第千六話・関滅亡
Side:夏
関家に従う者たちは、どこも形だけは籠城する様子を見せることはあっても抵抗は皆無だわ。時折、物見の兵は出てくるけど、織田の旗を見ると討って出てくる者はいない。
「物足りのうございますな」
赤堀殿たち北伊勢の者は喜べる立場ではないことで戦々恐々としていますが、他の者たちはあまりに抵抗がないことに少し残念そうです。武闘派が私のほうに多いからでしょうか。
関一族である峯家は、降伏後、参陣が不要だと告げるとなんとも言えない顔をしていましたね。
本家であり主家と戦うということに抵抗感はあるのでしょうが、今後のことを考えるとここで武功をあげておかないとどうなるか分からない。そんなところでしょうか。
相手にしている時間も惜しいので関家の亀山城に進軍します。
途中で春たちと合流すると、亀山城が見える位置で軍議を開きます。到着してすぐに亀山城に送った使者が戻り、降伏をしないと返事があったそうです。籠城するのでしょう。すでに亀山城には関家の旗が幾つも見られます。
「さあ、今日中に終わらせるわよ」
春の言葉に軍議に参加している武士たちの顔つきが変わりました。それにしても春は大将らしくなってきましたね。ギャラクシー・オブ・プラネット時代は人を従えた経験などありません。
普段はこれほど威厳のあるタイプではなく、冗談を言うような人なのですが。
「
「木砲を撃つわ。あと弓を扱える者を集めなさい。鉄砲と焙烙玉も使うわよ。一気に決める」
織田家から領境封鎖の増援として派遣されていた森三左衛門殿が策を問うと、春は最善の策を告げた。
相手に合わせる必要などなく、複雑な策も不要です。数と火力で一気に叩くのが一番。
「一晩を越えると敵は安堵するわ。籠城も出来るのだと。悪いけどそんな暇は与える気はない。ただし無理に突破はしなくていいわ。城門を破った段階で再度降伏を促します」
見たところ力攻めしてもすぐに落ちそうな城ですね。史実の
味方を二手に分けて、二か所ある門を同時に攻めることになりました。敵の弓矢を防ぐ矢盾を前面に押し出して亀山城に接近します。木砲は金色砲と比べて軽いとはいえそれなりに重量はありますからね。
すでに午後となり夕刻までもう少しというところ。当然、関勢もこちらが攻めることを予期して少数の兵で迎え撃つ姿勢です。
「木砲用意! いつでも撃てるようにしてください。焙烙玉、当たらなくていい。敵が見えたら投げなさい」
正門の攻撃隊の指揮は私が取ることになりました。木砲は久遠家のものです。運用も含めて任せられる人がいないのが理由になります。裏門は織田家の抱え大筒を用いて城門を破壊します。こちらは森三左衛門殿が指揮することになりました。
亀山城は平山城であり、こちらの動きが丸見えです。ですが隠れる必要もない。
城門目掛けて一気に進軍しますが、城からはこちらの悪口が聞こえてきます。『不忠者』『成り上がり者』『卑怯者』などなど。この時代の戦ではよくあることですが。
「撃て!」
こちらの兵も負けずに敵の悪口を罵っていますが、それだけでは戦が有利になりません。木砲を斜め上に向けて、敵の城壁である土壁のほうに狙いを定めて放ちます。
「ひいぃぃ!」
「雷だ!!」
「土塀が崩された! 敵が来るぞ!!」
木砲の凄まじい轟音に味方は慣れていますが、敵は慣れていません。悲鳴のような声や混乱する声が聞こえます。一撃目が土塀の一部をかすめて城内のほうに入っていったことで慌てていますね。
土塀はかすめたところが崩れています。少し脆い気もしますが、想定していない攻撃ではそんなものでしょう。
私たちはそのまま関勢が立て直す前に進軍を続けます。
本来ならば弓矢や石を投げて妨害されるところですが、飛び道具の数はこちらが圧倒的に多いのです。相手方も弓を射る者が現れますが、数倍の反撃をしているとすぐに終わってしまいます。
さらに木砲で混乱したようで組織的な反撃はなく、城門は当然ながら木製ですね。これならば……。
「撃て!」
城門の前まで来ると外すのが難しい距離です。遠慮なく木砲を撃ち、焙烙玉を中に投げ込む。
ウチの家臣たちは凄いですね。訓練と実戦は違います。そこまで実戦経験は多くないはずなのですが、皆が無駄なく動き素早く木砲を撃つと、城門はあっさりと穴が開きます。
「門が破られるぞ!」
「金色砲だ!!」
「己ら! 逃げるな!!」
続けて二射目を放つと、城門は壊れて最早意味をなさなくなっています。破壊したところから火縄銃を撃ち込み、焙烙玉も絶えず投げ込むと、最早、抵抗はありません。
「城内の者に告ぐ。これが最後の慈悲だ。降伏するか、関盛信を捕らえて出てこい!」
裏門も同じく破壊したらしいですね。最後の降伏勧告をします。城門内部にはこちらの攻撃で手傷を負った者もいます。そんな者から降伏すると出てきました。
終わりですね。
Side:神戸利盛
「これが織田の戦なのか……」
壊された城門と負傷した関家の者らに言葉を失う。味方で手傷を負った者は極わずか。対する関家の者らは手傷を負った者も討ち死にした者も多く、亀山城内にて織田の医師により治療を受けておる。
関家の者らも最後まで籠城をする気などなかったはずだ。ひと月ほどでも籠城をして武威と意地を示して降伏をする。さすれば織田も粗末には扱わぬと考えたはずだ。
武士の意地すら通せぬのか。国人風情では。
最早、戦意などない。関の者らは金色砲で心が折れて今も怯えておるが、まだ睨むだけの気概がある者がおった。
「己は! 己だけは死しても許さぬからな!!」
わしを見なり激高して怒鳴りだしたのは、城内の庭にて縄を打たれ罪人として捕らえられておる関家当主の盛信殿であった。
控える家臣らが苛立ちを見せて反論しようとするが止める。最早、なにを言うても理解はするまい。
ただ、わしの後から来られた春殿が姿を見せると、さすがに静まり返った。
「許さないですって? ならば織田を侮辱した貴殿と一族郎党を私は許さないわよ」
わしの心情を察したのであろう。春殿は怒りの様子で盛信殿らを睨み返すと口を開かれた。
「身の程も知らず北畠卿にも逆らい、織田に賊をけしかけてきた。十分な罪ね。己の罪を世に晒してあげるわ。清洲までの旅路、楽しみにしていなさい」
敗者とはこれほど惨めなものなのだな。織田には関家を討つ大義がある。春様を愚弄したことは許せるものではない。たとえ春様が許そうとお考えになられても大殿が許すまい。
せめて意地を見せておれば、相応に扱うこともあり得たが籠城すら出来ずに敗れると愚か者という謗りは免れられぬ。
我ら北伊勢の者も他人事ではないな。ほぼ見ておるだけであった。弓を扱える者は戦えたが、織田は新参者を前線で使い潰す戦をしておらぬ。国府と峯の者らに参陣を要らぬと言うたのも分かる。おっても邪魔なだけであろう。
三河者が一槍交えることなく逃げ出したと噂を聞いたが、さもありなん。あれでは近づくことすら出来ぬではないか。
北畠の御所様はこれを知っておられたのだろう。故に織田と誼を深めて共に生きていく道を探しておられる。
「神戸殿が、いかに貴殿と織田を上手く繋ごうとしたか。今になってもそれすら察していない。関は織田には要らないわ。連れていきなさい」
盛信殿らは春様の言葉になにも返すことはなかった。武士にとって戦でなにも出来ずに負けることほどの恥はあるまい。さらに女の春様にこうも言われて、多少冷静になったのであろうな。
さすがに一族郎党死罪になるのだけは避けたいのであろう。
「神戸殿。此度のことはうまくいかなかったこともあるけど、苦しい立場でよくやってくれました。大殿には私から報告をしておきます。思うところもあるでしょうが、生きねば先はないわ。過ちは次の糧としなさい」
「はっ、ありがとうございまする」
まだ何処からか燃える匂いがする。そんな中、春様の言葉にわしは深々と頭を下げた。
思うところはわしだけではない。皆にあろう。無論、春様にもな。確かに生きねば先はない。関家の者らを見てそう思う。
さほど大きな違いはなかったのだからな。盛信殿とわしには。
世の中とは難しいものよ。
◆◆
天文二十二年三月。伊勢関家が滅んだ。
鈴鹿関と東海道を擁して長きに亘り当地を治めていた関であるが、尾張から急激に変化していた世の中に対応出来なかったのだと思われる記載が幾つかの資料に残っている。
直接の原因は関領からの賊が織田領に多く入っていたことと、関家家老の鹿伏兎氏が久遠一馬の妻である久遠春を侮辱したことに対する謝罪がないことだったと『織田統一記』にはある。
戦に関しては久遠春と久遠夏のふたりが兵を率いて関領を攻めたことが、『織田統一記』や『久遠家記』に書かれている。
久遠春と久遠夏は三河でも武功をあげており、この少し前に臣従した神戸家などの領地の差配のために伊勢にいたとされる。
ただ、関家に関しては残っている資料が少なく実態を含めてよく分かっていない。
神戸、国府、峯などの分家筋は生き残ったが、家系図以上のことは残っておらず、織田を侮辱した関家との関わりを可能な限り消したのだろうと思われる。
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