第千六十一話・久遠諸島滞在中・その六
Side:久遠一馬
「わざわざ尾張よりお越しになられたのです。久遠家の学問を学んではいかがでございましょうか?」
教室を幾つか見たあと、アイムが義統さんたちにひとつの提案をした。
「ほう、それは面白いの」
「当家で『実験』と呼んでいることでございます」
そこまで予定していなかったが、義統さんたちの反応を見て考えたんだろう。学校自体は尾張にもあるからね。
どんな実験をするんだろうか? そのままアイムの案内で校庭に出ると、島の教師陣が木箱を運んできた。
「これは『拡大鏡』と呼ぶものでございます」
島の学校の子どもたちと、尾張から来ている皆さんを混ぜていくつかのグループを作る。それぞれに配ったのは虫眼鏡だ。ここでは拡大鏡という呼び名の学校の備品になる。
義統さん以下、初めて拡大鏡を見る皆さんに注意事項を説明して実験の開始だ。これで太陽とか見ると大変なことになるからね。絶対駄目だと強い口調で注意がいる。
「本来は小さいものがよく見えるようになるものでございますが、面白い実験を行います」
十数人で一個の虫眼鏡を渡すと、まずは近くにある砂とか虫とか草をみんなに見せてあげた。見知った虫や草もよく見ると違うなと、驚きの声があちこちから聞こえてくる。
これに慣れているのは、尾張で虫眼鏡を使ったことがあるお市ちゃんと孤児出身の者たちだろう。
「さて黒い紙が行き渡ったと思いますが、拡大鏡を黒い紙に当ててください」
各グループには年長組の子供たちが加わって、アイムの指示に従って実験をやって見せていく。その姿を織田家の皆さんは興味深げに見ていて微笑ましい。
オレのところにはお市ちゃんがいて、義統さんとか信秀さんたちと同じグループだ。お市ちゃんが経験者らしくみんなに実演してくれるらしい。アイムの説明を聞きつつ、黒い和紙に虫眼鏡で光を集める。
「これはなにをしておるのだ?」
「光を集めています。こうしてみると分かりやすいかな?」
身分のある人ばかりだから、こんなことしたことないんだろうなぁ。職人とかは試行錯誤をすることもあるんだろうが。日頃は命じるだけの人たちだ。
虫眼鏡を上下させて、光を一点に集めることを理解させてしばし待つ。
「おおっ!」
「煙が!!」
今日は天気がいいのですぐに黒い紙から僅かな煙が出てくる。そしてそのまま待つと微かに焦げくさいにおいがして周囲から驚きの声が上がる。
一番騒がしいのは職人衆だろう。藤吉郎君の驚く声がここまで響いてくる。
「これだけだと燃えませんが、燃えやすいものを置くとこれだけでも火を起こせますよ。まあ、だからどうしたと思うかもしれませんが、こういうことを積み重ねるのも学問になります」
「なにを言う。これは凄いではないか」
意外にたいしたことないとがっかりされるかと少しフォローしたが、義統さんが驚き興奮した様子で虫眼鏡と黒い紙を見ている。
意外にみんないい反応してくれるなぁ。
Side:織田信秀
久遠の知恵の凄さに身震いする。火打石もなく待っておるだけで火を付けるとは。
更に市が慣れた様子で火を付けてみせる姿にも驚く。聞けば学校では教えておることだとか。
元服した勘十郎が未だに学校に行き、学んでおるのも分かるというものだ。
「一馬、これは硝子なのであろう?」
拡大鏡と似たものを思い出した。
「はい。そうですね。素材は同じになります」
やはり硝子か。古には日ノ本にもあったのではないかと、誰かが言うておったな。盃、窓硝子、細工物、ああ、五郎左衛門が一馬から眼鏡という硝子の品をもらって使っておるな。あと月を見た望遠鏡であったか。あれも硝子を使うておるはず。
久遠家では硝子ひとつでここまで様々な試みをしておるのだと思うと、驚きを禁じ得ぬ。
「では次の実験をしましょうか。みんな磁石を取りに来て」
「私がとってまいります」
素直に面白いことだとみておる者もおるが、職人衆が騒がしいのが、この知恵が凄いというなによりの証だ。
そんな驚いておる中、アイムの命で本領の子らが磁石というものを取りに行った。わしのところでは市がやってみせておるので代わりに取りに行った。
磁石とは、いかなるものであろうか?
「この磁石は、羅針盤という船に置いて方角を知るための道具に使うものになります。これは鉄にくっつくのです。では実際に試してみてください」
羅針盤か。幾度か見たことがある。常に同じ方角を指すことで陸の見えぬ海を走るのに使う道具だ。これが鉄にくっつくとは?
「父上、守護様。これでございます」
守護様は興味深げに磁石を手にして、市が差し出した鉄の棒や自身の脇差に近づけて試しておられる。
なんともおかしなことよ。なにゆえ、鉄に付くのだ?
「これ実は地面や砂のところでは砂鉄がくっつくんです。この島はあまり砂鉄がないので、当家の製鉄は砂鉄を使っていませんけどね。これで砂鉄を集めることも出来るんですよ」
皆が考えておると、一馬が驚くべきことを口にした。まさかと思いつつ周囲の地面で試すと、わずかに砂のようなものが付いておる。
「まことに同じような砂ばかり付くのう」
いかなるわけでこうなるのか、まずは己で考えてみてほしいとアイムは皆に語った。
久遠家でも考えた理由はあるようだが、考えることで新たな知恵となるのやもしれぬとか。
なるほど、こうしてひとつひとつ試して探して考えておるわけか。師の教えをそのまま学び覚える日ノ本の学問とまったく違う。
思えば日ノ本は大陸に倣うことはしても、大陸を超えようと考えた者はおらなかったのやもしれぬ。
一馬らは大陸に倣うが、それは大陸だけではない。南蛮に倣うこともあれば日ノ本に倣うこともある。極め付きはそれをいかにして使うか、己らでさらに考えていくことか。
「一馬。これこそ久遠家の秘伝であろう?」
知恵ではない。知恵の生み出し方なのだ。久遠家の真の秘伝はな。それをここまで誰もが分かるように教えるとは。
さすがに良いのかと案じてしまうわ。
「まあ、そうですね。でも隠していては、より良き明日になりませんから」
「父上、皆で飢えないようにするのでございます」
一馬の言葉に守護様やほかの者らは、ただただ見入っていた。されど市だけは一馬の想いと見ておる先を理解しておった。
そなたらは本気なのだな。人を変え、世を変え、まことに乱世を終わらせるつもりなのだな。
己で天下を取らずに。己の夢を叶える。
そなたは天が荒れる世を嘆いて遣わした仏の化身ではないのか? わしですらそう問いたくなるわ。
無論、一馬は人だ。悩み困る時もあった。面倒事を嫌がり避けたがるところなど、人そのものだ。
されど……。
見てみたいものだな。一馬の見ておる明日というものを。
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