第千六十八話・とある男の年貢の納め時・その二
side:久遠一馬
慶次の縁組のこと、みんな興味があるらしく話題となってしまった。義統さんや信秀さんすらどうするのだと噂している。
とりあえず慶次とソフィアさんをふたりにして少し話すように言って、オレたちは席を外したんだが、一刻もしないうちに揃って挨拶に来た。
「良しなにお願い致します」
迷いのない瞳で深々と頭を下げるソフィアに、少し唖然としてしまったかもしれない。こちらで勧めておいてなんなんだが、少し結論が早いんじゃないの?
「ちゃんと話した? 婚礼は他人と暮らすことになるんだよ。食事も風習も違う。まして尾張とここだと生き方も違う。お互いに言いたいことをちゃんと言った?」
周囲が勧めるままに結婚することは、この時代ではそれほど驚くべきことではない。結婚前に顔を合わせることが出来れば幸せなほうだ。本人同士よりも家と家の問題なので、すでに決まった縁組をあてがわれることもある。
とはいえ、オレはそういうのがあまり好きじゃないし、きちんと結婚前に話をしてほしいんだけど。
そもそもソフィアは、そういう日ノ本の風習と違うはず。
「故郷を離れ、命を救われたこの身。いずこに行っても生きていけます。領主様や奥方様のおられる尾張ならば一切の懸念がありません」
人の人生を決めるって責任が重いなと思っていると、ソフィアさんが迷いのない顔でそう言い切った。
記憶操作はしているが、本来の性格とかは変わってないはず。こんなに強い人だったのか? それともそういう教育を島ではしているのか?
いや、こういうガチガチな封建体制のような教育をしているとは聞いていない。ということは本人の資質か?
確かにオレの妻たちは島と尾張を頻繁に往復している。近いとは言わないが、日ノ本の人が隣国に嫁ぐよりはハードルは低いとは思うけど。
「いや、さすがは本領の女は賢く強うございますな。そこが気に入りました」
一方の慶次。こっちはちょっと変わった性格だからなぁ。どこまでが本心でちゃんと話したのか、読めないところがある。
「そうか。ならいい。婚礼の日取りとかどうするかとか考えるか」
「私は天涯孤独の身の上。このまま領主様や旦那様となるお方と共に、尾張に参るつもりでございます」
さて、ここからが大変だなと思ったんだが、なんとソフィアさんがこのまま尾張に行くと言いだすと再び驚いてしまう。
今日は午後から果樹園の視察に行く予定なので担当のプリシアがこの場にいるが、彼女が納得した様子で笑みを見せている。封建体制とは違うはずだが、強く自立した女なのはここの教育か。
島では船乗りが多く、女は待っていることが多い。そういう意味では自立した女になるのが自然なんだろうけど。
「尾張でも婚礼を挙げるんでしょ? なら、島の流儀で婚礼を挙げて送り出してあげるわ」
プリシアがそう言うと反対の声はなかった。念のため一益さんも呼んで聞いてみるが、まあ反対はしないよね。
結婚を渋っていたわりに、あまりに早くあっさりとした結果だったなぁ。
日程は尾張に帰る前日にすることにした。見送りも兼ねて宴をする。
「ふたりとも本領と尾張のことを気負わなくていいから。ちゃんとふたりの暮らしを第一に考えるんだよ」
「かしこまりました」
「はい」
責任を感じる。そんな立場なんだけど。慶次は今まで他人の縁組を何組も決めている。責任を感じることはなかったんだろうか? 落ち着いたら聞いてみたい。
オレから言うべきことは多くない。ただ一点、ちゃんと自分たちのことを一番に考えること。これだけは言っておく必要がある。
ホッとしたような一益さんと益氏さんの顔がむしろ印象的だった。時には騒動を起こす困った男だが、それでも周りには好かれている。
そんな滝川家の様子がよく分かるね。
Side:滝川一益
ようやくだな。顔を見合わせた儀太夫も安堵した笑みを浮かべた。
尾張に移り住んで幾年。久遠家に馴染み、一番変わったのは間違いなくこの男だ。甲賀の狭い領地で生きるにはあまりに惜しい男だったからな。
元服しておらなんだこともあって、わしのように家を出ることは叶わなかったが、また元服していたとしてもこの男は一族の者らを案じそれもせぬと思える。
殿やお方様がたは、いかなるわけかこの男を気に入っておられる。やはり最初に手土産だと猪を狩ってきたことが面白かったのであろうか? 生臭を手土産など聞いたこともない。慶次でなくばやらぬことだ。
よく働き、よく遊ぶ。そんな姿も他家ならば困った男だと言われるのだが、殿はむしろそれでいいと家中の他の者にも勧めておる始末。寝る間を惜しんで働くと、働き過ぎだとお叱りを受けるなど、日ノ本でもここだけであろうな。
命を大切にして、情けをもって生きよ。それが殿の変わらぬ信念だ。沢彦和尚がそんな殿の信念に、坊主も忘れておる慈悲であると感心されておられたのが思い出される。
父上はそんな殿の信念を理解して人の和を尊ぶようになった。それが必要だったのだと言えばそれまでだが、慶次はむしろわしよりも父上のそのようなところを受け継いでおるように見える。
立身出世の機会も一度や二度ではない。殿も時折忘れたころに声を掛けておられるし、良ければ養子にという話も幾度かあった。
もっとも、名が知れておるわりに出世しておらぬように見えるせいで、滝川家で飼い殺しにされておると勘違いもあるようだがな。
本人が望まぬのだから仕方ない。殿から頂く禄はその辺の国人より多かろう。多芸な男だからな。文武両道で医術にも精通しており、絵も描ける。おかげであれこれと皆に頼まれて働いておる男だ。
武芸大会とて、出れば本戦で活躍出来る力はあるものの、本人が気が進まぬと出ておらぬ。
元服してからは烏帽子親である平手家とも親しくしており、向こうの一族から気遣いを驚かれたほどだ。
少し殿と似ておるようにもわしには見える。いずこが似ておると言われても困るが、生き方であろうか?
あとは慶次の子が出来れば安泰だ。他の者ならばともかく、慶次ならば本領と尾張の家臣を上手く繋いでくれるであろう。
「おい、慶次、鯨漁をするってよ!」
「ほう、それは面白い。オレも混ぜてもらおう」
ようやく一段落したなと思うたのもつかの間、若い家臣が慶次を呼びに来るとそのまま飛び出していってしまった。
殿がもう少し話せと言うておったというのに。殿もソフィア殿もそんな慶次を見て笑うておるのでいいのだが。
まったくあの男は……。
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