第千七十六話・留守中の津島天王祭

Side:エル


「おいしいよ~」


「いらっしゃい!」


 当家の屋台で食べ物を売る子供たちの声も、すっかり尾張の風物詩となりました。


 今日は津島天王祭りの日。


 司令たちは帰りの船の上ですので、私が代理として参加しています。今年は花火が熱田での打ち上げとなるので津島での打ち上げはないとはいえ、数年前とは比較にならない規模で祭りが行われます。津島内外の商人や領民が、屋台を出したり市でものを売っています。


 近年では利益を度外視しての販売も珍しくなくなっています。


 祭りで利益度外視しての販売は当家が始めたこと。もとは私たちを尾張の人々に知っていただくことが目的であり、社会貢献の意味もありました。


 その効果は大きかった。織田領内外の商人に名が知れて、領民もまた当家のことを知ってくれました。そうでもしないと、同じ尾張の民とて知ることが出来ないのがこの時代なのです。


 目端が利く商人は祭りで利益を上げるよりも宣伝効果を狙い、安価で売る者がそれなりにいます。大店になればなるほど安く売ることで、己の財力と品物をアピールする。


 実際、それで売れる商人も多いですから。


「エル様! 小麦の粉を持ってきました!」


「ありがとう。じゃあ、一緒に焼きましょうか?」


「はい!」


 若殿は役目もあり、今年はさすがに屋台でたこ焼きを焼くというわけにはいきません。ただ、当家の孤児たちが育っていることでみんな頼もしい限りです。


「そこ! 喧嘩したきゃ、あっちで殴り合いでもしてな! 刀を抜いたら容赦しないよ」


 みんなで楽しく屋台をしていると旅の武芸者でしょうか。諍いから喧嘩になりかけていましたが、今日は警備兵の手伝いに出ているジュリアが止めに入りました。


「赤髪の女!? そなたが今巴殿か!! いざ尋常に勝負を願いたい!」


 武芸者のひとりがジュリアに気付き目の色が変わりました。


「悪いけど断るよ」


「何故だ!」


「無礼者! お方様は今、懐妊されておられるのだ!」


 ジュリアはすっかり武芸者として名が知れてしまいましたね。時折手合わせを願う者が訪れることがあります。受けることはまずありませんが。見込みがある者やそれなりの身分の者には柳生新介殿が相手をしているのですが、今はいません。


「ああ、左様であったか。これはご無礼をお許し願いたい」


「手合わせだったら清洲運動公園というところに行くといい。あそこの道場なら礼儀をちゃんとすれば誰か相手してくれるさ。皆に勝てたらもっと強い奴に会わせてやるよ」


 いささか無頼の者のようですが、そこまで愚かではない様子。素直に謝罪した武芸者の者にジュリアは清洲の道場を勧めています。


 これも少し前から始めたことです。武芸大会とその知名度が上がって以降、諸国から武芸者がやってくるようになりました。東三河の奥平殿のように不遇の者や、史実には名がまったく残っていない者も少なくありません。


 領内の武官や警備兵や武士たちと、そういった者たちが手合わせ出来るようにと運動公園内にある道場を活用することにしました。


 正直、武芸者というのも厄介で、どんな手段を使っても名のある者を倒して名を上げたいという者も少なくありません。また血の気も多く領内で問題を起こすことも多い者たちです。


 罪を犯した者は捕らえるのが原則ですが、使える人材は使うべきだということもあり、彼らが泊まれる宿泊所と道場を清洲に設けました。


 これは織田家内の武闘派の面々と相談した結果でもあります。追い出して敵地で働かれるよりはこちらで使ってやればいいというもの。根性を叩きなおしてやると勇ましいことを言っていました。


 意外に上手くいっているんですよね。その件は。


 確かに鉄砲や大砲は戦を左右しますが、実力のある武士は未だに働き口はいくらでもありますので。


 みんな頼もしい限りです。武闘派ですら知恵を絞り、新しいことを取り入れているのですから。




Side:織田信長


「ふふふ、津島に行きたそうですね。三郎」


 次から次へと増える書状を片付けておると、母上が姿を見せた。オレが真面目に役目をこなしておるのが面白くもあり嬉しいようだ。


 そんな母上もまた親父がいないことで働いておるのだ。わがままは言えぬ。


「あいにくとオレの代わりになれる者がおりませぬので諦めました」


 久遠の凄さは誰か抜けても代わる者がおることか。今日はエルが津島に行ったが、八郎と春が清洲城に登城しておる。ところが織田は未だ代わる者がおらぬ。追いつくなど夢のまた夢だな。


「行ってきなさい。私があとはやっておきます」


「母上……」


 まさかの言葉だった。オレに苦言を呈することは幾度もあったが、遊んで来いと言われたことなど初めてだ。


「私で無理なものは帰ってからやればいいはずです」


 共に暮らした記憶もなく、幼い頃は甘えるような勘十郎が羨ましかった記憶がある。そんな母上がオレを見て微笑んでくれた。


「昔のそなたならば、放り出して行ってしまったでしょう。それがこうして考えて我慢している。母はそれで満足です」


「母上……オレは……」


「そなたがいないこともまた経験しておかねばならぬ。私はそう思います。私や帰蝶に任せなさい」


 母上に深々と頭を下げて、オレは城を出た。


 親父もかずもおらぬ清洲。されど誰も謀叛を企てようとせぬだろう。誰も同じことが出来ぬからな。親父やかずと。


 ふと、かずやエルがよく言うことを思い出す。失態や失敗からこそ学ぶべきことがある。それらは恥ではない。学ぶべき糧なのだという言葉が、清洲では根付きつつある。


 オレの供の者も幾分変わった。かつての馬廻りは武官と警備兵に統一した。警護は警備兵に。戦で使う者らは武官となったのだ。


 もっとも現状では双方に属しておる者もおる。平時には警備兵として、戦時には武官として仕えたいという者がそれなりにいるためだ。理想は分けるべきだとかずは言うていたが、やる気のある者にはやらせてみるべきだということになり、双方に属する者がおる。


「又左衛門と五郎左か」


「はっ!」


「なんなりとお申し付けくだされ!」


 前田又左衛門と丹羽五郎左。この若い者らを近頃連れて歩いておる。


「行くぞ」


「ははっ!」


 使うてみてはと進言してきたのはセレスだ。見どころがあるらしい。本人らに言うと図に乗ると困るので言うておらぬがな。


 津島へと馬を走らせながら、近頃、時々思うことが頭をよぎる。


 もし、かずを召し抱えておらねば、いかがなっておったのであろうとな。


 幾度考えても、今ほど上手くいっておるとは思えんな。


「又左衛門、五郎左。よく励みよく学べ」


 家臣をいかに一人前として大成させるか。主君とは難しいものだな。オレはかずにまだまだ及ばぬ。




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