第千七話・長野包囲網
Side:久遠一馬
「面倒なことをしてくれたな」
織田領各地で行われていた観桜会も終わり、清洲城の庭も春の景色になっている。シンディが淹れた紅茶を一口飲んだ信秀さんは少し渋い表情をした。
「私としては許しても構いません。春も理解しています」
「そう容易くいかんのが難しきところよ。許さぬほうがよい。後顧の憂いとなる」
同席しているのは他に義統さんだけだ。シンディを入れても四人だけ。のんびりと春の庭を見つつお茶会ならいいんだが、関家の処分について話しているんだ。
オレたちとしては春が侮辱された件は、そこまで厳しい罰を求める気はない。とはいえ義統さんが語るように、オレたちの意見だけで決められることではない。
史実で関家は六角の蒲生家の娘を正妻に迎えて、六角の傘下に収まっているが、この世界では違って、後ろ盾が大きく無いと配慮もされない。
すでに関家家老である鹿伏兎家の城も降伏している。
現在は信秀さんの命令で、春たちは長野領に圧力を加えるべく長野領と領境を接する関領を制圧している。そのまま安濃津から上陸した信長さんの援軍と合流することになる。
これは予定にはなかったことなのだが、あそこには神戸家など先日まで北畠方だった家臣もいる。挙兵してしまった以上は援軍として向かうべきだと判断したらしい。
「賊についてはこちらの真意が伝わってなかったようです」
関盛信の取り調べも向こうで少しおこなったようで報告が上がってきているが、どうも本気で神戸家の謀だと思っていたらしい。いわゆる賊の問題も難癖をつけていたとしか受け取っていなかったみたいだ。
あとは交渉するにしても、一発かましてやろうというくらいにしか考えていなかったらしい。交渉の場で本家に無断で勝手なことをした謝罪をして、織田からの支援を少し回してくれれば、顔を立ててもいいという程度の認識しかなかったとのことだ。
隣国の統治がどうなっていようがあまり興味もない。なんとも言えない結果だね。
「死罪しかありませぬな」
家老の鹿伏兎と関家当主の盛信は死罪にするしかない。信秀さんと義統さんの意見は一致した。
厳しいようだが、侮辱しても許されるという前例を作ると、今後、織田一族全員が同じ扱いを受けたら許さないといけなくなる。しかも非公式に失礼なことを言った竹中さんとレベルが違う。多くの武士の前で侮辱したことが問題だった。
それに織田家と久遠家、そして斯波家の間に妙なわだかまりになりそうなことは残したくないのが共通する本音だ。オレたちはいいが、次代以降のこともある。
「女子供の助命で十分かと思いますわ。船旅に耐えられる者は、女子供も遠島送りにしてしまえば憂いもありません」
仕方ないかと思っていると、シンディがバランスを取るように残りの一族の処遇について意見を口にした。シンディはちょくちょくお茶を淹れに来るから、信秀さんと義統さんとも親しいんだよね。
関は最後まで織田に敵対はしていなかった。それが余計に面倒だったとも言えるが。終わってみるとよくある国人領主そのものだろう。独立していた時期が長いのでプライドが高く時勢を読み間違えたが。
「遠島送りがいかに厳しく辛いか知れておるからな」
ウチの船乗りや織田水軍、それと半兵衛の親父さんから、遠洋航海や遠島送りの詳細が織田家中に広まりつつある。みんな興味があったんだろう。ウチの遠島がどんなところか。
ウチの船乗りとの交流も盛んになりつつある中、竹中さんや水軍からも同じ話が広まったことでリアルなこととして受け止めるようになったのだろう。
未開の地の開拓は想像以上に厳しいからな。一応開拓の道具は与えるし、働いてさえいれば飢えない程度の食料と医療の提供はしている。そうでもしないと全滅しかねないし。
ただ、罪人の開拓地はそれでも更に厳しいところになる。中には敵対的な原住民がいるところもあるしね。
謀叛の心配もないので、面倒な者たちは遠島送りにするのが織田家の慣例になりつつある。
さて、残るは長野だけだ。関の滅亡に今頃震え上がっているかもしれないね。
Side:織田信長
伊勢亀山城が落ちたと知らせが届いた。北畠家への援軍に参陣した者らは、先に功を上げられたことに苦笑いを見せておるわ。
三河にて野分があった際の働きで、春たちは久遠家でも武辺者と見られておるからか。もう少し言えば、戦のやり方が変わっても一番功は皆が欲するからであろう。
「功を先に持っていかれましたな」
「春殿が差配する地にて騒動を起こすとは知らぬとはいえ愚かなことを」
無骨者が多い三河の地を見事にまとめた手腕は誰もが認めるものだ。まだかずとエルならば温和な策を用いたのかもしれぬが、春らは厳しき策も平気で用いることもある。
「長野は家中に無理せず籠城、降伏も許すと命じておるようでございます」
こちらも負けておられんと気合が入るが、久遠家の望月太郎左衛門から長野の動きの報告があった。
伊勢亀山城が落ちて慌てておるのは長野かと思うたが、元より争いを広げぬように動いておる。亀山城が落ちた知らせが届いたのか分からぬが、意外に手強い相手のようだ。
「安濃津はいかがなのだ?」
「このままでございましょう。気を許すことは出来ませぬが、こちらを敵に回すことはないかと思われます」
安濃津はあっさりと降伏をした。長野も降伏を許すと命じておることもあるが、降伏をせねば、いかな扱いを受けるか分からぬと恐れておる様子。桑名のことも当然知っておろうからな。
長野は野戦で北畠に敗れると、そのまま本城である長野城に籠った。長野方の水軍衆もこちらと志摩水軍の姿を見ると程なく降伏しておる。降伏せねば攻めると脅したこともあろうが。
「佐治、水軍は任せる。動くことはあるまいがな。安濃津から目を離すな」
「はっ、お任せを」
海の脅威は当面ないな、かずやエルの申す『補給路』の懸念がひとつ消えた。
あとは北畠の動きに合わせて長野城を目指すだけだが、思うた以上に野戦で苦戦したようで少し遅れておる。とはいえ織田があまり出過ぎては北畠としても困ろう。
兵を安濃津から上陸させて、町外れに野営させる。ゲルがあるおかげで野営が楽になったな。近隣の寺社を借りるにしても、荒らされると困ると嫌な顔をされることもあると聞いた。
軍議が終わると鎧を脱いで一息つく。かずやエルのおらぬ戦など初陣以来か。将とは難しきものだな。己が正しいのか己で見極めねばならぬ。
降伏したとて安易に信じてよいかも分からぬ。まして此度は北畠の手伝い戦だ。加減や勝手が分からぬところもある。
これも学べということか。親父もなかなか厳しい。
那古野を出る前にエルが言うておったな。此度の戦において奇策など不要であると。ひとつひとつ必要な手を打つことこそが肝要なのだと。
よく学び、分かっておるつもりで、いざこうして戦に出るといろいろと考えてしまうものなのだな。オレはまだまだ親父やかずたちには及ばぬということか。
精進せねばならぬな。まだまだこの先に戦はあるのだ。
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