第六百五十八話・宴のようす

Side:朝倉宗滴


 夜になると歓迎の宴を開いてくれた。六角家からは後藤殿が来たのか。さすがに話の出来る男を寄越したというべきか。


 驚いたのは宴には出てこぬかと思うておった武衛殿もおることだ。因縁浅からぬわしがおるというのに、随分と配慮をしてくれたものよ。


 肝心の武衛殿と織田の様子には驚かされる。思うておった以上に良好らしい。傀儡とする織田と傀儡にされる武衛殿。いかがすればあれほど良好になるのだ?


 互いに争わずという程度なら分かる。それが生きる道なのだからな。同行した若い者らは気付かなかったであろうが、武衛殿と弾正忠殿は意思疎通が出来ておるのだ。これは朝倉家にとって脅威となる。


 弾正忠殿に臣従したという元守護代たちも宴に出てきておるが、こちらもあまり含むものはないようだ。一見するだけではあるが。


 少なくともわしに盤石だと見せる程度にまとまっておる。少し羨ましいの。


 それと驚いたことは他にもある。


 清洲では宴の作法も違うということだ。広間にはいくつもの漆塗りの大きな台が置かれており、これを食卓というらしい。この上に盆にのせた料理が運ばれてくるのだ。宴は膳であろうと思うた我らや後藤殿が戸惑うのも無理はない。


 なんとも柔らかい座布団なる物が円座わろうだの代わりに床に置かれており、これに座ればよいのだとか。膳よりは食卓は高さがあるので料理が近い。不便というほどではないが、何故織田はこのような宴にしておるのだ?


 料理自体は華やかだ。特にこの赤い実はなんだ? 事前に苦手なものや肉食の有無を聞かれたが、赤い実のことなど聞いておらぬが。


「どれ、魚から頂くとするか」


 武衛殿や織田方の武士たちがこちらを見ておるわ。若い者は立派な城に恐れをなしたのか、はたまたこの料理に毒でも入っておらぬかと案じておるのか、ここに来て大人しくなってしまった。


 これもわしが模範を示さねばならぬ。


 魚と共に出されておるのは醤油か。京の都にも少しあると聞く、わしも殿から頂戴したこともあるが、尾張ではすでに多く出回っておると商人が言うておったな。


「ほう……美味い」


 驚かされたのは醤油の味ではない。醤油が別格なのは聞き及んでおった。思うた以上なのは魚の味だ。生臭さがまったくなく、ほんのりとなにか旨味のある味で下拵えをしておる。


 魚は鯛になるが、鯛の味を殺さぬようにしたこれは醤油などなくてもいいくらいだ。


 鯉や鯛が上物といわれるが、魚ほど作り手の腕前が分かるものはない。無能な者の扱う鯛など、下魚以下の味になってしまうからな。


 さて、この赤い実だ。拳ほどの大きさの赤い実が切られたものがある。


「……これは、甘い。瓜のようなものか?」


 唐辛子は知っておる故に辛いことを想像して口にした赤い実は、まったく違ったものであった。瑞々しくて甘みと酸味がある。これは美味い。


「いえ、トマトと当家では呼んでおります。遥か東の海の向こうにあった植物の実ですよ」


 独り言のようなわしの言葉に答えたのは、久遠家当主であった。名を一馬と言うたか。忌み名を恐れずにそのまま呼ぶようにと口にしたこの男が、やはりもたらしたものか。


 その目と立ち居振る舞いは武士ではない。されど、坊主や商人でもない。


「東の海の向こうに国があるなど、聞いたこともないわ」


 赤い実の驚きにしばし言葉が出ぬわしになにを思ったのか、若い者のひとりが胡散臭げに久遠殿を見て疑うようなことを口にしておった。


 確かにわしも聞いたことはない。越前には明の商人も時折くることもあり、各地からの産物が船で来るからな。西の海の向こうには明があるのは承知のこと。されど東の海の向こうにはなにもないと昔から言われておる。


 とはいえ、この席にはわしですら初めて見た南蛮の女がおる。恐らくは久遠殿の奥方であろうが。嘘と決めつけてよいものか。


「信じるかどうかはお好きに。どのみち日ノ本の外のことをこれ以上はお教え出来ませんので」


 いかんと思い、わしが若い者を叱りつけようとしたその時、久遠殿は笑うて真偽をけむりに巻いてしまった。


「御寛恕かたじけない。この者には後でよく言い聞かせておきまする」


 わしは座布団から一歩下がり床に移ると、久遠殿に深々と頭を下げて礼を言う。その様子に驚いた若い者たちが驚き固まるが、かようなことも気付かぬとは情けない。


 愚か者めが。ここで久遠殿の言葉を疑えば、侮辱したとみなされてしまうのだぞ。おのれ程度の首で収まることではないわ。


 領内から出たこともなく、また領内に滞在する公家などとの付き合いもあまりない若い者を選んだのが仇となったか。久遠殿が気性の激しい男でなくて良かった。朝倉家がこの会談を壊したとなれば、六角まで敵に回してしまうかもしれぬのだ。


 前途多難であるな。




Side:久遠一馬


 この人が朝倉宗滴さんなんだね。宴の最中に突然頭を下げたことで、周りの皆さんも驚いている。


 少し空気が微妙になったことは確かだ。織田家中でも本当かどうかなんて誰にも分からないと腹の中で思っている人はいる。オレが本領を守るため、あえて嘘を教えていると考えている人もいるんだ。


 とはいえそれを指摘する人なんていない。信長さんや信秀さんくらいになると探究心から質問を口に出せるくらいだからな。


 オレとしてはこのくらいで会談を壊すなんて馬鹿なことはしないし、信秀さんもそのつもりだろう。とはいえ宗滴さんがひとつ借りと思うならそれを否定するほどでもない。


 眼光するどく武人といったイメージそのままの人だ。とはいえ歳だよねぇ。人生五十年という時代で七十過ぎなんだから、人の倍は働いているのかもしれない。


 六角家の両藤の一枝たる後藤さんもいて、こちらも立派そうな人だが。オレとは役者が違うのか、様子見なのか、今一つ存在感がわざとらしいほどない。割と慎重そうな人だね。


「これは美味しゅうございますな」


 そんな後藤さんが口を開いたのは、宗滴さんが元の位置に戻った時だった。これ以上、おかしな空気になる前に友好的な雰囲気に戻したいらしいね。さすがとしか言いようがない。


 ただ、猪肉のしょうが焼きが気に入ったようでもある。今夜はあまり奇をてらい過ぎないメニューにしたんだよね。皆さんには花火見物もしてもらうことになったからさ。


 それなりの大きさにスライスした猪肉をステーキのように焼いたもので、元の世界ではちょっと高級そうな洋食屋にあったような感じの出来だね。


 刺身は鯛の昆布締めだが、清洲城で扱うものは血抜きとかきちんとしたものなので臭みも少なく美味しい。このあたりは尾張の漁師なんかも変わったところだろう。


「この澄み酒もいい。これは公方様へ献上したものでは?」


「そうです。現状では売ってはおりませんので」


 その後、後藤さんのおかげもあって、先ほどの微妙な空気も消え去り、楽しくみんなで宴会となる。お酒も進み上機嫌になったのか口が軽くなった後藤さんと清酒のことで話が弾む。


 清酒は今でも全量を織田家の買い上げが続いている。信光さんのところで生産が始まるまでは変わらないだろう。


 朝廷や足利義輝への献上品や北条家への贈り物に、織田家中へ配ったりする分で精一杯だからね。あとはウチで消費する分だけだ。


 普段の飲酒は濁り酒が主な人たちだから驚いているらしい。金色酒も飲んでいるんだろうが、値段と供給量から祝いの日などに呑むくらいだろう。


 今日は金色酒と清酒の二種類を出した。まだ他にも梅酒や金色薬酒に麦酒などあるが、それは明日以降のお楽しみだね。


 朝倉の人たちは謙虚になったな。最初から静かだったけど、因縁ある斯波や織田に舐められないようにと虚勢を張っていた人もいたんだ。ところが宗滴さんが頭を下げて以降は大人しくお酒を飲んでいる。


 織田家でもいるからね。舐められないようにと虚勢を張るように少し攻撃的な人が。そういう時代でもあるし、オレは気にしていないけど。


 まあ、尾張だと学校に通うようになって、そんな人は随分減ったが。


 なんというか、宗滴さんがひとりで頑張っている朝倉と、家臣の層が厚い六角の違いが見えた気がする。


 六角は近江源氏の名門だしね。織田や朝倉を守護代風情と見てもおかしくない権門の家柄だ。六角崩れなどで史実では崩壊したが、この時代ではやはり侮れない勢力がある。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る