第千六十九話・久遠諸島滞在中・その十一

side:菊丸


 菊丸と名乗り旅に出たが、ここまで穏やかで争いのない国は初めてだ。町で刀を抜いておる愚か者などおらず、それどころか脇差しすら持たぬ者が多い。


 狭い島故に争う余裕などないのだと、島の者は言うておったな。それに外地と島の者らが呼ぶ、外の領地はよそ者との争いもあるという。


 されど、一馬らがまことに争いのない世をつくろうとしておることは分かる。それが決して夢物語でないこともな。


「与一郎、見ろ。鯨とはあのように獲るのだな!」


 昼までは好きにしてよいというので海に来ると、見たことのない小舟と南蛮船であろうか? 大きな船が一隻で鯨を獲っておるのが見えた。


「某も噂を聞いただけでございますが、鯨の獲り方はあまり変わらぬようで」


「ほう、そうなのか」


 沖合で鯨を獲らえて、島まで船で引っ張ってくるようだ。近くで見てみたいと湊に急ぐ。


「あの者は確か……」


 湊の一角に織田の者と島の者が集まっておるが。それとは別のところ、灯台というものがあるところにひとりの女と市姫らがおった。


 女はまるで海のような青い髪を腰まで伸ばしておる。以前久遠家の屋敷で顔を見たことがある。一馬の奥方のひとりだったはず。


「これは菊丸様と与一郎様、いかがされましたか?」


 市姫の乳母である冬殿がこちらに気付いて声をかけてきた。オレの素性を知る者だ。


「いや、鯨を見に来たのだがな。なにやら気になってな」


「菊丸殿! いるかでございます!」


 海を見ておった市姫の指さす先には、なんと海豚いるかがおった。


「ほう、あれが海豚か」


 鯨と同じく美味いと聞いたことがあるが、生きておるものは初めて見る。


「この島ではイルカは友。日ノ本の武士が馬を友にするようなもの。見ていて」


 青い髪をした女がこちらを振り向き、オレにそう答えると口になにかを咥え、すぐに甲高い音がした。あれは笛か!?


「おおっ」


 時折、姿が見えた海豚が間近に来ると、まるで友に会いに来たように海面から顔を出した。


「シーホ。行くよ」


 海豚に魚のようなものを与えると、海豚は海に潜った。


「うわぁ!」


 またもや笛の音が鳴ると、海豚が海面から飛び出して見事に跳んだではないか! あまりの見事さに市姫が喜びの声を上げる。


「なんと……」


 そのまま女は海豚に芸でもさせるように、さまざまな動きをさせてみせた。


「シーホありがとう」


 戻ってきた海豚と、まるで話が出来るかのように嬉しそうに話す女に目を奪われる。


「そなた、名は確か……ナディだったか」


「そう、この子はシーホ。私の友。私は魚や鯨やイルカのことを学んでいる」


 そうか、魚のことを学び探っておる者なのか。常に学び、新しい知恵を探す。まさしく久遠家の女だな。




Side:織田信秀


 今日は鯨漁を見ておる。慶次や若い者らが、島の者たちと共に鯨漁をしておる姿に頼もしさを感じる。


 久遠の者ばかりではない。織田の者もここの者らと共に生きようと、他者と分かり合おうとしておるのだ。変われば変わるものだな。


「父上! いるかがね! いるかがね!」


 しばしそのような光景を眺めておると、市が嬉しそうに駆け寄ってくる。何事かと思うて話を聞いてみると、海豚が芸をするのだとか。


 魚が芸をするなどありえるのかと思うておると、市に案内されてその場に赴く、そこでは、一馬の妻のひとりが海豚に芸をさせておるではないか。


「ここではイルカは友としているんですよ。海の生き物の中では賢いですから」


 驚く皆に一馬が仔細を話すが、海に生きる者らには海の生き方があるということか。されど魚が賢いとは。世の中には知らぬことが多いのだな。


 そのまま鯨を解体するところを見たあとには、果樹園なる畑に案内された。


「ここか。三郎らが言うていたところは」


 硝子で造られた建屋に、初めて見る者らは信じられぬと唖然としておる。那古野にも一馬が造っておったが、あれもあまり公にしておらぬからな。


 さらに、ここはそれより遥かに大きい。貴重な硝子をここまで大量に使うとは。


「守護様、父上、見てください。あの木とあの木が同じ木なのでございます!」


「なんと……、中のほうが暑くて実がなっておる」


 誇らしげにわしらに教える市の言葉に伊勢守が驚き、硝子の温室と外の木を見比べて唸っておる。


 温室は幾度か入ったことがあるが、こうして同じ木を比べて見るとやはり驚かされる。


「夏に暑くならずに米が育たぬ時があるが、この中なら育つということか?」


「はい。米も育つことは確認しております。さすがに田んぼを硝子で覆うのは難しいですけどね」


 ふと以前から気になっておったことを一馬に問うてみるが、その答えに恐ろしさすら感じる。僅かな田畑を巡って戦をしておる間に、久遠は高みに進んでおるのだ。今川や武田がそれを知れば、いかにするのであろうな?


「あっ! プリシア!」


「ようこそいらっしゃいました。せっかくここまでいらしたのです。食べ頃の果実をご用意しております」


 どこか甘い匂いがする畑を見ておると、一馬の妻のひとりが女衆と共に作物を切ったものを運んできた。


「これは前に食うたことがあるが、味が違うな」


 時折、一馬から珍しいものを貰うが、瓶詰の甘い果実と同じものだな。味は随分と違うが……。


「瓶詰にする前の果物よ。マンゴーにパイナップルとかいろいろ用意したわ。この時期に収穫を合わせたのよ。美味しいでしょ? これは尾張だと育てるのが難しいのよね。暑い土地で育つものだから。温室だと育つと思うけど。それも試してからね」


 採れたての果実はこれほど美味いのか。プリシアの話を聞かず夢中で食うておる者すらおるわ


「そんなに焦らなくてもお代わりあるわよ」


 若い者らが口いっぱいに果実を頬張る姿に、プリシアと市は我慢出来なかったのか噴き出すように笑った。


 中には二度と食えぬと思うておる者もおろう。気持ちは分かる。


「海豚と心を通じて、育たぬ作物を育てるか。世の中とは面白いな」


 孫三郎が隠居してここに来ると言うておったこと、本気だったのだと改めて理解した。


 すぐそことは思えぬが、手の届くところに新しき世があるのだ。面目だ田んぼだと、軽々しく争うのが愚かしいことのように思えても仕方のないことだ。


 一馬が日ノ本で立身出世に興味を持たぬのもそこか。


 わしですら学問を学びたくなる。誰も知らぬ知恵や技を見つけた時の喜びはいかほどか。いっそ日ノ本など捨てても面白い。戯言ではあるが、そう思うてしまいそうになるわ。




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