第千二十五話・格差への対処策
Side:真柄直隆
ようやく雪が消えて春が来たと思うておるところに、宗滴のじじいがわざわざ訪ねてくるとは。昨年の武芸大会のことか?
「久しいの。十郎左衛門」
父上の顔色が優れぬ。あえて隠しておるわけではないが、こちらから知らせる義理はない。少しばかり鍛練の旅に出ただけだからな。そもそも当家は朝倉の家臣ではない。
「尾張に行ったそうじゃの?」
やはり、その件か。
「はっ、武芸の鍛練のついでに行きました」
父上はあまり腹芸が得意ではないからな。顔に出ておる。宗滴のじじいは少し面白そうに父上を見ておるな。
されど、その件でお叱りを受けることはあるまい。罰を受けるいわれはないのだからな。
「真柄の悪童も世の広さを知ったか。尾張を見聞きしていかがであった?」
「越前より栄えておりますな。一乗谷は負けておりませぬが、尾張は栄えておる町が幾つもありました。宗滴様ならば一捻りでございましょうが」
なんだ。尾張を知りたいだけか。斯波と織田の治める国というだけで軽んじる者が多い朝倉家中だと珍しいことだ。とはいえ、このじじいだけは別格だからな。
「思うてもおらぬことを言うな。それに一捻りしたあとはいかがするのじゃ。わしはもう先が長くないぞ」
やはり織田の力を理解しておるのか。越前では斯波と織田など恐るるに足りぬと言うておる者が多いというのに。
「まあ、そのような戯言を聞きに来たのではない。そなた、久遠殿の屋敷で世話になったとか。知っておるか? 久遠殿に子が生まれたそうじゃ。世話になったのだ。祝いを贈らねばなるまい?」
ニヤリとした宗滴のじじいは思いもせぬことを口にした。おお、生まれたか。昨年、大智殿が懐妊しておると聞いておったが。
「ついでじゃ。尾張に行き、祝いを渡して参れ。朝倉家としても贈らねばならん」
「畏まりました」
用件はそれか。オレが尾張に行くことを読んでいたというわけだな。朝倉として使者を出すと一族衆が煩いのであろうが、オレが名代となるくらいならばじじいの力で黙らせられるか。
「十郎左衛門よ。覚えておけ。戦をする以上は、畜生呼ばわりされようとも勝たねばならぬのだ。武芸と同じと思うなよ」
安堵したのもつかの間、オレの心中を察したように真顔となったじじいにそんなことを言われた。
「では勝てぬ時は、いかがいたすのでございますか?」
「戦をせぬ道を選ぶしかあるまい。勝っても先がない場合もな」
最後に宗滴のじじいは意味深長なことを口にした。らしくねえな。確かに織田は朝倉よりも上だとは思うが。
まあいい。オレは尾張で武芸を磨ければな。
Side:久遠一馬
田植えが始まった。この季節になると人々の顔つきが変わる。新しい田植えを喜び、豊作を祈願して祈る。
織田領では直播きから苗を育てる田植えにだいぶ切り替わりつつある。正条植の効果が知られつつあることが理由だ。
以前と違い、村に人が余っていることは珍しくなりつつある。余剰人員は賦役に出てしまうか、清洲や津島や蟹江に出て働く者もいるんだ。農繁期には帰る者もいるが、農業の効率化がすでに必要なことは明らかだった。
ウチの家臣や奉公人たちも農繁期に実家や故郷の村に帰ることが減った。数年前にはよくあったことだが、ウチも忙しくなったことと、縁者の主立った者がウチの下で働いているからだろう。
オレは農業試験村と太田さんの元領地にて、恒例となっている田植えの視察とお手伝いをしてきた。今年は孤児院の子供たちも一緒だった。子供たちにも米作りを学ばせるためだ。
土を耕してそこからの収穫物で生きる。人の本来の生き方なのかなとこの時期になると感じることだ。
今年は豊作になってほしいな。織田領で植える主力品種はウチで開発して持ち込んだ米に変わったので、冷害や日照りに病害虫に強く史実よりはマシになるはずだし。
「知識の対価か」
織田家で最近にわかに話題となっているのは、ウチの知識への対価についてだ。あまりにも当たり前にウチの知識をあてにし始めた北畠家に、春が釘を刺したのが切っ掛けとなった。それは織田家内部でも話題となっている。
あまり知られていないが、織田家には商いの特権から身分の保障まで幅広い優遇を受けているので問題はない。ただし北畠や六角などからは、きちんともらうべきだと織田家の皆さんも考え始めた。
「殿は自ら求められませぬからな。織田家として要求するというのは正しいと思いまする」
資清さんあたりには以前から言われていたことだけどね。織田家としても、ウチの技術や知識についてきちんと対応しようという流れになっている。オレが言いにくいことは織田家で求めるということだ。
主家が家臣を守る。ある意味当たり前のことなんだよね。この時代だと。
「でもあまり厳しくすると敵を増やすんだよね」
間違ってはいない。ただ、あまり対価を求めると払えないのは明白だ。北畠にしても六角にしても中央集権体制ではないので、国としての生産力と北畠家や六角家が直接使えるお金の割合は織田とまったく違う。
難しいのは、友好国の改革と発展を助けていかなければならない立場だからだろう。敵に回してみんな滅ぼしていくわけにもいかない。
「その件に関してですが、対価を銭ではなく作物にするのがいいかと考えています」
「作物?」
「織田で支援した分だけ、こちらで求める作物を植えてもらい、売買全ての権利をこちらで握り、現物で納めてもらうのです。割合は話し合って決めればいいかと」
困ったなと資清さんと望月さんと悩んでいると、エルが妙案を教えてくれた。これ元の世界のプランテーションみたいなもんか?
「知恵の対価としては悪うありませぬな。こちらがさらに銭を出せば、それだけ長く使える土地とすればいい。税が入れば北畠と六角ならば受け入れると思われまする」
固まったように考えていた資清さんと望月さんだが、望月さんはいち早く賛成した。これ考え方を変えると経済的な侵略だから、結構エグイんだけどね。こうでもしないと北畠と六角の改革なんて進まないのが実情か。
「八郎殿、出雲守殿。銭と物が動き出すとどうなるか考えて、まずは簡素に。次にウチの家中で話し合えるような試案としてまとめてくれる?」
「はっ、お任せを」
まあ試案のひとつとしてはいい。ふたりにこの時代の実情にあった具体的な案としてもらい、織田家で検討して北畠と六角に提案してみるのは悪くない。
「戦の援軍の返礼に困っているしね。こうでもしないと今後の関係が成立しないか」
「はい。織田領は北伊勢を除き、耕作地を大幅に増やせるところはありませんので」
力の差が面目を維持するのに難しいレベルになりつつある弊害か。
尾張も美濃も、すぐに開発出来るような未開の地なんてほとんどない。小さな耕作放棄地くらいならあるが、あとは田んぼに出来ないとか問題がある土地ばかりだ。水利が悪いとか地形的に難しいとか。
治水や土地の整備で耕作地は増えるが、手間がかかるので他の賦役などと費用対効果などを検討しつつ進めないといけない。
食糧確保の観点からもこの政策はいいかもしれないね。
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