第千七十一話・久遠諸島滞在中・その十三

Side:元孤児


 思い出すのは、おっとうに捨てられた日のことだ。


 具合が悪いと言ったら、『お前に食わせる飯はねえ。もう帰ってくるな』そう言われて清洲の町外れに捨てられた。


 寒い冬の日だったな。そこには同じように捨てられた子や爺様や婆様がいた。皆、具合が悪いようで、近くにいた見知らぬ爺様がすぐにお迎えが来るからと言ってくれたことが今でも忘れられない。


 このまま死ぬんだと爺様や婆様の顔を見て思ったが、助けてくれたのは織田の若殿と殿様だった。おらたちに飯を食わせてくれたばかりか、薬も下さった。


 あの日の飯の味は今でも忘れられない。柔らかく煮た米に味噌が味付けしてある粥だった。


 あれから、おらも大きくなり、昨年からは御家のために働いていて禄ももらえるようになった。


 捨てられた親には去年の夏に一度だけ会ったことがある。『誰のおかげでそこまで大きくなったと思っているんだ』。そう言うと、禄を寄越せ、兄に役目を渡せと言われた。


 『この子は殿と私の子です。以後二度とそのような戯言を言えば厳しき罰を与えることになります。お引き取りください』御袋様が押し掛けてきた親にそう言うと、おっとうは逃げるように帰っていった。


 以来、顔を見ることすらなくなった。


 正直、怒りも悲しみもなかったな。同じ孤児院の皆と生きていくんだと、ずっと前から思っていたからかもしれない。


 おらは働いた。御家のためにお袋様のために。必死で。


 学問も学びなさいと教えられたので、夜には月明かりでこっそり学問の書物を読んでいたこともある。もっともお袋様に見つかって以降は、夜に月明かりで書物を読むことは禁じられたけど。


 本領で学んで帰ることはおらのためだけじゃない。お袋様と、まだ働けていない孤児の皆のためでもあるんだ。皆が食えるようにおらが学んで伝えなきゃいけない。


「おい、信三。親方がいいってよ!」


「藤吉郎殿! ありがとうございます」


 共にきた孤児の皆と分担して学ぶことにした。おらは職人の技を学びたいと願い出ていたんだけど、職人衆にはあまりいい顔をされなかった。見習いでもないのに何事だと。


 ただ職人衆の見習いの藤吉郎殿が、殿様の直臣である鍛冶屋清兵衛様に頼んでくだされたんだ。


「いいってことよ。しっかり学べよ」


 無論、おらが職人の技を数日で会得出来ないことは分かっている。でもさ、いろんなことを己の目で見て学んで、帰ったら幼い子らに伝えなきゃならねえんだ。


 あと数日で出来ることをしよう。恩を返すにはそれしかない。皆、おらの帰りを待っているんだ。




Side:斎藤義龍


 父上が悔しがっておったのも分かるな。一度、久遠殿の本領を見てみたいと前々から言うておられたくらいだ。


「町を見ると、日ノ本の先をゆくのだと分かるな」


 久遠家の兵力や武具がいかなるものか興味があったが、来てみるとそれよりも日ノ本との違いに驚かされる。


 道はまっすぐ整い、鉄道馬車という身分を問わず乗れるものが走っておる。町には南蛮漆喰や煉瓦、それと硝子が珍しくないほどあちらこちらで使われておることが、久遠家の目指す先を示しておるように思える。


 珍しき高価なものを売りさばき利を得るだけではない。いずれは民でも買えるものにするべく動いておるのだ。


 日ノ本の武士ではとても考え及ばぬことだろう。民を豊かにすることで国を大きく強くするなど。


 民は従えて当然であるが、同時に恐れるのも武士なのだと父上が言うていた。北伊勢のように一揆にて武士が滅ぶことも決して他人事ではない。そういうことなのであろう。


 民を豊かにして良いのかという懸念は今の織田ですらある。余計な力を付けさせると従わなくなるのではとの懸念だ。


 わし自身も、そこをいかにするのかと思うておったが、ここ久遠家の本領ではそのような懸念など無縁のようだ。


 無論、このまま日ノ本で通じるかは分からぬが、少なくとも久遠家は武士とはまったく別の治め方が出来るのだと見せてくれた。


 別の治め方があるならば、日ノ本に合う治め方を探すことも出来るはずだ。織田家がしておるのは、それなのだ。


 数日は好きに見て歩いてよいというので、わしは町や湊に来ると民の様子を見ていることが多い。本領の民の働きぶりに、なにを食うておるのかなど見るべきものは多いのだ。


 父上ですら、かつての己の治め方は悪手だったと今では言うておるほど。愚か者を愚か者と断じるしかない者こそ愚か者なのだと、言うていたことを思い出す。


 来年には父上も来られようか。数年して元服すれば喜太郎も来られよう。その頃には、さらに変わっておるのであろうな。


 我らも負けておれぬ。斎藤家ここにありと示すくらいには変えてゆかねばならん。




Side:水軍衆の者


 ここに来るのは、もう四度目か。未だに陸の見えぬ海は怖いが、慣れたところもある。


「うめえ」


「ああ、うめえな」


 久遠諸島父島。そう言われている島は食いものが美味い。日ノ本じゃ滅多に食えねえ鯨とか食えるし、魚も豊富で味付けも多彩だ。


 船の傷みの確認と補修、船内の掃除に積み荷の荷卸し。やるべきことは多い。もっとも、おらたちも昨日と今日はお休みをもらったんで、湊の者たちを手伝って一緒に酒を飲んでいる。


 ここには遥か彼方から珍しいものが運ばれてくるんだとか。中にはよく分からぬものも多いとのことで、それが現地でいかに使われているかということから、いろいろと試して使いみちを探すんだそうな。


「この酒、美味いな」


「ああ、島の果実を漬けた酒だ。梅酒があるだろ? あれと同じだ。梅の代わりにここじゃ果樹園で採れる実を漬けるんだ」


 湊の者たちがとっておきだと出してくれた酒が美味い。甘さもあり中に入っておる実の味だろうか。初めての味に驚くほどだ。さすがにいいのかと問うてみると、梅酒と同様のものだと言われてさらに驚く。


 梅酒は尾張でさえ、高値でなかなか飲めぬ代物だ。おらたち水軍は正月に織田様から頂いて飲んだことがあるが。


「これも売るのか?」


「さあ? それは領主様がお決めになることだ。これも元は果実をいかに保存するかと考えたことらしいからな。ここじゃ、祝いの日に飲んだりする」


 久遠諸島へ来るのは大変だが、それでもまた来たいと思えるだけのものがここには溢れておる。


 酒は特に、尾張でさえない酒がいろいろとここにはある。原料や仕込みかたで味がまったく変わるんだとか。


「尾張の海苔とか豆味噌も美味いよな。領主様が尾張に行かれてから、よく入ってくるようになった。握り飯とみそ汁はご馳走だ」


 面白いのは、ご馳走が違うことか。ここだと鯨はご馳走ではなく、握り飯やみそ汁がご馳走なんだとか。米や味噌なんかは、昔から商いで日ノ本から手に入れていたらしいが、尾張から運ぶようになって値が下がったと喜んでいる。


 おらたちの運んだもので喜んでくれる。それがなんとも嬉しいことだ。


 

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