似て非なるものを用意しておった。
「これは……、主上に献上した硝子なるものか?」
驚いたのは中が見えることか。
「はっ、ご推察の通りでございます」
「ほう……」
なんともよいものじゃ。乗り心地もよく、外が見えるというのもよい。しかも速い。馬で駆けるような速さで走るとは驚いてしまうわ。
さらに民の様子が他国とは違うことが分かる。道も整っておるの。鄙の地では珍しきことよ。
「今日は祭りか?」
途中、祭りと思わしき町に入った。秋の祭りか。なんとも豊かな地なのは見ればわかる。聞けば那古野の地だとか。まことか? ここには村しかなかったはずじゃが。
「いえ、今日は久遠家家臣の婚礼がありましてな。滝川慶次郎と申す者が久遠家本領の娘を娶ることになり、尾張を挙げて祝うておるところでございまする」
「はて、聞いたことのある名じゃの。……おお、噂の今弁慶か!」
平手殿が嬉しそうに語るその者の名は聞いたことがある。関東の地にて今巴と称される女と共に安房の里見を蹴散らした男ではないか。
まてよ。本領の娘と言うたか? 日ノ本の外の民である久遠と誼を深める祝いの日ということか。それは確かに祭りになってもおかしゅうないはずじゃ。
「あれは……」
「城でございまする」
良き日に来たと少し安堵する。祝いの日なれば、悪い話にはなるまい。そう思うておると驚かされたのは白い塔のようなものであった。
あれが城じゃと。美しく雅なものが……。
都を思い出すと羨むほど清洲は栄えておる。よくよく見ると酒と菓子を振る舞っておるのだとか。久遠とはそれほどの者ということか。
無論、吾もかの者のことは聞き及んでおる。主上が一目顔を見たかったと言うていたほどじゃからの。
されど、武家がこれほどの国を治めておるとは思わなんだ。騙し騙され、疑い、力ある家臣は潰すのが武家であろうに。
見事な町と城に懸念が深まる。これほどの大国を相手に無量寿院はいかがする気なのだ?
「平手殿、無量寿院の件、難儀しておろう?」
「争いは望みませぬ。故に頭を悩ませておるところでございまして」
平手殿に問うてみるが、争いを望まぬという一言に安堵する。されど、末寺を失うような者にいつまでも悩まされるのは本意ではあるまい。
無量寿院の味方をする者は近隣におるのか? 長野は北畠に降り、北畠は織田と昵懇だと聞いたぞ。
民を見れば分かることもある。吾の乗る馬車とやらを見る様子は決して悪いものではない。民に慕われる仏の弾正忠か。
これは説き伏せるのは無量寿院のほうということか。なんとか面目を立ててもらい、実利は織田にということで収まるか?
なんとも難しき役廻りを受けてしまったものよ。
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