第六百五十九話・後藤の憂鬱

Side:後藤賢豊


「朝倉は宗滴殿か。未だに労を買って出るとはな」


 朝倉宗滴と言えば、朝倉家に於いて絶大無二な存在だ。とはいえ七十を過ぎてこのような使者までするということには、斯波様も織田殿もさぞ驚いたであろう。


 まだ若い久遠殿の歳からすると、祖父か曽祖父と同じでもおかしくはない。


 ただ、それだけ尾張との今後が難しいということが分かるのは、さすがは宗滴殿としか言いようがないな。


 京の都や堺の者は認めぬのであろうが、生糸や硝石は東から入るものが質も量も確かだ。尾張は畿内から買わねば手に入らぬものが少ないが、逆に畿内は尾張から買わねば手に入らぬものが多い。


 そもそも畿内は纏まりなどなく、現状で京の都を押さえておる三好とて四方に敵がおる。そんな状況を踏まえて個々で比べると、明や南蛮と直に交易が出来て、敵が少ない尾張が有利なのは火を見るより明らかだ。


「殿、尾張は大層な賑わいですな。どうも例の花火のために諸国から人が来ておるのだとか」


 ああ、尾張は特にこの時期は賑わうらしい。ここでしか見られぬという花火。明の者に聞いても、大きな音がするだけのまがい物は作れても同じものは作れぬという代物だ。


 噂では恐ろしいほど銭がかかるというが、織田は去年に続き今年もやるか。


「浅井のことは笑えんな。六角家も此度の件が家名の傷になりかねん」


 斯波も織田も六角家には気を使うてくれており、浅井の件も御屋形様に先に頼んできたほど。されど六角家としてみれば不手際だったとしか思えぬ。


 御屋形様は家臣を守らぬのかと疑心を持った者もおろう。甲賀や伊賀や北伊勢は織田の力が及び始めておるのだ。戦になっても助けてくれぬと思われると、この先いかがなるか分からぬ。


 対する織田は名を上げた。新参の領地である美濃を全力で守ったのだ。この差は少ないとは言えぬ。


 それと一番の懸念は、御屋形様の体調が近頃優れぬことだ。隠しておられるものの、さすがに聡い者は気付いておる。跡継ぎの四郎様がおられるとはいえ、御屋形様もそろそろ隠居をとお考えの頃に思わぬ不手際となった。


 三好は一筋縄ではいかぬ相手。また公方様も若く血気盛んなままだ。ここで御屋形様の権勢が落ちると取り返しの付かぬことになりかねぬ。


「北近江三郡が御屋形様の手に入るのはよいことではありませぬか?」


「そこが難しいのだ。血を流した織田が取らず、見ておられただけの御屋形様が取る。それを周りはいかが思う? 織田が要らぬと言うたなど誰が信じる?」


 供をしておるわしの家臣ですら危惧の念がないとは。御屋形様がわしに使者をと頼まれたのは、六角家家中の者が現状の危うさを理解しておらぬからであろう。結果だけ見るとまるで御屋形様の謀のようではないか。


 これは六角家に楔を打ち込む織田の謀ではないのか? 弾正忠殿か、久遠殿か、それとも三河一向衆を殲滅した大智の方か。


 現に織田は浅井家の者をかなり捕らえたが、大半は生かしておりそのまま帰すつもりらしい。さすがは仏の弾正忠だという噂が尾張にはあるようだが、わしにはただ単に六角家への謀のようにしか思えん。


 織田は此度の一件で、領地をむやみに望まぬと内外に明らかとした。その影響は大きいはずだ。織田からすると維持に面倒な土地よりは商いで稼いだほうが利になるのであろうが、左様なことを田畑を耕すしか能がない者に理解出来るはずがない。


 まあよいか。わしは斯波と織田と誼を通じて、東の安定を確実とすればよいのだ。現状では他にやれることもない。




Side:久遠一馬


 今夜は遅くなったので清洲城に泊ることになった。部屋ではすでに灯りも消しており、障子越しに照らす月明かりがほんのりとオレたちを照らしている。


 一緒にいるのはエル、ジュリア、ケティ、セレスの四人だ。夜のお勤めをしつつ休憩を挟む。


「ジュリア、セレス、宗滴殿をどう見る?」


 直前まで頑張っていたエルとケティがちょっとお疲れのようなので、ジュリアとセレスに宗滴さんの印象を聞いてみた。どちらかというと武闘派と近いふたりの意見が聞きたい。


 オレには気付かないことも気付いたかもしれない。オレの場合はどうしても、元の世界での歴史創作物での朝倉宗滴というイメージがあるからね。


「そうだねぇ。あと十年若ければ織田も大変だったかもしれないねぇ」


「物事は見えていると思います。ですが基本的な思想思考に違いがあり、真相にはまだ到達していないかと思います」


 数えで七十五歳だよ。元の世界でも老人の部類だ。そこから新しいことを理解してその対処をするなんて普通じゃ出来ないだろう。


「もう少し手を抜くくらいの男のほうが下は育ったんだろうね」


 十中八九、宗滴さんは織田の現状を理解するだろうと思うが、ジュリアはなんとも言えない顔でぽつりと呟いた。


 武人としては凄そうな人だし、あと十年若ければジュリアも手合わせをしたいとでも思ったのかもしれない。


「あの人がいなくなると朝倉は傾くんだよね。滅亡の直接の原因は景鏡に思えるけど」


「……朝倉景鏡は現時点では一族の非主流派で、存在感はあまりありませんね。彼の父が謀叛人ですので。これは私の憶測ですが、宗滴殿が亡くなった後に一族で権力争いでも起きたとみるべきかもしれません。そこに越前在住の公家や史実の足利義昭が関わるとあんな形になったのかと。宗滴殿の後継者であり、関ケ原に使者として来ていた養子の朝倉景紀殿は史実では景鏡と対立して隠居していましたので」


 宗滴さんは頑張り過ぎたのかなと思いつつエルを見ると、落ち着いたエルは朝倉家の現状と推測を教えてくれた。


 史実で朝倉家の滅亡の原因とも言われていた朝倉景鏡は目立たない存在なのか。


 まあ、あれも俗説が入っているだろうからなぁ。細かい仔細なんか残っていないことが多いし、人の心の中まで歴史に残ることはない。


 朝倉家当主である史実の義景こと朝倉延景の評価は悪くない。文化に精通していて交易なんかにも熱心だ。とはいえそれは宗滴さんが補佐していての評価でもある。


 人の使い方が下手なのか。まあ現状では若いし仕方ない部分もある。


「ケティ。宗滴さんの健康状態は?」


「喫緊の病はないと思う。ただあの歳になれば、病のひとつやふたつはあってもおかしくはない」


 気になるのは宗滴さんの寿命だ。ケティも宴に参加していたので確認するが、さすがに離れた位置から精密に診察することは不可能だ。


 史実を参考にするとあと五年ほどの寿命はある。プラス五年生きていれば朝倉は変わる気もするけどね。あと義昭の行方か。


 何気にあの人の行く先って、ロクなことないような。権威権力そのものが魔物のようなものなのはオレにも分かるけど。


「しかし子作りが仕事なんて変な気分だね」


「そういう時代だからねぇ」


 どうやら休憩時間は終わりらしい。滅多に見せない女の顔をしたジュリアにオレは再び無言となる。


 ようやく結婚というものに慣れた段階なのに、周りは子供が出来ないことを心配しているんだ。信長さんに早々に子供が出来たからなぁ。


 オレの場合は衆道とかしないので、確率は高いと思うんだが。楽しんでいるのがいけないんだろうか。


 ひとつ学んだのは別に美人が三日で飽きないということだ。この世界にはそんなことわざはなくなるのかもしれない。


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