第六百八十三話・剣豪将軍の宴

Side:久遠一馬


 義輝さんから宴の誘いがあったのは、その日の夕方だった。


 オレたちが観音寺城に来たのはあくまでも上洛のためだ。長く滞在するつもりはない。とはいえ少しせっかちなのかもしれない。


 驚いたのは、宴の参加者だ。足利義輝さん、史実の細川幽斎となる藤孝さん、近衛稙家さん、六角定頼さん、塚原卜伝さん、それと義統さん、信秀さん、信長さん、オレ、エル、ジュリアの六人になる。


 人選がおかしい。義統さんと信秀さんたちも感じたはずだ。非公式とはいえ、六角家の重臣も義輝さんの側近もこれほどいないというのは普通ならあり得ない。どういうつもりなんだろう。


 宴自体は静かな始まりだった。料理のメインは鯉だね。この時代では高級魚なんだけど、尾張では海の幸があるのであまりお目にかからないものだ。ウチではたまに貰い物で食べることはあるが。


 酒は金色酒で会話がない。定頼さんと稙家さんの表情も硬いのはなぜだろう。


「旅の疲れもあろう時に呼び出してすまぬ。余は前置きを長々と口にすることは好まぬ。故に率直に教えを請いたい。何故、尾張は上手くいっておるのだ?」


 どれだけ時が過ぎただろうか。口を開いたのは義輝さんだった。それはいいんだけどさ。あまりに単刀直入過ぎる気が。若いから仕方ないのか?


「……上様、某は一介の守護でしかございませぬ。天下の政に口を挟むなどとおこがましいことは申せませぬ。もし仮に申し上げたところで、上様や上様のお側の方々にご不快な思いをさせてしまえば、我らは明日も知れぬ身となりまする。それは何卒なにとぞご容赦を」


 義統さんはしばし考え込む表情をしてゆっくりと語りだした。一見拒否とも言える言葉だ。卜伝さんの表情が曇る。


「余が信じられぬか?」


「仮に上様がお認めになっても、それですまぬことをご理解されておられると思いまするが」


 かなり際どい会話だ。分別をわきまえているように言ってはいるが、深く聞くと義輝さん個人の問題ではないと諭している。そのことに気付くかな?


「武衛よ。大樹も分かっておる。この場に管領がおらぬことがそなたたちへの配慮だ。大樹は己の身を危うくしても、そなたたちに教えを請いたいとここまで来たのだ。如何にしても頼めぬか?」


 じっと義統さんを見つめていた義輝さんに代わり口を開いたのは稙家さんだ。やはり心配していたんだろうか。


 この人の頼むという言葉は重い。現在は官職には就いていないが、五摂家の近衛家の当主なんだ。身分も違うし政治的な影響力は義輝さんを超えるかもしれない。


「正直なところ、某は三河守に委ねておるのみ。他国とのやり取りなどはしておりまするが、それとて三河守以下、皆と話して決めておりまする。口の悪い者は傀儡とも囁いておる者さえおる身でございまする」


 義統さんは稙家さんの言葉に、一歩踏み込んだ。義輝さんがどう受けとるか分からないけど、言葉の重みが違うからな。仕方ない。


 稙家さんと卜伝さんがホッとしたのが微かに分かる。拒否したまま終わると足利と斯波の関係が険悪になることもあるしなぁ。拒否を続けることが難しいとはいえ、この二人がそれを望んでいないのは確かだろう。


「では三河守よ。やはりそなたが治めておるのか?」


 義輝さん。好奇心旺盛な学生のような目をしている。飾らず威張らず今度は信秀さんにも率直に訊ねていた。


「確かに決めておるのは某と守護様でございまする。されど策は皆で考えておること。治める策もひとつではございませぬ故に」


 この場で一番余裕のあるのは信秀さんかもしれない。駄目なら決別して戦でいいと覚悟があるように見える。試しているのかもしれない。足利義輝という将軍を。


「見えてこぬ。それでは他と変わらぬのではないのか?」


「違うところはございまする。我らは明や南蛮の知恵も学び、新しきことを取り入れておるところでございましょうか」


 あれ、信秀さんの言葉に義輝さんたちがオレとエルとジュリアに視線を向けた。まさか信秀さん。オレたちに丸投げする気じゃないよね?


「噂はまことか。師が光明を見たように、そなたたちもまた光明を見たということか」


「そうとも言えるのやもしれませぬ」


 身分が違うから、オレたちには先ほどみたいに一言二言の問い掛け以外ないと思ったんだけど。信秀さんに任せたと言わんばかりの視線を送られた。


 まあ、説明が難しいのは分かるけどさ。


「一馬と申したな。何故、尾張は戦もせずに所領が増えて栄えていくのだ? 余にはなにが足りぬ?」


 ああ、やっぱりオレに質問がくるのね。仕方ないか。


「あらかじめ申し上げますが、私は日ノ本の生まれではありません。故におかしなことを言うかもしれません。そのうえでお聞きください。尾張ではひとりひとりの領民と向き合っております。飢えぬように、今日より明日はよくなるようにと。その積み重ねでしょう」


「民と向き合う?」


 信秀さんのことだから責任は取ってくれるんだろう。仮にオレが義輝さんを怒らせても最後まで守ってくれると確信出来る。とはいえ丸投げは酷いんじゃない? せめて事前にそうするかもと教えてほしかった。


 義輝さんはオレが言ったことに少し固まったようだ。すぐに理解出来ないらしい。当然か。領民なんて話したことすらないんだろう。下手すると家畜とか作物なんかと同じ感覚で考えていても不思議じゃない。


 中途半端に教えるとろくなことにならないよなぁ。エルとジュリアと顔を見合わせてそれが正しいと確信する。


「これは言ってはいけないのかもしれませんが、多くの領民には、守護が誰でも将軍が誰でもあまり興味はありません。ではなぜ領民は武士に従うか? 理由は細かく申せばいろいろあるでしょうが、多くは生きていくためと言っても過言ではないでしょう。今日食べられて明日も食べられると知れば、多くの者は奪わないで生きていけます。少なくとも尾張では皆が力を合わせているので上手くいっております」


 身分が当たり前でそれ以外知らない人たちには、信じられないことかもしれない。ただ、定頼さんの顔色が悪い。多分卜伝さんを除けば一番その価値を理解している。楽市を始めたりした人だ。分からないはずがない。


 はっきり言うと、オレたちのやり方はこの時代では異端だ。教えても義輝さんが使える手法じゃないんだよね。


 斯波家と織田家で中間層を明確に従え中央集権とする。さらに領民と向き合うことで直接下から改革する。足利政権とは真逆のやり方だ。参考にすらならないと思う。


「事実であろうな。大樹よ。考えてもみよ。将軍が都を追われたとて誰も立ち上がらぬ。主上が難儀しておられても官位欲しさに集まる者以外は見向きもせぬ。都では主上が困っておられることをかなしみて、町衆が助けてくれておるのが現状なのだ」


 ちょっと言い過ぎたかなと思ったが、同意してくれたのはまさかの稙家さんだった。さすがに京の都を出て将軍と共に朽木まで来ていた人だということか。現実を理解している。


「それでは将軍など不要ということか?」


「それはまた話が違います。上様がいることで天下が現状で済んでいるのでしょう。天下を治める者がいなくなれば更に世の中は荒れると思います」


 極端だな。義輝さん。不要とまでは言えない。騒動の種をばら撒くし乱世の責任はあるけど、それでも将軍という権威体制が崩壊すると更なる戦が起こる。


 まあ、新しい天下が生まれるには古い体制を終わらせて、日ノ本をひとつにまとめないと駄目だから、延命するとそれだけ太平の世が遅れるともいうが。さすがにそこまでは言えない。


「分かったであろう? 大樹よ。それ故、現状で踏ん張るしかないのだ」


「されど殿下、このまま良くならぬ天下など終わらせて、新たな天下を求めたほうがよいのではありませぬか?」


「大樹、そなたはまだ若いな。かつて鎌倉にて北条が武士を治めておった世が終わった時、当時の後醍醐天皇は朝廷が自ら治める新たな世を目指したことがある。だが上手くいかなんだ。そなたの祖先の足利尊氏も苦労の末になんとか天下をまとめた。守護が大きな力を持ち争いが絶えなかったが、それでもそれまでよりは良うなったのだ。新たな世など軽々しく作れるものではない」


 義輝さんはやはり足利政権、いや将軍の限界に気付いているのか。とはいえ、それは稙家さんも同じ。ただそれでも軽々しく動けないのは過去の失敗の教訓もあるということか。


 諭すような稙家さんがまるで父親か祖父のように見える。みんな悩み苦悩しながらも現状で足掻いているんだ。


 一部には自分の我欲で天下をおかしくしている人もいるけど。




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