第千十六話・北畠家の不和

Side:忍び衆


 北畠が攻めるか。数日の相撲大会から打って変わって戦支度をした兵が動く。とはいえ相手は山城なのだ。大軍で一気に攻めるというわけにはいくまい。


「見ておるだけでよいのか?」


「だそうだ。北畠の戦だからな」


 城に通じる山道を攻める気のようだ。攪乱しなくてよいのかと思うたが、必要ないとは。長野ほどではないが、城のある山を多少なりとも知るくらいは探ったのだが。


「始まったか」


 ほら貝の音と共に北畠の軍勢が山道に入る。先陣を切るのは鎧武者。一廉ひとかどの武士か。


「あの男だな。お方様に大口を叩いたのは」


「ほう、それはそれは」


 このまま待っておれば長野は降伏すると思うのだがな。わざわざ攻めるべしと強く進言した者がおると聞いた。自ら先陣を切るとは、よほど己に自信があるのか?


 勘違いしておる者が多いが、久遠家は鉄砲や金色砲があるから強いのではない。兵糧を滞りなく運ぶ術を知り、忍び衆を多く抱えて物見を放ち、戦においては常道で勝つべくして勝つのだ。槍ひとつでも決して劣っておるわけではない。


 お方様の言葉を退けた男がいかほどのものか、確かめてくれようぞ。




Side:奥山知忠


 わしとて織田の面目を潰す気も刃を向ける気もない。されど意地と力は見せねば北伊勢の愚か者と同じ末路を辿るやもしれぬのだ。


 織田の顔色を窺い、織田の策で勝っても北畠に先などない。


 意地と覚悟は見せねばならぬ。誰かが泥を被ってな。


 籠城などさせぬ織田が攻めるより待つべきだと語る城だ。落とせばそれなりに武勇を認めていただけるはず。


 先陣を切り山道に入る。まだ草木が生い茂る頃ではないとはいえ、見知らぬ山城を攻めることは容易いことではない。


「伏兵だ! かかれ!」


 まことに久遠様からいただいた絵図の通りに伏兵がおったわ。先に知っておれば先手が打てる。弓で敵の伏兵を射て、雑兵には石を投げさせる。


 されど、敵方からの攻めは思いの外少ない。もっと激しい戦となるかと思うたが、意外に早う退いていく。誘いの策かという思いが頭を過るが、いずれにせよ進むしかない。


 細い山道だ。大軍が有利とは言えぬ。伏兵を潰しつつ進軍する以外にあるまい。


「走れ! 敵の数は少ないのだぞ! 一気に落とせ!」


 共に攻め手に加わってくれた楠木殿が、わしを追い抜く勢いで兵を鼓舞しながら山道を掛けてゆく。わしも負けておられぬ。


「楠木殿! この先は!」


「分かっておる!」


 伏兵を退けながら山道を半ばまで進むと、久遠様が一番危ういと記しておられたところに差し掛かる。


「放て!」


 ここも久遠様の絵図の通りだ。左右から弓矢と石が多く飛んできた。無論、味方には矢盾がある。それで防ぐが、思うたよりも敵が多い。ここで一気に叩くために退くのが早かったのか。


 いかがする? 押し通るか? 味方も弓矢を射て石を投げるが、ここらはまだ森の中だ。そうそう当たるわけもなく、当たっても死命しめいの傷にはならぬ。


「くっ、退くぞ!」


「まだやれる! それにここで退けばおぬしは!!」


 せめて城門まで行きたかったが、退き際だ。楠木殿は久遠の奥方様の考えを退けたわしがここで退くと、ただでは済まぬことになると案じてくれるが、北畠家としてはここが退き時なのだ。


 無念だが、押し通り被害が増えると士気に関わる。


「退け!!」


 わしの下知で兵たちが逃げるように退いていく。わしと楠木殿が殿となり敵兵を押さえつつ山道を降りる。


 長野は深追いして出てこぬか。向こうも慎重だな。


 わしの戦は終わった。


 北畠家にとっては悪くない初手しょて合わせだったはずだ。北畠家にとってはな。




Side:織田信長


 城攻めに出た兵が戻ったか。後詰めとして支度をしておったが、城までたどり着くことが出来ず戻ったので出番はない。


 そのせいもあって、今夜の軍議は重苦しいほどだな。


「城攻めを押し通した割に逃げ帰ったか」


「織田の御方の言葉通りになりましたな。無策では無理なのだ」


「すべての責は某が負いまする」


 奥山常陸介と申したか。春に食ってかかった男。大言壮語かと思うたが、潔い男でもあるのだな。それに引き換え他の者らは、なにもしておらぬのに責めるだけか。


「やめよ。尾張介殿と春殿にはわしが詫びる」


 無益な譴責けんせき声音こわねが響く場に些か不愉快に思える中、宰相殿は家臣らを自ら止めたか。


「御所様!」


「某が一命を以って……」


「御所様が止めよと仰っておられるのが聞こえぬのか!」


 家臣らはそれに慌てるが、鳥屋尾石見守がそんな家中を一喝するように口を挟んだ。難しいものだな。主といえど家臣に配慮せねばならぬ。織田とてそれは変わらんのだ。


「なにを詫びるというのかしら? 他家のことだし口を挟むつもりはないけど、私は奥山殿に詫びなんて求めてないわ。己の意見を口にしただけでしょ」


「ふふ、そうだな。こちらとしては詫びなど求めておらぬ」


 戸惑う北畠家の者らに口を挟んだのは春だった。かずやエルならば口は挟むまいな。ところが春は言いたいことは言う女だ。詫びなど要らぬと言いたげに少し呆れておるわ。戦が終わる前にそのようなことを言うことを無駄だと思うておるのであろう。


「尾張介様、久遠殿……」


「昨日、貴殿に言ったわよね。武運を祈ると。それで分かったと思ったんだけど。それより長野の動きは? こちらが動いた以上、敵も動くわよ」


 奥山常陸介は心底驚いた顔でこちらを見た。


 春はもとよりこの男を恨むつもりなどなかったのであろう。そもそも久遠家では日頃から皆の意見を求める。なにも言わずに責め立てる者よりは己の意見を言うた者を好むのも当然だ。


「常陸介、いかがだったのだ?」


「はっ、敵の伏兵は久遠殿より頂いた絵図の通りでございました。ただ退くのは早うございました。ここで待ち伏せており攻めが激しくなり退きましてございます」


 宰相殿はオレと春の様子に軍議を進めた。常陸介を譴責しておった者らはいかんとも言えぬ顔で黙っておるな。


「退くのが早いか」


「土塁まではそのようなものかもしれませぬ。兵も多くないのでございます。あまり被害を出しては城が守れなくなりまする」


 ようやく始まった軍議で長野の真意を皆が考え始めた。


 一気に攻めるのか、人を変えながら常に攻めては退いてと続けるのか。いずれにせよ有利なのは北畠なのだ。一旦動いた以上はまた相撲で日を稼ぐわけにはいくまい。


 こちらで攻めるとすると、火縄銃と焙烙玉で一気に落とせるのであろうがな。それでは北畠が落としたと言えぬもの。


 宰相殿はいかがする? オレなら、山道以外の攻め口も探してそちらでも攻めるが。


「尾張介殿、焙烙玉をいくつか売ってもらえぬか?」


 しばし家臣の議論を聞いておった宰相殿は焙烙玉に目を付けたか。


「こちらは構わぬが、いかがするおつもりか?」


「このままでは攻め手に欠ける。あれならば長野に驚きを与えられよう」


 悪くない策だ。長野には鉄砲もほぼあるまい。あれは金色砲ほどではないが、雑兵が恐れるからな。宰相殿は焙烙玉を見たことがある故、使うてみたいのかもしれんが。


「それを狙うなら奇襲もいいかもしれないわ。少数の山に慣れている者で北か東から山を登り、城に焙烙玉を投げ入れればいい。打撃を与えるのは大変だけど脅かすなら十分よ」


「おお、それはよい策かもしれませぬな」


 北畠の者らは焙烙玉を見たことがないも多い。戸惑う者もおり、口を出すものが途絶えたとことで春が新たな策を口にすると北畠の者らがどよめいた。


「知らない武器がある、それだけで敵は怯むわ。籠城して一度は撃退した。その上で城内を攻められれば降伏もあると思うわ。念のため山道を攻めていれば奇襲する者の陽動にもなるはず。兵の数は多いんだもの。こちらはそれを生かすべきよ」


 なるほど。とすると、こちらは武器の提供と後詰めだけで十分だな。焙烙玉を使ったとて動いたのが北畠ならば面目は保てる。


 春の策に異を唱える者はおらなんだ。




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