第千百一話・新しい屋敷と格差

Side:久遠一馬


 那古野の新しい屋敷がほぼ完成した。畳も入り、あとは一部の襖絵などを描き終えるのを待つばかりだ。


「新しい畳の匂いはいいね」


 一年五か月ほどかかったが、建築ラッシュが未だに続いていることが原因にある。材木も品薄で高値が続いているし、大工さんも相変わらず人手不足のようだ。


「くーん」


 ロボ一家がさっそくマーキングだと体をこすり付けている。おしっこは躾をしているのでしていないけどね。


 屋敷に関してはそこまで斬新なものではない。一部に硝子窓を入れたところもあるが、基本的にはこの時代の武家屋敷と変わらない。


 年末年始には妻たちが集まるので、それを想定して襖を外すと広間として使える部屋を設けたことや、椅子とテーブルを置いた洋間風の部屋などもあるが。


 尾張にきて数年、この時代の屋敷に慣れたこともある。冷暖房設備がない時代なだけに気密性を上げても必ずしも快適とは言えないこともあるしね。一応、冬場には襖や障子を二重にするなど工夫はしたが。


 ちなみに元の世界の忍者屋敷にあったような隠し扉とかもないし、よくある創作物にあるような謁見の間にある守りの仕掛けとかもない。


 衛生面などを考慮した普通に過ごしやすい屋敷にした。


「殿、これはここでよろしゅうございますか?」


「うん、そこにお願い」


 引っ越しは家臣と奉公人のみんなに、孤児院の子供たちも応援に来てくれて頑張ってくれている。もちろんオレも働いているけどね。


 ただ、こうして見ると荷物が増えたなと思う。衣類や刀剣なども頂き物とかいろいろあって一日で終らないかもしれない。


 今まで住んでいた屋敷は一部は解体してこちらの敷地に移設するものの、あとは補修と改築をして家臣と奉公人のみんなが住むことになる。


 信長さんの家老の皆さんの屋敷をウチの屋敷に加えたことで、敷地が当初の数倍になったのでこれでも庭が広がったくらいだ。




「殿、そのようなことは我らが致しますので……」


「ああ、いいんだよ。最後だからオレの部屋くらいは自分でね」


 引っ越しも進み、荷物が運ばれ殺風景になった自室を自分を掃除していると、奉公人に困惑された。立つ鳥跡を濁さずというわけではないが、最後は綺麗にして移りたい。


 僅か数年だったが、いろいろと思い出がある。草木が芽吹き庭で遊んだ春のこと、虫の大合唱が聞こえ線香花火をした夏のこと、武芸大会があって武闘派の皆さんと宴会をした秋のこと、一面の雪景色が綺麗でストーブで温まりながらのんびりした冬のこと。


 本当にいろいろとあった。こうして出ていくとなると寂しくなるほどに。


「かじゅ!」


「若様、手伝っていただけるのですか?」


 少し感慨に耽っていると吉法師君たちがやってきた。吉二君たち御付きのみんなと一緒に手伝ってくれるらしい。


 身分が違うんだけどなぁ。まあウチの屋敷にいる時は、あまり身分を意識しないような体験をさせていることもあるけど。


 吉法師君たちを見ていると思う。思い出に浸るよりも、新しいことへの希望で満ちているのは若い子の特権なんだろうね。


 オレも元の世界での歳を換算すると、なんだかんだで三十代半ばだ。いつの間にか歳を取ったなと実感する。


 老け込むには少し早いか。頑張らないとな。




Side:とある美濃の国人


 北近江にて愚か者どもが蜂起をしたと笑うておったのがいつだったか。まさか当家に来るとはな。確かに血縁はあるが、頼ってくるほど親しくしていた覚えなどないのだが。


「御迷惑をおかけいたしまする」


 迷惑だ。出ていけと言えば出ていくのであろうが、さすがにそこまで言えぬ。


「大変であったの。ひとまずゆっくりと休まれよ」


 西美濃では少し前から聞かれる話ではあった。追放された者が頼って来ておると。他人事だと思っておったわ。まさかわが身に降りかかるとは。


「ただしじゃ、旧領奪還などと口にしてくれるな。美濃は最早かつての美濃とは違う。斯波の御屋形様が守護となり織田の大殿が治める地。騒ぎは誰も望んでおらぬ。旧領を取り戻したくば余所に行け」


 所領はだいぶ手放したが、俸禄もあり暮らしは豊かになった。しばし面倒をみるなら構わぬが、大人しゅうしておられんのならば厄介者でしかない。


「……何故、織田は兵を出さなかったので? 管領様と京極様が動かれたというのに」


「公方様は観音寺城におられる。さらに北近江三郡は六角が守護となったはずじゃが?」


 不満を隠せぬとは。よほど腹に据えかねておるようじゃな。さらに公方様と管領殿の不仲を知らぬのか? ああ、織田では領内にてかわら版もあり知ることができるが、近江にはそのようなものはないのであったな。


 それと、この件に関しては大殿から書状も届いた。公方様のめいに逆らう管領殿に大義はないと。織田家ではこの手の知らせがよく届く。必要なことを明確に教えてくれるのだ。わしのような小領の国人にでもな。


 日頃から美濃を鄙の地と見下しておる近江者とて、なにも知らぬ愚か者ではないか。いい気味と言えば怒るので言わぬがな。


「そなたは隠居して出家でもされるべきであろうな。子が家を継ぐというならば生きていけるように助力しよう」


 謀叛を起こした者など要らぬ。負けたのだ。大人しく出家して家の存続を考えるべきであろう。それが嫌なら出ていけ。


 時勢も読めず不満を口にするばかりの愚か者など邪魔でしかないわ。




Side:太原雪斎


 御屋形様にこのような報告をせねばならぬ己の不甲斐なさに申し訳が立たぬ。最早、三河は直轄地を除いてすぐにでも織田に降ってもおかしゅうない。


 吉田城は死守する。豊川はかろうじて残るであろう。されど血縁がある鵜殿家ですら一族が織田に降ろうとしておるやもしれぬのだ。


「三河は駄目か」


「北伊勢では国人を追い出したと聞く。それでも治まっておるとはのう」


 御屋形様も諦めに近い思いがおありのようだ。斯波と織田に頭を下げるのは相も変わらずお嫌なようだが、それでも織田があまりに我らと違い過ぎることはご理解いただいておる。


「拙僧にも織田の先は読めませぬ。いずこかでつまづくのか、それともこのまま続くのかも。なにもかもが分かりませぬ」


 国人や土豪を要らぬと追い出す者に皆が臣従を願う。土地を召し上げられ銭で仕えるだけの身分にもかかわらずだ。


 それだけ民の暮らしが違い、織田は強いのだ。


 特に三河では品物の値がまったく違うことが大きい。米、雑穀、塩。そんなものですら今川方の所領と織田方の所領では値が違う。


 もとは同じ三河の者。織田と比べて、何故、己だけ高い品物しか手に入らぬのだと怒り、商人に無理難題を言う者が後を絶たぬ。


 織田方になると飢えず、今川に従うと飢える。これでは誰が今川に従うものか。


 さらに、我らは武田との戦続きで苦しい。


 されど、商人に品物の値を下げろと命じることなど出来ぬ。商人とて利を得ねばならぬ。安く手に入らぬものを安くなど出来まい。民から安く買いたたくのか? それこそ一揆が起こるだけではないか。


 尾張は肥沃な地故に理解する。されど三河でも同じことが出来るのは何故だ? 無理をしておるのかとも思うたが、そうとも思えぬ。


 すでに我らは織田のやることを理解することすら出来ずにおる。真似る以前にな。


「すっかり秋になったの。この冬も厳しい寒さになりそうじゃ」


 御屋形様はその一言を最後に無言となられた。





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