第六百六十五話・花火を見て思うふたり

Side:朝倉宗滴


 辺りはすっかり日も暮れた。ここ熱田神社では武衛殿や弾正忠殿を筆頭に招かれた者たちが花火を待ちわびておる。


 西三河の松平家と吉良家、東美濃の遠山家、伊勢の北畠家と尾張と伊勢の国境にある一向衆の願証寺。それと伊勢大湊の会合衆も勢ぞろいか。


 周辺の者をこれだけ集めるのは、なかなか骨が折れる。皆、それぞれ事情と思惑を持つものだからの。そこに駿河と越前からは公家が来ておる。応対するだけでも一苦労であろう。


「そろそろかの。朝倉殿もさぞ驚かれるであろう」


 顔なじみの公家たちがおったことで少し気が楽になったが、かの者らは越前では食べられぬような珍しき料理と、金色酒や尾張澄み酒にてご機嫌な様子だ。


 ただ顔ぶれを見て気になったのは、久遠家の者がおらぬことか。この花火は久遠家がもたらしたものであろう。名と顔を売るにはこれ以上ない機会だというのに。


 変わり者という噂はまことということか。


「これは……」


 花火まではゆるりと待っておればよいと言うので、わしも酒と料理を楽しんでおる。相も変わらず尾張の料理は一味も二味も違うものばかり。見たことがない料理ばかりで驚かされる。


 ふと、箸をつけようとして思わず止まったのは、まるで土でもつけたような色をした料理だ。周囲にはかがり火があるものの薄暗い。そのせいもあるのであろうが。


「魚を油で揚げたものでございます。久遠家ではフライと呼んでおる料理。それはあじのフライでございますな」


 平手殿が教えてくれたが、油か。尾張の料理は油を使うものが出てくる。寺の料理では稀に使うことがあると聞くが、源流は同じ大陸であろうか。


「ほう……」


 箸も付けずに、如何どううのと言うのは性に合わぬ。まずは味わってからだと鯵のフライとやらを、言われるがまま黒い秘伝のタレをかけて頬張る。


 これは!? 硬いわけではないが、確とした衣の歯ごたえと柔らかい魚の身が絶妙じゃ。しかもこの秘伝のタレとはなんであろうか? 醤油でも味噌でもない。


 久遠の料理は総じて深みがあるが、これはいくつもの味が混在しているというのに、一切の無駄がない。


 また魚の身は臭みもなく、焼いた時よりも柔らかい。油などで揚げていかがなるかと思うたが、この歯ごたえはたまらぬ。これは箸が止まらぬのう。


 ああ、あまり急くように食うてはならんな。一息つくように酒を飲むが、この尾張澄み酒という酒がまた料理によく合う。濁酒も悪うないが、明らかにこちらのほうがわしは好みだ。


 この年寄りの体が熱くなるような酒と料理を出すとは。公家らが毎年の如く尾張まで来るわけだ。道中の路銀はかかるが、清洲まで来てしまえば、もてなされるだけ。この料理と酒が食えるとなると喜んで来る者は多かろう。


「さあ、始まりますぞ」


 酒と料理に夢中になる皆が、平手殿の声に夜空を見上げた。


 その時、わしは空を上る龍を見た気がした。


 するすると夜空に上る龍は闇夜など恐るるに足らずと言わんばかりに、大輪の花を咲かせてみせた。


 胸に響くほど大きな音を出して咲いた龍の花に、わしはただただ見ておるしか出来なんだ。


「ほっほっほっ、さすがに朝倉殿も花火には驚いたようじゃの」


 顔なじみの公家がわしの顔を見て面白そうに笑うた。たしかに驚いた。線香花火は見たこともあるのだ。ある程度は分かっておるつもりであったが、実物はまったく違う。


 若い家臣など来る前の勢いをなくし、空を見上げて祈っておる者まで出る始末だ。


「今の荒れた世で、ひと時の風流にこれほどの花を添えることの出来るのは尾張だけであろうな。天下一と言っても過言ではあるまい」


 花火の余韻を忘れぬようにと酒をくいっと飲んだ公家のひとりが、独り言のように呟くと周りが頷いた。


 関ケ原であれだけの普請と戦までしたにもかかわらず、かようなものに多額の銭をかけられるのか? 越前では皆が田畑を耕して今日明日を生きるのが精一杯だというのに。


 無論、この花火とやらの影響を考えるとよい策なのであろう。だが織田は何故これほどの銭があるのだ?


 久遠か? 少し前から明の商人までもが噂をするようになった。何処からともなく現れた黒い船は恐ろしき船だと。少し脅してやろうとけしかけると、途端に沈められてしまうのだとか。


 一時は南蛮の間者ではとの噂もあったが、織田の嫡男が久遠の本領に行ったとか。詳しい所在のことは誰も話さぬらしいが、日ノ本よりも進んだ領地だったと尾張では噂だ。


 見上げると再び龍が天に昇っておるわ。


 漆黒の闇夜を照らす龍の花。底が知れん。これは是が非でも斯波家との因縁を収めねばならぬ。わしが死ねば朝倉家は公方様や六角に翻弄されかねぬ。


 織田と朝倉家をぶつけようなどと考える愚か者が出ぬとも限らん。なんとかせねばならん。なんとか……。




Side:斯波岩竜丸


 闇夜を照らす花火に野営をしておる子たちばかりか、周囲を固める兵たちまでも歓声を上げた。


 まさか人が闇夜を照らすことが出来るとは誰も思わなんだと思う。何度見ても飽きぬ。この花火に人は明日への希望を見ておるのだ。


 久遠一馬。この花火はすべてあの男の功だ。尾張を変えて、今や諸国に名の知れた男であるが、当の本人は今も子たちと共に楽しそうに花火を見ておる。


 父上や弾正忠が招いた者たちと花火を見る席に本来はおるべき男なのだが、本人が望まぬということで父上も弾正忠も好きにさせておる。


 周囲では望めば自ら天下を狙えると言う者もおる。だが本人にはまったくその気がない。父上や弾正忠のように忙しい立場はご免だと、わしに堂々と言い切る変わり者。


 去年のわしは一馬の言い分が理解出来なかったが、今ならば少しは理解出来る。


 かつては三管領と言われた斯波家も、つい先年までは大和守家に軟禁されており、人々に忘れ去られる寸前まで落ちておったと父上が口にされておった。


 それが今では、家系図でしか知らぬような祖先や先達に連なる親戚だと名乗る者まで文を寄越すという。困った時に助けも寄越さぬのに勝手な連中だと、父上が冷めた様子で語っておったのが忘れられぬ。


 間違っても足利など信じるな。父に万が一の時は、織田と久遠と共に生きよ。時が来れば新しき世が来る。それまでは弾正忠を父と思い信じろ。それが父上がわしに言うた言葉だ。


「若武衛様も西保三郎殿も、どうぞ。美味しいですよ」


 次々と上がる花火に子たちは興奮しておる。一馬はそんな子たちの世話をしながら菓子を配り嬉しそうに食べさせておる。この男と奥方たちだけだな。本当にわしを他の子と同じく扱うのは。


 エルがわしと西保三郎にも菓子を持ってきた。周りの子と同じもので同じ量だ。


「うむ、いただこう」


 西保三郎は菓子が珍しいようで嬉しそうに頬張った。わしも頂くが、久遠家の菓子は城の菓子より美味い。もう少し欲しい気もするが、ほどほどがよいのであろうな。


 一馬やエルの姿に、かつてアーシャがわしに言うておったことを思い出した。子たちには数多の才がある。剣豪になる才を秘めた子もおれば、商いや学問の才を秘めた子もおるのだと。そんな子たちの才を見つけ育ててやるのが学校なのだとな。


 城を出て学校に通うようになってから、わしも多くを学んだ。斯波家は三管領の家柄だ。織田を従えて今川と朝倉を討ち、かつての領国を取り返すのだと言うておった者も以前にはおったが、それがいかに愚かなことか今ならば分かる。


 もっとも、かような者はわしが学校に行きたくないと言うた時に、父上に隠居させられたがな。かつては父上でさえも、隠居をさせることが出来なかったという。


 家臣といえど、隠居などさせたら、なにをされるか分からぬ。それが斯波家の有り様だったのだ。結局は家臣をすべて弾正忠の直臣としたことで、織田の力を借りて隠居をさせたようだがな。


 アーシャはこうも言うた。わしにも多くを学び、やりたいこと変えたいことを見つけてほしいと。


 わしは……、せめて尾張の子たちは、周りの者たちのように笑うて育つようにしたいものだな。






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