第六百八十六話・黒船船団VS堺

Side:織田信安


「伊勢守様、お茶をご用意しました。一服いかがでしょう」


 思わず驚きの声をあげそうになった。淡い青いところもあるが、まるで死に装束のような白い着物を着て、この世の者とは思えぬほど白い髪と白い肌をしたその姿に驚かされる。目の色がまだ深い紺色なのが幸いだと思える御仁だ。


 決して容姿が醜いわけではない。しかし、それが余計に死人のように見えると言えば、当人は傷付くのであろうな。


「雪乃殿、かたじけない」


 ここは久遠殿の南蛮船で雪乃殿は奥方だ。わしは遠くに霞んで見える陸地を見ながら、しばし考え事をしておったのだ。


 南蛮船で尾張を離れるのは、関東に行った時以来か。外海で揺れるのは未だに慣れぬが、紀伊を回り内海に入ると大きな揺れもなくよき旅だ。


「船でこれほど美味い茶が飲めるとは思いもしませんでしたな」


「まことにそうですな」


 船室では願証寺の高僧たちが一緒に茶を飲もうと待っておった。この船はわしと願証寺の高僧を乗せて、石山にある本願寺まで向かうところだ。久遠殿の船、大小三隻と佐治殿の船が二隻ある船団には、先ほど見かけた三好水軍も度肝抜かれておるやもしれぬな。


 義兄上が守護様と上洛するので、朝廷に献上する品を運ぶのがこの船団の役目だ。わしは守護様と義兄上の代わりに石山本願寺にて挨拶して、献上品を京の都まで届けねばならぬ。


 すでに織田嫡流は義兄上に譲ったとはいえ、伊勢守家は織田嫡流だったのだ。こういう役目はわしの出番だ。


「もうじき堺が見えるよ。少し近寄って見せつけてやろうか」


 最後に船室に入ってきたのは、この船団の将であるリーファ殿だ。久遠殿の奥方だが、斎藤家の新九郎殿よりも背が高い。女では尾張一であろう。黄金色の髪を後ろで三つ編みにしておって、武芸が得意なのだとか。深い緑色の目にはジュリア殿を思い起こさせるなにかがある。


 リーファ殿は尾張ではあまり見かけず、船が好きでほとんど船に乗っておるという変わった奥方だ。


「わしは構わぬが、よいのか? 銭を払えと船を出してくるのでは?」


「三好とは話が付いている。出てきたくても出てこられないよ。それに、堺が南蛮船を造っているって話なんだ。ちょっと見てみたくてね」


 船ではリーファ殿に従う。それが掟だ。そもそもわしは船での戦など、里見相手に弓を射た鎌倉沖しか知らぬ。口出しする気もないが。そんなリーファ殿が面白げに堺のことを話すと、願証寺の高僧たちが驚いておるわ。


 船の件は願証寺の者たちに教えてよいのか? 久遠家に対抗する者が現れたと思われれば面倒なことになるぞ。もっとも、まともな船など出来るとは思えんが。


 わしは佐治殿の船も乗ったし、南蛮船も乗ったから分かる。これはそう容易く造れる船ではあるまい。


「堺が南蛮船を……」


「楽しみだねぇ」


 驚きざわめいておる高僧の様子すら楽しげに見ておるリーファ殿と冷静に見ておる雪乃殿を見れば、案ずることはないのだろうが。




「何処に南蛮船などあるのだ?」


 船は目視でも湊の様子が分かるくらいまで近寄っており、皆で堺の町を見ておるが、やはり立派な町であるな。


 わしは高僧たちと共に久遠家の遠眼鏡で見てみるが、蟹江を知らねば驚き脅威に感じたかもしれぬ。


 まあ、今はそれより噂の南蛮船だ。探して湊を探すが、いくつかの船がおるものの南蛮船らしき船は見当たらぬ。堺の見栄から出た嘘か? まあ船の数も少ない。蟹江や大湊と比べると寂しく感じるほどだ。これが畿内で一とも言われた堺か。


「あれだね」


「あれは……、関船では?」


 嘘かと思うた矢先、リーファ殿の示す先を見る。そこにあるのはいびつなまでに高い帆柱が複数ある、関船らしき造りかけの途中の船だ。形は明の船にも似ておるか?


「とりあえず帆の形だけでも真似しようとしているんだろうね。しかしあれじゃ沖に出る前に沈むよ」


 あのような紛い物の船でなにが出来るのだとリーファ殿が笑うと、高僧も釣られるように笑うておるわ。


 確かに帆の張り方を似せれば、南蛮船になるのかもしれんと思うたのであろうな。心情は察するが、無謀としか思えぬ。


「堺とて船大工や海に出る者はおるであろうに……」


「面目だけで造っているんだろうね。あれじゃ、当面相手にする価値もないよ」


 悠々と堺の湊を素通りする我らを、堺では大勢の者たちが湊に集まり騒ぎになっておるようだ。。


 さて石山ももうすぐだ。わしは上陸する支度をするか。




Side:堺の商人


「でけえ。それに本当に黒いな」


 見慣れぬ黒い船が来たというので慌てて湊まで走ってきたが、そこは前が見えぬほど大勢の人で埋め尽くされておる。すっかり船が減った湊に、これほどの人が集まるのはいつ以来だろうか。


「何処の船だ? また南蛮人か?」


「いや、あれは足利二つ引の家紋だ。あっちは織田……」


 人ごみをかき分けて海を見てみると、あまりにも大きく黒い船がおる。周りでは以前騒ぎを起こした南蛮人を思い出したのか逃げ出す者もおったが、掲げられておる旗指物でいずこの船か周りの者も分かったらしく逃げ出す者が止まった。


 一、二、三、四、……五隻か。初めて見る。あれが尾張の南蛮船か。


「ここに来るのか!?」


「商いをしてくれるのか!?」


 攻めてきたのか、商いにきたのかと騒然となるが、船は止まることなく通り過ぎていく。会合衆がやっと詫びを入れたのかと喜びの声もあがったが違ったらしい。


「あっちに行ったぞ。行先は何処だ?」


「石山だろう。織田は本願寺と昵懇だ」


 かつては東西から多くの船が集まり、明からの密貿易船も多数来ておった、ここ堺を素通りされたこと、周囲は落胆の色を隠せぬ。


 堺でも見ることのない黒い船と真っ白い帆が遠ざかっていく姿を、我らは見ておるしか出来ぬとは。


 周囲の喧騒を聞きながら、わしは湊をあとにして店に戻る。


「はぁ……」


 ため息しか出ぬわ。会合衆が始めたことでこれほどの失態は未だかつてない。武家などと敵対することはあった。されど誰も堺には手を出さなかったし、詫びを入れると許された。


 それが織田は許してくれぬ。仏と噂の弾正忠様が許さぬとも、南蛮船の主たる久遠様が許さぬとも言われるが、真相はわしなどには分からぬ。


 馴染みの商人はとうとう我慢出来ずに、知り合いを頼り出ていってしまった。革や鉄砲に銭造りの連中はそれなりに儲けておるらしいがな。それでも腕のいい職人は出ていった者も多い。


 鉄砲や武具は職人が減ったにもかかわらず、とりあえず量だけは揃えようとするので粗悪な数打ちが増えており、近頃は堺の武具や鉄砲は、銭や酒と同じ紛い物かと文句を言われるとも聞くが。


「何事だ! 得体の知れぬ船はいかがした!?」


 湊を出る頃、兵を率いた会合衆のひとりが現れるが、今更来ても遅いわ。


 周囲の者も冷たい目を向けて町に戻っていく。己らのせいでこうなったのだと罵りたいのだろうが、腐っても会合衆だ。なにをされるか分からぬからな。誰もなにも答えずに、堺はまた、かつての賑わいを忘れた静かな町に戻っていく。


 惣というのも考えものだな。私利私欲で町を好き勝手にする愚か者どもを誰も止められん。三好様も攻めることはなかったが、従っても助けてはくれぬ。


 その時、湊で造っておる紛い物の南蛮船がちらりと見えた。堺も南蛮船を造って明や南蛮とじかに商いをするのだと会合衆の号令のもとで造っておる船だが、どう考えても尾張の南蛮船とは比べ物にならぬ、みすぼらしい船だ。


 あれも駄目であろうな。




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