第五百九十六話・堺から来た職人
Side:堺から来た職人
「やはり駄目か?」
「当然だ。堺に売るものを作るなら尾張から出ていってもらうしかない」
尾張に来て十日ほどになる。飯と酒は安くて美味いし、仕事も山ほどある。本当に来てよかったと思う日々だが、堺の馴染みの商人からさっそく鉄砲を作ってくれと頼まれた。
ただ、尾張に来た時にいくつかの掟を守るように言われたんだ。堺の為にものを作ってはならないということや、織田家の許可を得ずに鉄砲を作っては駄目だということだ。
念のため確認したが、やはり駄目か。
「なんでそこまで堺を嫌うんだ?」
「偽の手形に偽の金色酒。それと南蛮の賊をけしかけたのは堺だろう。隠れて作るのもやめとけ。見つかれば死罪となるぞ」
世話をしてくれている奴は顔をしかめて堺のことを語った。わしら職人はものを作るだけだから少し前まで気付かなかったが、随分と嫌われているんだな。
「……そうか」
「すまんな。困っているなら助けになるように言われているが、それは無理だ」
那古野という町の一角に新参の職人たちが集まっていて、わしらもそこに住んで仕事をしている。
爺さんは腰が悪くてやっとこさ旅をしてきたが、そのせいで悪うがひどうなってしまい病院とやらに通っているが、銭を取らねえで診てくれている。
馴染みの堺の商人には悪いが、こりゃあ売れねえな。
「鉄砲を作るのは禁じられているのか?」
「それは構わん。ただし織田家で買い上げになるがな。あと半端なものを作れば笑われるぞ。織田家の鉄砲は久遠様が納めている鉄砲だからな。堺から来た奴で恥をかいた者もおる」
ここじゃあ釘や農具の仕事が多い。特に農具は鉄を贅沢に使ったもので高いが作れば作るだけ売れている。
ただ、わしは堺でも有数の鉄砲職人だった自負もある。出来ることならば鉄砲を作りたい。
「そうだな。久遠様の鉄砲を見せてくれるように頼んでみるよ。工業村の職人いわく、品の
世話人の男は親身になってわしらのことを考えてくれている。すぐに鉄砲を見せてもらえるように取り計らってくれた。
「これが織田の鉄砲か」
後日、清洲の運動公園とかいう場所にある鉄砲の射撃場で鉄砲を見せてくれた。確かにいい作りだ。歪みのひとつもねえし、鉄の扱いも文句のつけようがねえ。
「こいつの凄いところはな。どの鉄砲でも、ほとんどそのまま同じものに組み立てられることだ。部品の寸法がみんな同じなんだよ」
尾張にあって特別な職人がいる。工業村というわしらでは入れぬ、たたらのある場所の中の職人だ。わざわざ説明に来てくれたらしい。
いい鉄砲だと感心していたわしに、その職人は三つほどの鉄砲をばらすとごちゃまぜにして組み立ててみせた。
「信じられん」
「だろ? 一丁一丁の鉄砲でいいものを作るのは出来るだろうが、これが数百丁まとめて出来るのが久遠様なんだよ」
見事に寸分の狂いもなく組みあがった鉄砲に、わしはただただ驚くしかなかった。
「織田の職人衆はこれが出来るのか?」
織田の職人衆。工業村の中に住むことを許された者たちの呼び名だ。下手な武士や僧侶よりもいい暮らしが出来るようで、尾張に来た職人はみんなそこに加わりたいと狙っている。
「
なんということだ。堺では他国の鍛冶には負けんと自負する連中が多いが、どう考えても織田の職人衆のほうが上ではないか。
「弟子入りでもしたら、その技を教われるか?」
「あー、なんとも言えん。工業村の中の技は久遠様とわしらの技だからな。他国に漏らすようなことは出来んのだ。特に堺にはな。織田様に忠義を誓い、尾張で生涯生きていく覚悟があるなら頼んでみるといい。ただし、すぐには無理だろうな。そんな連中が結構多いんだ」
堺の連中は、未だに尾張を東夷の住まう鄙の地だと笑うている者が多い。だが来てみるとまったく違う。鉄は
そちらも見せてもらったが、鍬などにはもったいないほどのいいものだった。わしも鉄砲職人として、より優れている技を学びたいと頼むが、織田はそこのところは厳しいようだ。
致し方あるまい。尾張では堺商人といえば、嘘つきと裏切りの商人だと言われるほどだ。
だが負けていられんな。仕事の傍らで己で技を磨くほかあるまい。他所に売らねばいいのだからな。
わしは負けんぞ。
Side:久遠一馬
「三郎五郎様、大丈夫かな」
吉良家がこちらの条件を丸呑みして臣従すると文を寄越した。義統さんはかなり厳しい条件を出したようだけど、それにもかかわらず交渉もしないで臣従とは驚きだ。
もっとも大変なのは信広さんだろう。史実では徳川家康でさえ苦労した三河衆を束ねる立場なんだ。胃薬とか必要にならないように助けてやらないと駄目だね。
当然と言えば当然だが、織田家に従う三河衆の中でも出世争いがある。三河はオレたちが来るまではよくて中立だった国人衆が多く、織田と同盟を結んでいた国人が知多半島から三河の一部も領有する水野さんだったというのがかつての状況だ。
ところが現在では、今川が西三河から撤退して織田家の西三河支配がほぼ決まったことで、すり寄るように働きだした人たちが結構いる。
「因幡守様が上手く助けておられますよ」
三河で信広さんを助けているのは、エルも言っている通り信友さんだ。信広さんも有能なんだけどね。立場上動きにくいこともある。そこを補佐する形で信友さんが上手く助けている。
史実だけをみると、あんまり有能そうに見えないんだけどなぁ。吹っ切れたというか、困ったことや悩むことは素直に信秀さんやオレに聞いてくれるから、物凄く助かっている。
この時代に限ったことではないが、自分の判断でやっちゃう人って結構いるんだよね。特にこの時代では細かいところは任せるというのがよくあるから尚更。
ただ信友さんは今の織田家のやり方を考慮して、どこを聞くべきか理解しているのがありがたい。
伊勢守家の信安さんもそうだけど、この時代って武芸とか用兵が上手くないと評価されないからね。この世界では史実と違う評価をされる人が今後も増えそう。
「吉良家は今後の名門の扱い、その先例にするのがいいかな?」
「そうですね。特別扱いしないという先例にはちょうどいいでしょう」
吉良家が今後どうなるか分からないけど、ここまでくれば名門の処遇、その先例にするのが無難だろう。一切の配慮もなく、一介の国人と同じ扱いでいいならね。
虐めるわけではないが、微妙過ぎてほかに使い道がないんだよね。まあ織田家は頑張れば相応に褒美も出るし役職的な地位も上がるので頑張ってほしい。
「しかしみんな凄いね。ウチが与えたきっかけで変わって、生かしている人がたくさんいる」
「そうですね。誰も飢えず安心して暮らせる世の中にする。他家では笑われるでしょう。そのような世の中などくるはずがないと。ですが織田家ではそれを信じる者が増えていますので。そのおかげでしょう」
昼食後の休憩にとエルと千代女さんとこたつでのんびりとしているが、改めて考えると周りの人たちが変わる姿に嬉しくなると同時に負けていられないなとも思う。
オレももっと戦国時代を理解しないと。守るべき人はどんどん多くなっているんだしね。
頑張ろう。
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