第千五十二話・久遠諸島への帰省・その三
Side:久遠一馬
船旅は順調だ。今日は朝から風が強く、波が高い影響で船が揺れているが、思った以上にみんな順応している。まあ吉良義安さんのように船酔いに弱い人は寝込んでいるが。
なにか困っていないか気になり信秀さんの部屋を訪ねると、ハンモックに寝転んで書物を読んでいた。備え付けのベッドもあるけどね。ハンモックも常備してある。船が揺れるとこちらのほうが楽でいいという人もいるんだよね。
「大殿、酔いませんか?」
「慣れれば、この程度の揺れなど気にならぬな」
さすがに経験者は違う。ちなみに読んでいるのは吾妻鏡だ。書物はよほど慣れないと酔うからね。貸し出しはしていないんだけど。
誰しも海が怖いという本音はあると思うが、こういう時に開き直って楽しめている人も中にはいるんだ。あと船の操船や仕組みを見て学ぼうとしている人もいるね。
中にはひたすら寝ている人もいる。鍛練は船内で動かない形で出来るものは禁止していないが、刀を抜いたりするのは禁止している。
暇だと大変だろうと、久遠絵札という名で親しまれているトランプを貸し出しているが、これが結構人気で遊んでいる人を見かける。
「ねこ~」
ああ、お市ちゃんは猫が気に入ったのか、暇さえあれば猫のあとを追っている。ちなみにこの猫、前に津島の屋敷にどこからか逃げてきて飼っていた猫らしい。
「島が見えたぞ!」
そんな船が尾張から黒潮に乗って東に進むこと三日目の午後、船が騒がしくなった。神津島が見えたんだ。
伊豆諸島でも本土寄りの島で、ウチの拠点を置いている島だ。
「おお、早かったの」
二日半ほどの船旅で伊豆諸島に着いたことに義統さんは驚いている。今回ここに上陸する予定なので、島に到着するなり小舟で上陸する。
南蛮船が見えたことで島の側も活気づいたようで多くの人が集まってきている。
港は整備している真っ最中のようで、まだ南蛮船が入れるほどではない。当然、千トンクラスの旅客型が接岸するのは無理だろう。
「無事のご到着、祝着至極に存じます」
上陸したオレたちを出迎えてくれたのは三雲賢持さんたちだった。三雲家家臣と島の住人たちも歓迎してくれていて、狭い島の人がみんな集まったのかと思うほど人がいる。
「なかなかいい島だね」
建設中の港では多くの人が働いているようだ。もっとも、島の規模を考えて多いという意味だが。それでも百人以上はいるか? さすがにこの島で、これ以上の規模で賦役をするのは現時点では難しいだろう。島には島の生活もある。
船の接岸出来る港と蔵の建設を進めているのが見ただけで分かる。蔵を建てているのは、主に本領から派遣した職人に擬装したロボット兵と領民だろう。本領も本物の領民の割合が増えていると報告を受けている。
島内に元からあると思わしき領民の家は、お世辞にもちゃんとしているとは言えない。掘っ立て小屋よりも劣りそうだ。
現在、この島には伊豆大島の領民もいて、彼らと神津島の領民による賦役の参加者はゲルで暮らしているそうだ。
ああ、まだ幼い子もいる。よく分かっていないんだろう。大勢の人が上陸してきた様子を不思議そうに見ているね。
上陸するのには時間もかかるし、ここで荷降ろしする物資も結構ある。義統さんを筆頭に重臣クラスの人たちが下りると、オレたちは一足先に今夜泊まる代官屋敷に移動する。
代官屋敷は元領主の館だったところだ。現在はウチの家臣となっていて、三雲賢持さんの下で働いているはず。
「思うておったよりもいい島ではないか」
信秀さんは到着して一息つくと、島の感想を口にした。流罪の島というからもっと辺鄙で使えない島かと思ったらしい。
「ここから伊豆の下田は近いです。売れるものを作れば、それほど悪い島ではないですね」
この神津島、記録によると史実で養蚕をしたりしていたし、僅かだが稲作もしていたという伝承があったはず。もっともウチで調査した時には田んぼなんてなかったが。
黒潮が付近を流れているので漁業はいいと報告にあった。水にも困ってなく、そこまで将来性がない島ではない。
まあ航海技術がないと、ほんと宝の持ち腐れになる島だけど。
Side:三雲賢持
この島にこれほど身分のある御方が来られるなど初めてではないだろうか。島の者らも驚き、戸惑いながら支度をしてくれた。
伊豆諸島が北条家から久遠家に変わったと聞いても、己らの暮らしに変わりはないと思うておった者らだ。実際、今まではそうだったのであろう。
残念ながら湊の賦役は間に合わず、船乗り以外で五百もの人を寝泊まりさせるところもない。島の者らは自らの家を使うてほしいと言うてくれたが、それでも足りるはずもない。
結局、本領からゲルを運んできてそれを使うことにした。
幸いなことにこの島は水には困らぬし、魚も美味い。家臣や島の者に本領の職人まで交えて話をして、魚は鰹などこの辺りで捕れる魚をお出しすることにした。
上魚、下魚などいろいろとあるが、捕れたての魚はどれも美味いのだ。久遠家の本領でも上魚下魚問わず食うておると聞いたこともある。
困ったのは味付けだ。味噌や醤油など船で運んできていただくが、当家は甲賀の山奥で生きた者ばかりなのだ。魚料理には慣れておらん。
島の者や本領の職人がなんとか作ってくれたが、果たして喜んでいただけるのかどうか。
伊豆諸島に流罪になると聞いた時には、このような大任を得るとは思いもしなかったな。生きておれば、なにがあるか分からぬものだ。
あれよあれよという間に日が傾く。母上ら女衆が歓迎の宴となる料理を運んでくる。顔色が良うない者もおるな。日ノ本でも上から数えたほうが早い身分だと教えると、恐ろしいと申した者も島の者にはおったほどだ。
「凄いごちそうだね」
「はっ、精いっぱいのもてなしでございます」
父の罪で死罪になってもおかしゅうない我らを助命してくださった方々だ。いかんとしても喜んでいただきたいが、思えばこのような歓迎の宴を差配する経験などない。
「南蛮船は飯も美味いが、やはり陸に上がると落ち着くな」
殿の表情が和らぎ、織田の大殿のご機嫌も悪うないようだ。御不興を買えば腹を切らねばならん。それも致し方ないが、恩を仇で返すのだけはしとうない。
「あまり見たことがない魚もあるようじゃの?」
「はっ、すべてこの島の近くで獲れる魚でございます。巷ではいろいろ言われておる魚もありまするが、どれも獲れたてでは美味しゅうございます」
武衛様に直接お声をかけていただくと思わず声が上ずってしまった。まさか、お気を悪くしたのかと思うと落ち着いてはいられぬ。
「なるほど、確かに美味いの。久遠家の料理を食うようになってからというもの、上魚も下魚もいずれも楽しみとなったわ」
箸を付けた武衛様の一言に、心底ほっとした。ここで失態を演じれば、三雲どころか久遠家にもご迷惑をおかけしてしまう。その一心で眠れぬ日々を過ごしておったからな。
良かった。まことに良かった。
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