第千二十四話・故郷を出て

Side:久遠一馬


 北畠晴具さんから文が届いた。伊勢のことで世話を掛けたとお礼の文だ。返信しないとな。具教さんからの文もあって、こちらは迷惑をかけたと謝罪がある。春がちょっと怒ったと言っていたからな。それのことだろう。


 正直、驚いた。具教さんと文のやり取りは今までにあったが、北畠家前当主である晴具さんから文を頂くとは思わなかった。


 家柄や権威でいえば、こちらは虫けらのようなものだ。そもそもオレに礼を言う必要はなく、義統さんと信秀さんに言うだけでいいはずだ。


 まあ、こういうところが公卿家の慎重なところなのかもしれないが。


 ああ、信秀さんのところには戦の援軍の返礼や今後の伊勢のことを相談したいとの文が届いているらしいが、忙しくてこちらに来られないのでしばらく待ってほしいという内容らしい。


「返礼は、どうするんだろうね」


「銭が一番いいのでしょうが、北畠家でも改革をするというのならば悩むところでしょう」


 面倒なのがこの返礼なんだよな。要らないとも言えないしね。体裁を守るって大変だ。どうもエルはなにかしらの妙案があるらしいが、こちらから提案するのはあまりよくないしね。


 あと意外に上手くいっているのが、北伊勢で行なっている賦役による農地の改修改善だ。


 一揆で邪魔をする国人、寺社、村の顔役かおやくなんかを排除出来たところは、田んぼ自体を稲苗の正条植えに合うように改善出来たので、田仕事ではなく、田植え準備をしている。


 土地を召し上げちゃったので一種の集団農業なんだよなぁ。メリットデメリットはあるのだろうが、とりあえず米でも雑穀でも野菜でもいい。田畑を活用しないといけない。耕作地を放置しておく余裕なんてないんだ。


 伊勢全体でみると落ち着きを取り戻しつつある。水軍は織田水軍への編入に向けて動き始めているし、織田に臣従を申し出た水軍衆の領地に関する調査も進めている。


 一方、伊勢が一段落したかと思ったら、今度は東三河が揺れている。三河本證寺鎮圧の際に、今川が三河国人衆の人質を返したことで、東三河の国人衆がどちらにつくのかと揺れているんだ。


 東三河の国人でいえば、吉良家と近い幡豆小笠原家と松平分家の一部などは織田に臣従をしたことも彼らを迷わせる理由だ。


 考えてみると、三河はずっとそんな感じなんだけどね。


「東三河の鵜殿うどの家か。八郎殿、知っている?」


「紀伊熊野大社の別当の分家でございますな。名門かと」


 気になるのは、東三河上ノ郷城の鵜殿家までが揺れていることだ。資清さんも言うように名門でそれなりに名が知れている国人になる。


 ここの当主は鵜殿長持。義元の妹を妻にしている完全な今川方の国人だ。ところが一族の下ノ郷城の分家がこちらに寝返りたいようで伝手を辿って打診があった。


 シルバーンの記録だと、史実でも分家が松平に味方して分裂した家だよね。


 ただ、この分家、どうも本家を追放しようと企んでいるみたいなんだよね。鵜殿分家に限らず、臣従するにしても自分たちの力を見せたいようで張り切るのがよくある。あまりやらかして面倒を起こさないといいんだけど。


「美濃の牧場造りが始まったか」


 オレたちは伊勢と東三河ばかり見ていられない。美濃と西三河で植林と炭の効率的な生産のための炭窯の伝授などをしているし、美濃では牧場を造ることにした。場所は東美濃の山間部だ。


 馬の需要が増えていることもあるし、乳牛も増やしたい。チーズならば種類によって保存が可能なので遠隔地で生産してもいいだろう。


 もっとも、東美濃と北美濃では街道整備と耕作放棄地の復旧が優先される。現状では牧場予定地のそうもくの伐採が始まったところだ。北美濃の場合は対朝倉、悪くすれば一向一揆対策の城か砦も必要なので牧場は後回しになる。


 流民は相変わらず来ているが、賦役も順番があるからね。


「やはり冬の餓えと寒さから守ってやると、大人しゅうなるのでございますな」


「確かにそうだなぁ」


 北美濃と東美濃。あそこって義統さんの美濃守護就任と、大内義隆さんの法要に出席したいとかの理由で臣従したところだ。消極的な臣従だったところもあったんだけどね。


 もともと山が多くて大変な土地だったらしく、一冬飢えないよう凍えないように手配したらかなり反応が変わったようだ。


 植林と炭焼き技術を伝授しているウチの家臣の報告では、向こうの武士や領民の態度はがらりと変わったことが書かれていた。


 この時代ではよそ者って歓迎されないからね。しかも美濃から見ると尾張は他国だ。武士は織田との力の差を理解して従うが、領民はまた別だからね。


 飢えさせないための支援がそれだけ衝撃だったのだろう。このまま領国の垣根をなくしていこう。




Side:望月信雅


「あら、源三郎殿、お帰りなさいませ」


「これは、お方様。ただいま戻りました」


 日暮れが遅くなったなと感じるこの頃、わしは美濃の関ヶ原から戻った。


 久遠家の屋敷に帰還の報告をするために来ると、ちょうど門の中で出くわしたのは馬車から降りられたお清様であった。


「美濃はどうだった?」


「はっ、相も変わらず流民が多く、近頃は畿内からも来ておる様子。大多数は仕事を与えれば懸念はありませぬが、賊になる者もおるようでございます」


 同じ馬車から続けて降りられたケティ様の問いに少し慌てて答える。わしの顔を見るなり美濃のことを問われて思わず焦ってしもうたわ。


 尾張望月家に従属して以降、織田領内を見分しつつ、新参であるが故に他国他領との相違を今一度露わに致す任務をしておる。自らの領国も知らなくては役に立たぬからな。教えを受けると得心がいく。


 もっとも、他国では己が所領以外に行くとなにをされても文句は言えぬ。それを変えてしまった織田に恐れおののいておるわ。


 あれこれと新しきことをしておると、上手くいくこともあれば上手くいかぬこともある。新参者であるわしの目で見極められるのか怪しきところもあるが、新参者故の目で見た報告がほしいのだとか。


「そう、ありがとう」


 武田などと比べようもない所領と力が織田家にはある。いや、久遠家ですら武田よりも勝っておるのではと、わしには思える。


 信濃は相も変わらず貧しく荒れておる。信濃望月家も揺れており、新しい惣領は武田から養子を迎えるという。武田は是が非でも信濃を手放せぬからな。滅ぶときは道連れにでもされそうだ。


 尾張望月家の出雲守様は今も信濃望月家を惣領家と認め助けておられるが、実のところ義理でやっておる程度で、事を荒立てぬならばいかようでもいいとのこと。


 尾張に来て良かった。共に参った者は皆がそう言うておる。所領がなくなり田畑を耕すことがなくなったが役目はある。暮らしは貧しいどころか裕福だとすら思えるようになったのだ。新参者にもかかわらずな。


 わしはさすがに飯が食えぬほど貧しくもなかったが、一族の者らの謀叛や謀を恐れ、武田を恐れて生きておった日々と比べると、天と地ほどの差があるように思える。


 父上は歳も歳なので外に出ておらぬが、久遠の殿のもとで文官として働いておる。余計なことを考えずに済むので働いたほうがいいと言うておられたな。


 信濃望月家には武田から養子が来ることもあって、逃げ出したわしを裏切り者や臆病者呼ばわりしておるとのことだが、所領を捨てて本当に良かった。


 祖先には申し訳ないと思うが、奪うだけの武田も従わぬ一族にもうんざり致したのだ、清々するわ。


 新しき地にて家を残していければよかろう。幸い久遠家では死して尽くせなどと言われぬからな。


 

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