第千十五話・己の道

Side:北畠具教


 軍議が終わると織田方が先に席を立った。場の様子は必ずしも良うない。


 城を攻めるべしと主張しておった者らも無言だ。それぞれに思うところもあろうが、誰もが春殿に対してあれほど強気に押しきると思わなかったのであろう。


 織田の名を持ち、内匠助殿の奥方である春殿にあれほど言い切った以上は失態は許されぬ。まして先に功を挙げて中伊勢の関を落としておるのだからな。仕損じれば軽んじたと思われる。


「御所様、すべての責は某が負いまする。何卒なにとぞお許しくださりませ」


 押しきった者はそう告げると深々と頭を下げた。分からんではない。攻めたいという思いもな。されど織田の力を幾重いくえにも説いたはずだ。


「そなたの勇心ゆうしん心根こころねは嬉しく思う。ただ、この戦の、十全に分かってのことか?」


 己の武功がほしい。北畠にも武功がいる。そう思うたのであろう。間違うてはおらぬ。されど……。


「織田の力ばかり見せつけられたままでは、北畠は終わりまする。戦も政も格が違うのはよう分かっておりまする。故に、北畠は出来る限りの意地と武を見せる必要がございましょう」


 ああ、不器用な男だ。己の生き場と北畠家の行く先を、戦と武功でしか見られぬとは。


「よかろう。明日、城を攻める。そなたに先陣の差配を任せよう。ただし無理攻めはするな」


「はっ」


 いっそ攻め落としてしまうほうがよいかもしれぬ。籠城と対峙して五日か。そろそろ攻めてもよい頃といえばそうとも言える。無論、被害も出よう。織田との戦後の話し合いも大変であろうがな。


 致し方あるまい。長きに亘り争っておったのだ。我慢比べで終わるのを望まぬのも当然といえば当然だ。


 わしひとりの思惑だけで戦は出来ぬということか。




Side:春


 私たちは自分のゲルに戻ってきて今後の対策に入る。


「春、どうするの?」


「どうって、どうもしないわよ。力攻めでも落とせるでしょ?」


「多分ね」


 あまりいい方向じゃないのは確かね。夏も少し心配しているわ。でもね。正直、長野は落としても落とせなくても織田としてはあまり影響がない。


 こちらとしては北畠方が得ていない、忍び衆の集めた情報を提供して、後詰めかしらね。


 そもそも私たちは、ここが落ち着いたら関領に戻るつもりだった。もともと私たちは神戸などの北畠方だった領地の安定のために伊勢にいたのであって、戦のためじゃない。


 合流して若殿がいる以上、帰ってもよかったんだけど、若殿に残るように頼まれたことで滞在しているのよね。


 織田としては関領を早く掌握して、東海道を使えるようにするほうが重要になる。


 結局、今回はどこまでいっても北畠の戦。私たちとしては動く時ではない。そうまとまった時、予期せぬ訪問者が訪れた。


 先ほどの軍議で城攻めを主張した北畠家臣の武辺者、名は確か奥山常陸介知忠。


「もし先ほどのことでご不快な思いをされたのならば、某が責を負いまする。北畠家と御所様とは無縁のこと。何卒それだけは伏してお願い申し上げます」


 自分が悪いと思っている顔じゃない。それでも責任を取るというのね。そこまで冷静に考えられるのならば、他に手もあった気もするけど。


「明日の朝一で攻めるのでしょう。いいものをあげるわ」


 困った男だけど、私はこういう男が嫌いじゃない。こちらで調べた城と周囲の伏兵の様子を描いた絵図を男に渡す。


「これほど詳細を掴んでおられたとは……」


「武運を祈っているわ」


 多くを語る気はないわ。どうせ聞かないでしょうしね。でも自分から自分を追い込んでどうするのか興味はある。


「身を以て経験しないと納得できない人かしらね」


「もう少し勉強してくれるといい将になりそうだよ」


 無言で男と私のやりとりを見ていた夏と冬は、仕方ないなと言いたげな顔をしている。ただ、評価が悪くないのは、この時代を知ったからかしら。日和見をして騒ぐだけの武士も意外と多いのよね。


 思えば司令たちはこんな男たちを相手にしてきた。苦労が分かるわ。


 彼らは長野を降伏させるほど攻められるかしら? どのくらいの兵で攻めるかにもよるけど、長野にも意地はある。もうひと押し足りないと思うのよね。


 まあいいわ。策は幾つかある。あとはお手並み拝見といったところね。




side:久遠一馬


 妊娠中のブランカを囲むようにロボと仔犬たちが寝ている。二回目に生まれた仔犬たちもそろそろ貰われていく先を考えないといけない。寂しくなるなぁ。


 夜はまだ寒い。伊勢の春たちは大丈夫だろうか? 戦場というのはやはり違うものがある。無事に戻ってきてほしい。それだけだ。


 今川から停戦の一年延長を打診する使者が来た。東三河が揺れているが、停戦の意志は変わらないらしい。この停戦の約束、積極的に広めていないが、東三河の国人も知っているところは多いかもしれない。織田としては別に口止めをしていないからね。


「不思議な感覚だねぇ。お腹の中に赤ちゃんがいるなんて」


 妊娠発覚以降、ジュリアはお酒を飲んでいない。夜には少し物足りなそうにしているが、それでも赤ちゃんの誕生を心待ちにしている様子である。


 直接武芸の指導をすることも控えているという。セレスが代行している影響でジュリアがセレスの文官仕事を少し手伝っている。他にはすずとチェリーも手伝っていて、みんなで助け合っているのが現状だ。


 変わらないこともあるが、変わることもある。それが生きるということなんだと思う。


「私の勝ち!」


「もう一勝負」


 この日も仕事も終わり、一家団欒の時間だ。パメラとケティはポーカーに熱中していて、エルとお清ちゃんは編み物を一緒にしている。そろそろ毛糸のものは終わりの季節だが、贈答品とかに喜ばれるから次の冬に向けて編んでいるみたい。


「ああ、酒が美味しいわね」


「ジュリアの分も飲むワケ」


 今日はミレイとエミールが来ているが、ふたりは禁酒中のジュリアに遠慮することなくお酒を飲んでいる。変に遠慮をされるのをジュリアは嫌うからね。これが普通だ。


「なかなかの出来ね」


 その向こうではセレスが小刀で木材から小さな犬を彫っていた。芸術に造詣が深いメルティも認める出来のようだ。


 警備兵の仕事中に亡くなった者の子供に贈るそうだ。創設期からの人だったようで中間管理職として頑張っていたが、賊との交戦中に傷を負い亡くなった者になる。


 織田は戦でも死傷者は少ないし、ウチでは特に命を大切にするように命じているが、それでも仕事中に亡くなる人はいる。


 警備兵は遺族が困らないように慰労金を出す制度を整えた。それと遺族の生活も困らないようにと仕事の斡旋などもしている。


 特に警備兵は世襲する身分でもないので、残される遺族への手当てとして考えたんだけど。


 オレたちはまだ人の死に慣れていない部分がある。


 いつか子供に警備兵を継がせたい。そんな夢も語っていたそうだ。セレスは創設期から共に働いてくれた感謝を込めて犬の彫り物を贈ることにしたみたい。


 亡くなった者の分もオレたちは生きなきゃならない。セレスもみんなも生きる厳しさを感じているんだろうな。




◆◆

 久遠メルティ記念美術館には、絵師の方こと久遠メルティ以外にも久遠一族や彼女の弟子など、現在の久遠派と呼ばれる美術品や工芸品を中心に多数の所蔵品を抱えていて、美術館としては世界最大の規模となっている。


 そんな中には、同じく久遠一馬の妻であった氷雨の方こと久遠セレスの彫刻もある。


 日本警察の基礎を創り上げ、治安維持の母と言われる久遠セレスだが、彫刻にも造詣があり、治安維持に当たっていた警備兵が亡くなった際には、遺族の暮らしを面倒みてやり、子供には木彫りの彫刻を贈っていた。


 現存する品は多く、久遠メルティ記念美術館以外にも、尾張を中心に神社仏閣において本尊と共に受け継がれて今も大切にされているものも多い。


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