第五百九十二話・朝倉家の反応

Side:朝倉宗滴


「浅井は己の立場を理解しておらぬのか?」


 美濃を攻めるので後詰めを出してほしいと浅井から使者が来た。


 なんでも美濃の斎藤が織田に臣従をする際に、浅井久政の妹である斎藤義龍の妻と子の扱いが懸念となり、肝心の女が浅井には帰りたくないと尾張の織田に自ら人質となると出向いたというではないか。


 浅井はそのことに激怒しておるようで、絶縁して戦だと騒いでおるか。


 確かに前代未聞のことではあるが、相手は今や尾張と美濃、三河の幾郡をも治める相手ぞ。それを軽々しく戦だと騒ぐとは。


 まるで己の力で北近江を治めておるとでも考えておるようだ。六角家や当家などの配慮と成り行きで好きにしておる分際で、なんと愚かな。


 我が朝倉家の重臣一同も驚き呆れておるが、まずは真偽の確認が必要だろうと尾張に素破を放っておる。


「そもそも、その話まことか?」


「夫婦仲はいいようだ。斎藤の嫡男、新九郎と妻は世子と共に、すでに尾張の清洲に住んでおるが、正月には美濃に帰り斎藤の稲葉山城で過ごしておる。年が明けてからは、妻のほうは尾張にて薬師の方の手伝いをしておるようだな。清洲での評判もいい」


「それは人質か?」


「織田は家臣から人質を取らぬと言うておる。帰りたければ帰ってもよいとな。おかげで各地の人質も年越しには自領に帰っておる有様だ。この件も妻のほうが浅井の血を継ぐ世子を守るために織田を頼ったというのが真相のようだ」


 浅井の話ではすべては信秀と利政の謀で、奴らが近江に攻めてくると騒いでおった。されどこちらで探ったところ、まったく違う様子が見えてくる。


「弾正忠殿からは文が届いたぞ。内容は概ねそなたたちが探った通りだ。近江を攻める意思はないとな」


 動きは織田も早い。殿のところには早くも信秀から文が届いた。いかにも浅井の動きは筒抜けらしいな。


「これは六角の謀では?」


「たしかに……」


 家中の者たちは今一つしっくりこぬと考え込んだり意見を交わしたりしておるが、ひとりの者が六角の名を口にすると重臣一同の顔色が変わる。


 織田が北近江を狙うておるのかもしれんが、美濃もまだ落ち着かぬ織田よりは、六角の謀とみるべきではないかとの意見だ。


 あそこは近隣に叡山もあるが、我が朝倉家とのを取り、いざとなれば戦場いくさばとして踏み荒らす地でもある。そのため浅井は生かされてきたが、織田が美濃を固める前に六角が北近江を狙ってもおかしくはないか。


「さて、いかがする?」


 六角の動きは注視せねばならぬが、今決めるべきは浅井への返答だ。殿がこちらを見てわしの考えを問うてきた。


「現状での後詰めはよろしくありませぬ。適当にあしらっておけばよいかと」


 重臣一同もわしの言葉を待つが、いかに考えても後詰めなど出せぬ。相手が織田なのか六角なのかすらはっきりしておらぬのだ。


 それに織田とはようやく誼を結び始めたばかりぞ。早々に釈明して北近江に野心はないと言うておるのだ。軽々しく動けん。


 下手に動けば加賀も巻き込んで争乱になることもあり得る。幸い織田は自ら戦を好む様子もない。


「ちょうどよいのではないか? 織田の力量を確かめるには」


「確かに、浅井如きで勝てるとは思えんが、織田を試すにはちょうどよいかもしれん」


 家中には元主家である斯波家とその家臣である織田を軽く見る者が多いが、それでも浅井と比べると話にならんことは皆が理解しておる。


 殿に至っては信秀から贈られた白磁の茶器と、紅茶という織田からしか手に入らん茶を大層気に入っておるほどだ。


 このまま珍しき品が多い、織田との取引を増やしたいと考えておられたのだろう。浅井の動きに不快そうな表情をされておる。


 六角とも話す必要があるな。最悪、北国街道はこちらが押さえることも考えねばならぬ。


 商いに重きを置く織田が北国街道を荒らすとは思えぬが、浅井は今一つ理解しておらぬからな。織田相手に大敗して北近江が荒れても困る。




Side:久遠一馬


 犬山に設けることにした木材の集積所が稼働し始めた。


 こちらは特に難しい施設を建設するわけではない。美濃や飛騨から買っている木材を犬山に集積して、そこで最低限の加工をしてしまうというだけだ。大工の手配や用地の手配は信康さんがしていた。無論、言い出しっぺであるウチも助力したけどね。


 なんというか犬山は史実を見ると独立意識が強いのかとも思ったが、信康さんの家臣とかはむしろ歓迎してくれていた。


 犬山は要所といえば要所であるが、美濃が臣従をすると重要性が薄れるからね。発展著しい清洲を含む南部と比較して、発展が遅い北部に多少面白くないものがあったのかもしれない。今後の課題だ。


「また増えたね。こっちは歓迎するけどさ」


「いかにも……、あちらは会合衆が疑心暗鬼に陥っておるようでございますな。大湊へ助けを求めた者までおるとか」


 暦は二月に入ったが、堺からまた職人の団体さんが到着した。どうも以前に来た職人たちの関係者らしい。とりあえず少数を送って様子をみて、良さそうなので団体で来たということだろう。


 湊屋さんと彼らの扱いや住まいの用意などを話しているが、湊屋さんからは堺の最新情報がもたらされた。


 堺の会合衆は機能不全に陥っている。度重なる失態と不手際で会合衆の影響力は堺の内部ですら落ちているんだ。典型的な合議制の失敗例と化しつつある。


 まず反旗を翻したのは職人たちだ。一部の職人は公然と会合衆のやり方を批判して尾張に団体さんとしてやってきた。あと遊女とか遊女屋も反会合衆に回っているらしい。こちらは以前南蛮人に遊女が殺された件が影響しているようだ。


 堺は、史実ほどの影響力を持つことは今後出来なくなるだろう。三好に吸収されるのか、そのまま衰退するのか。個人的には元の世界の大阪文化は好きなんだけどなぁ。えげつないんだよね。この時代の堺の商人ってさ。


 まあ、こちらは大湊の会合衆を陰ながら支援していく必要があるな。合議制そのものが衰退しても困る。


 現時点のウチにはそれ以上は関係がないことだけどね。やってきた職人の皆さんの住まいと仕事を手配して暮らしを安定させてやるだけだ。


「寒い日に汁粉は温まりまするなぁ」


 この日はお汁粉がおやつだ。湊屋さんは嬉しそうにお汁粉を食べている。


 湊屋さんはここのところ蟹江に常駐して、諸国から来る商人の相手をしているんだよね。


 武士だったり寺社だったり、遠方の人たちは商人に品物を手に入れてこいと命じる。とはいっても縁もゆかりもない商人が突然来ても金色酒は買えないし、鉄砲は販売そのものをしていない。


 買って帰らないと首が飛ぶんだと騒ぐ人もいれば、どこぞのお方が許さぬぞと脅しをかけてくる者もいる。ミレイとエミールからも悪質な連中が結構いると報告が上がってきているほどだ。


 信秀さんは悪質な連中は叩き出していいと言っているけど。とはいえ話を聞いて相手を見極めるだけで大変だ。


「本当に温まるね」


 本音を言えば、もう少し畿内にしっかりしてほしい。尾張が日ノ本の中心になるのはまだ早いんだ。


 大湊も堺の衰退の影響で忙しいらしい。西から来る船は必ずと言っていいほど大湊に入る。そこで品物がないでは恥をかくから、当然こちらもそれを考慮して大湊には品物を売っている。それに有象無象が直接尾張に来るより、大湊で済むならそこで買って帰ってほしい。


 現状で大湊が織田に逆らうことはないだろう。忙しくて逆らう気力すらないかもしれないが、逆らっても利点がないしね。


 特にウチは関与はしていないけど、そのおかげで近隣の宇治と山田の町も活気があり、伊勢の神宮とか北畠家とは友好関係が深まっている。


 伊勢は史実の織田家の鬼門だったはずなんだけどなぁ。現時点では一番安定して儲かるドル箱になっているんだよね。


「ああ、お土産に餅と小豆と砂糖をあげるから。持って帰ってみんなで食べるといいよ」


「ありがとうございまする!」


 蟹江は文官を増員する必要があるな。土豪や国人衆の次男三男なんかから集められないかね。一番暇しているんだよね。もっともいちから教育が必要だろうけど。


 尾張の商人の次男三男なんかはすでに手伝わせている。管理はミレイたちと湊屋さんがしているが、堺の崩壊が予想以上に早くて武士だけでは蟹江を差配する人手が足りないんだ。


 そもそも武士は商いをまったく理解してないしね。


 蟹江では、浅井? そんなことより商売だ! なんて雰囲気だよ。




◆◆

朝倉宗滴。越前の朝倉家の人。


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