第六百八十四話・剣豪将軍の宴・その二
Side:久遠一馬
なんとも言えない空気だ。将軍という存在に対して信秀さんたちや定頼さんはやはり特別ななにかがあるらしい。
無礼講と言いつつ無礼講に出来ない日本人的な雰囲気と言えば分かるだろうか。
正直、オレとしてはこれほどの緊張感は珍しいかもしれない。美濃で道三さんや関東で氏康さんに会った時とも違う緊張感だ。
誰もなにも言えない。そんな雰囲気はオレにも分かる。ただ、義輝さんは苦悩し助けを求めている。そう見えてしまった。
「上様、少し目の前の状況を整理して考えてみてはいかがですか? 先ほども申しましたが、日々の積み重ねが明日へと繋がります」
世間知らずな面もあるだろう。少しせっかちにも思える。だけど、真剣に世の中と足利家と向き合う義輝さんの姿に、オレは思わず余計なことかもしれない一言を口にしていた。
深入りは得にならないし、そのつもりはなかった。塚原さんには世話になっているものの、足利義輝に関わるのは大きなリスクになる。それこそ比較にならないほどの。とはいえこのまま見捨てるのかと思うと、ついつい余計な一言を言ってしまったんだ。
「三好のことか?」
「私には上様のお立場やお考えが分かりませんが、解決すべき問題はひとつひとつ考えるべきです。結果はその先にあるものかと」
悩みの答えは自分の中にあると聞くが、義輝さんにも現状の一番の課題が見えているようだ。こちらが誘導するまでもなく、三好という言葉が出た。
そこからだろうね。正直、なにから手を付けるべきかオレには分からないほど、足利家の現状は厳しい。
「そもそも三好の一件は管領の不始末なのだ。父上もあのような小物の肩を持たねば良かったものを」
彼が三好をどう考えているのか気になったが、義輝さんは苦虫を噛み潰したような様子で愚痴るように本音をこぼした。その様子に義統さんがほんの一瞬、驚きの顔をした。
管領、細川晴元を小物と言ったことに対してか? それとも先代の将軍である父親に対して不満を口にしたことか? まあ義統さんは足利家が嫌いだから思うところがあるのだろうけど、足利家からすると都合のいいように利用しようとする管領家や守護に嫌気がさしている部分はあるだろうね。
「そう言うてやるな。あの時はここまで形勢が傾く
そんな義輝さんを稙家さんが
「管領代、三好の件、そちはいかが思う?」
「上様がいずこまで望むか次第でございまするが、滅ぼすまで許せぬとお考えでないのならば、そろそろ和睦の頃合いかもしれませぬ」
話は理想論から実際の問題にようやく移行した。これでいい。ひとつひとつ考えて結論を出すべきだ。結論ありきではいけない。
そんな義輝さんが問い掛けたのは定頼さんだ。管領代。事実上の後見人であり、彼が動かないと三好討伐なんか夢のまた夢だからね。
意見を求められた定頼さんが口にした和睦という言葉に、控えている藤孝さんが少し意外そうな顔をした。六角の立ち位置は晴元側だから、自ら言い出したのが意外だったのだろうか?
「そこまでは思うておらん。それを言うなら管領のほうが許せぬわ。ただ奴はいかがする? 三好との和睦で大人しくしていまい」
「大樹よ。この機に、吾と共に都に戻るか? 管領と離れた今しかあるまい。管領代もこうして和睦を勧めておるのだ。管領のことはしばらく構わずともよかろう。兵のない武士がいかがなるか、そのほうもよく分かっておるはず。謀なら吾がなんとかする」
和睦のタイミングをみんなが待っていたのかもしれない。それに呼応するように稙家さんが和睦に賛同した。
そろそろ頃合い。まさにその通りなんだろうね。史実との違いもある。尾張が経済的に発展して堺が没落し始めたことで三好に従属する形になってしまった。
石山本願寺は晴元のせいで痛い目にあっていて武士の争いに関わることを好まないと思うし、三好と争っている人はいてもすぐに脅かす存在は今のところあまりない。
「……それで今度は小物との争いか。殿下、某はもう将軍を退きたい」
その瞬間、周囲が固まったように動かなくなった気がした。説得をしていた稙家さんも驚き言葉がでない。ただし卜伝さんだけはこの言葉を予想していたようで、なんとも言えぬ表情で目を閉じた。
「尾張では皆で力を合わせて明日を掴んでおるというのに……。師や武衛が光明を見出し、長年争っておった斎藤家までも戦わずして降った。一馬と話しておって思い出した。足利家は代々、その時々の都合であちらに味方したかと思えばこちらに味方してと、争いの原因となったのだ。自業自得ではありませぬか? 管領代や武衛とて、明日は我が身と思えばこそ動けんのではありませぬか?」
うわぁ。ぶっちゃけたね。義統さんたちが普通に驚いている。お前が言うなと突っ込まれそうだけど、義輝さんが将軍として政務をとっているのは親父さんが死んだ最近からなんだよね。
「天下を見捨てたいと申すか?」
「誰でもよいのならば、誰か望む者に継がせてはいかがか? 仕方なかったのは理解する。だが、某はそのようなことはしたくはない。父上の無念を晴らして己の力で天下をまとめたかった。されど、それが世を乱す根源となるのならば、某は師と共に一介の武士として生きたいと思いまする」
もしかしてオレのせい? そんな危ういことを言ったつもりはないんだけど。
稙家さんが困っている。気持ちは理解するんだろうし、義輝さんの言い分も筋が通っている。とはいえ、それに代わる政権が今のところ誰にも作れないんだ。稙家さんとて義輝さんを将軍に
そんなに天下はシンプルじゃない。
「上様、結論を出すのは早計と思いまする。いかがでございましょう? 少しご自身の目で世を見聞なさっては。三好との和睦さえ済めば、管領代殿と三好が当面は上手く世を治めてくれることでしょう。上様はまだお若い。身分を隠して一介の武士として、少し世を知る旅に出てみてはと某は具申いたします」
誰も止められないのか? オレの一言で、史実にない形で世の中が動くのか? 正直、困ったなと思案していると、少しため息を漏らすような顔をした信秀さんが口を開いた。さすがにちょっと驚いたよ。稙家さんも定頼さんも卜伝さんも驚いている。
身分もある。信秀さんは守護代でもないんだ。求められないうちから口を開くとは思わなかった。
「……それは」
「それは良き策かもしれぬ。大樹もこのままでは収まるまい? 和睦をして、しばし世を見聞するのもよかろう。大御所がなくなり、今そなたが将軍を退けば、かつてのように後継の争いになりかねん。旅の間は病ということにしてもいいし影武者でもよい」
義輝さんは信秀さんの言葉に悩むように固まったが、飛びつくように乗ったのは稙家さんだった。多分、義輝さんはせっかちで頑固な一面があるんだろう。このまま将軍の座を放り投げられても困るようだ。
妥協案と言えばそうなんだろうね。
政治なんて綺麗なだけでは出来ない。特にこの時代はね。ただ義輝さんはまだ若いだけに清濁併せ呑むことが出来ないんだろう。
「御無礼を承知で、発言することをお許しいただけないでしょうか?」
話がなんとかまとまりそうになったその時、沈黙を貫いていたエルが口を開いた。
なんだ? オレたちのなにかが間違っているのか? この場で口を出すなんて余程のことだ。
「そなたは……大智、『エル』と申したか。よいぞ。なんだ?」
突然のことに義輝さんも一瞬戸惑った。容姿が日本人離れしているからね。実は最初に紹介をして以降、触れることさえなかった。
エルとジュリアの同席は義輝さん側から言い渡されたが、ふたりは日ノ本の外の話を聞きたくて呼ばれたのだろう。その前にエルから口を開いたことに驚いて当然か。
「一度手放すと、二度と今のお立場には戻れぬかもしれぬことをご理解いただけているのか、少し案じております。それと申し上げにくくございますが、上様は生きるという苦労をご理解されておられません。食べ物がなく我が子がお腹を空かせて死んでいくのを見ていることしか出来なく、また病に罹っても耐えるしかない。上様ご自身もそうならぬとは言い切れません。どうかよくお考えいただくように御無礼を承知で申しました」
女が口を挟むなど何事だと怒るかと心配したが、義輝さんは淡々と聞いていた。
誰かが言わないと駄目なことなんだろうな。この人は生きる苦労を理解していない。それを面と向かって言うのは稙家さんでも難しいのかしれない。
エルはどちらかと言えば、情けから進言した気がする。見捨てられなかったのは、オレだけじゃないらしい。
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