第六百六十七話・お市ちゃん、ワンピースで過ごす

Side:久遠一馬


 熱田祭りも終わると季節は夏になる。花火の余韻そのままに、数日は尾張各地が領外からの人で賑わっていた。


 浅井の賊を捕まえて褒美として花火見物をした人たちも蟹江で温泉に入り、清洲城の見物や熱田神社や津島神社もお参りをしたようだ。


 花火の翌々日には招待客を集めての茶会を今年も行なった。人が集まれば様々な噂が聞ける。今川は本当に甲斐を攻めるつもりらしく、駿河から来た公家はその話をしていた。


 今川と武田のどちらが勝つのか、また織田は動くのか。その辺りが気になるらしい。駿河そのものが安全な場所から変わりつつあるからね。


 越前から来た公家たちは畿内の話をしていた。三好政権は危ないようでありつつも大きな障害はなく、朝倉や六角がどこまでやる気になるかが焦点だろうと言っていた。


 彼らがなにをどう見ているのか。雑談に近いものだったけど、こちらとしてそれを知ることが出来たのは収穫だった。


 六角の後藤さんも朝倉の宗滴さんも明言を避けてはぐらかしていたが、三好と本気で戦う気はないような気がする。


 足利義輝と細川晴元はやる気があるようだけど、現状では六角や朝倉は三好と決戦などやれる状況ではない。六角は北近江の扱いで忙しくなるし、朝倉は宗滴さんの歳もあって大規模な遠征など無理だろう。


 それにやり過ぎると潰すのが足利家のやり方だ。抜きん出た実力を持つ者はことごとく潰していく。六角も例外ではない。管領代である六角定頼も現状以上の力を振るえば潰されると思っているはずだ。


 一方の三好長慶は、やはり足利家との全面対決を望んでいない節がある。足利将軍の権威は依然として畿内では大きい。さらに三好では地盤の安定を含めてまだまだそんな状況じゃないと思うし、それを鑑みると妥当な判断だとは思うけど。


 ただし、史実の織田信長でさえ、足利家を潰す気があったのかどうかは元の世界でも議論が分かれるところだ。人の心情なんて分かるはずがない。




 さてそんな今日だけど、いつもに増して暑い。


 それもあってか、珍しくエルたちが洋服を着ている。ウチに来たお市ちゃんもそれを見て洋服に着替えており、今は麦わら帽子をかぶってロボとブランカと一緒に庭の散歩をしている。


 この時代の貴人の女性は屋敷から出ないのが普通で日焼けなどしないことが当然だが、織田家ではケティの指導もあり日光浴をするように勧めているからね。


 それに外出する機会も多いので、お市ちゃんなんかは少し日焼けしてたりもする。まあ大半の女性は武士の奥さんでも農作業とか家事で働くからね。日焼けしないほど屋敷に閉じこもれるのは限られた人だけなんだけど。


「上洛かぁ」


 夏の日差しが差し込む縁側でお市ちゃんとロボとブランカの様子を眺めながら、次の課題について考えていた。


 義統さんと信秀さんの上洛だ。戦乱が続くこの時代では領地を離れるのは大きなリスクがある。家臣の下剋上による領地の乗っ取りに近隣勢力が留守を狙って攻めてくるなんてあり得る。


 それに近隣勢力が上洛して権威を手にするのを邪魔することだってある。上洛自体が一大イベントであり一苦労なんだよね。


 ただ、織田家は比較的大丈夫なほうだろう。謀叛を企てて成功しそうなのってウチしかいないんだよね。他はそこまでの力がない。


「結局、オレも行くことになりそうだね」


「顔合わせという意味では行くべきでしょう。得体の知れぬものを人は恐れます」


 上洛メンバーは現在選定中だが、オレは決まりっぽい。なにかと噂になっているだけに上洛して顔だけでも合わせておくべきだというのが、エルや信秀さんたちの意見になる。


 まあ、反対もしないけどね。正直、喜んで行くわけでもない。


 この辺りはオレ個人の意思というよりは、斯波家と織田家の中で話し合って決めている。客観的に多角的に検討して議論する。そういう形を作りつつあるからね。


「六角家が道案内をしてくれるようです。三好家との交渉も進んでいます。陶磁器や金色酒などを今後も三好家へ融通することでまとまるでしょう。秋の前に上洛ですね」


 上洛の根回しで残るのは京の都を押さえる三好次第だが、邪魔はしないだろうというのがエルの見立てだ。三好は定期的に船を寄越すので取引をしている。邪魔をするメリットなどないだろう。


 戦略物資では火薬は売っていないものの鉄は売っているし、金色酒・絹織物・綿布・昆布・鮭・砂糖・蜂蜜などいろいろと買っていく。


 京の都を押さえる三好が金色酒も手に入らないのでは恥をかくからなぁ。露骨な敵対行為でもしない限りは邪魔をするはずがない。




「ずいぶんと涼しそうだな」


 お昼が過ぎた頃になると信光さんが訪ねてきた。無論、先触れなどない突然の訪問だ。


 オレもエルたちに合わせてTシャツとハーフパンツで過ごしていたんだけど、突然やってきたので着替える暇もなかった。


 勝手知ったる他人の家ということで門からそのままの足で庭にきたんだ。別に武装しているわけじゃないしね。堅苦しい形式を好む人じゃない。公式の場でもないと親しい人たちはこんなものなんだろう。


 まあ、ウチの家臣が信光さんを止められるはずもないのでいいけど。


「着替えて参りますよ」


「要らん、要らん。それより腹が減っておるのだ。なにか食わせてくれ」


 一応、着替えてこようかと声を掛けるけど、形式だけなんだよね。いつものことだ。無礼がないようにしますと示すことはしている。


「あっ、おじうえだ!」


「おっ、今日は久遠家の着物か。市、よう似合うぞ。して一馬、あれは仕立てるのが難しいのか?」


 手早く準備出来るということでエルは素麺を信光さんに出したが、豪快に啜るように食べると、ワンピース姿のお市ちゃんが姿を見せると信光さんは意外なことを口にした。もしかして欲しいのか?


「品物によります。今日着ているようなものなら難しくありませんが、先日の茶会で着たような服なら苦労するでしょう」


 エルも言うように、本格的なドレスとかタキシードのような服は苦労するだろうね。ただ、日常に着るような服はそうでもないだろう。


「よろしければ、ウチで仕立てましょうか?」


「ああ、頼む」


 やっぱり欲しかったのか。念のため聞いてみると、あっさりと返事をした。採寸も必要なので誰の服かと思ったら自分と奥方の分が欲しいらしい。


 流行るとまではいかないだろうが、傾奇者のように珍しい服が着たい人たちにはいいのかもしれないね。


 絹織物もようやく尾張で生産が始まっている。政秀さんが畿内からスカウトした職人なんかが尾張の職人に教えて、なんとか一定レベルのものを作れるようになったんだ。もっとも現状では生産量は多くないが。


 あとは綿織物が農業試験村などの一部の農村で生産したものが売れている。こちらも高級品とまでは言えないが、それなりの質で尾張の武士や商人に売れているね。


 時代的に布は貴重で、それこそ余裕のない人は一生新品なんて買わないのが当然だ。とはいえ尾張はそれなりに生活水準が上がっているし、余裕のある人も増えている。


 今後も需要は増えるだろうし、更に品質があがれば各地にも売れるだろう。洋服の仕立ても出来る人を育てるべきだろうね。


「このきもの、すき!」


 お市ちゃんは信光さんにくるりと回ってみせると、ワンピースを気に入ったと笑顔を見せた。


 着物より軽いしね。動きやすい。この暑い夏とかは特に洋服のほうがいいだろう。さすがに外出する時は目立つし自重するべきだろうが、ウチの屋敷でいるうちはいいんじゃないかな。


「兄者も言うておったが、立場が上がると無駄な作法が多過ぎる。それなりの場では必要だろうが、それ以外は今後徐々になくしていくそうだ」


 お市ちゃんの微笑ましい姿に信光さんも笑みを浮かべていたが、ふととんでもないことを口にしていた。


「よろしいのですか?」


「守護様は構わんと仰せだそうだ。ここだけの話、守護様の足利嫌いは尾張一だからな。足利の認める習わしなど嫌なのだろう」


 エルもちょっと驚いた顔で見ている。オレたちの影響もあるんだろうなぁ。


 信長さんは最初から堅苦しいのが嫌いだったけど、信秀さんはそうでもなかったんだが。とはいえ、偉くなると面倒事が増えるとオレにもぼやいていたんだよね。


 しかも障害になりそうな守護である義統さんが反対しなかったのか。信光さんも言っているけど、本当に足利嫌いがどんどんエスカレートしているのが少し心配だ。


 今や畿内から関東どころか、商いのおかげで九州や奥州まで、日ノ本全ての諸国の事情が耳に入るし、オレたちから海の向こうの話も聞く、それだけ視野が広がったんだろうが。


 一番の原因はオレたちの知識や力を察して、足利を担ぐという必要性がないことに気付いたからだろう。


 今後、不要な作法を減らしていくと、逆に作法を教える人を置かないと出来ない人が出てくるだろうね。


 でもまあ合理的になるのは悪くないか。



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