第三百九十二話・エルと一馬

side:エル


 私は卑怯なのかもしれません。怖いのです。お清殿と千代女殿が……。私はどこまで行っても人にはなれないアンドロイドなのですから。


 司令と同じ人である彼女たちが怖い。私のすべてを奪われる気がして怖いのです。


 もちろん彼女たちにはそんなつもりなど、まったくないでしょう。たとえ彼女たちの答えに家のため自身のためという打算があったとしても。


 しかし、人が生きるうえで完全な打算なき愛などどれほどの人が持ち得て、また貫くことが出来るのでしょうか?


 彼女たちが司令のみならず、私も慕ってくれているという事実もまた確かです。それなのに……、私は不安から彼女たちと司令の距離をこれ以上詰めたくないと考えてしまう。


 人としての経験がなく、知識や情報というデータはあっても、自らの経験ではないのが欠点と言えるのでしょうね。


「エル様。このままというわけにはいかぬのでございましょうか? 殿は私たちを望んではおられぬのでしょう。ならば私はこのまま……」


 大殿に心配をかけた時点でこのままでは無理でしょう。ですが千代女殿は現状維持が望みですか。


 確かに時代的に女性の意見よりは男性の意見が優先されます。もっとも史実の江戸時代と違って、戦国時代は女性が比較的自由な時代です。


 女性が自らに財産を持つのも当然ですし、離縁……未来でいう離婚も女性から言えると聞き及びました。まあ武家の政略結婚は違いますが。


 少し話が逸れましたが、司令はふたりのことは嫌いではないでしょう。ただ自らふたりを求めるようなタイプでもありません。


 仮にメルティが最初に『夫婦と名乗る』と決めた時に強引に契りを結ぶように言わなければ、私たちも彼女たちと変わらぬ仮初の夫婦だったことは確かだと思います。


 恋だ愛だというだけで結婚出来る人と出来ない人がいる。まだ私たちが仮想空間にいた頃に司令がこぼした言葉です。


 なにがあった言葉なのかまでは聞き及んではいません。だいぶ昔のことですし、司令も覚えているのかどうか。


 ですが側室になるならば、望まれてなりたい。それがふたりの本音なのでしょう。


「もしこのままが無理ならば、いずこかに嫁に出していただいてかまいません」


「ではわたしもそのようにお願い致します」


 感情を押し殺して、どこかに嫁にと語る千代女殿の強さに私は少し驚かされます。お清殿もまた、今にも泣きそうですが、決して涙は流すまいと頑張って千代女殿の言葉に続きました。


 強いですね。人間の女性は。いえ、この時代の女性が強いのかもしれませんが。


 決して自ら側室になりたいとは言わないのが、彼女たちの忠義なのでしょうね。




Side:久遠一馬


 今日は月が綺麗だ。あいにくと満月じゃないけどね。


 ひんやりと冷たい空気が眠気を覚ましてくれる。もともと眠気なんてなかったけど。


 お清ちゃんと千代女さんが側室を望んでいたのは気付いていた。どっかの漫画の鈍感主人公じゃあるまいしさ。そのくらいの空気は読める。


 ただ、オレの精神年齢はアラサーなんだ。やっぱりね。


 結婚というと結婚生活よりも、親戚付き合いとか当人同士以外の問題が気になるのが本音だ。特にそれが顕著な時代だしね。


 もう恋だ愛だというほど若くはないし、親戚付き合いは、過去に少しトラブルがあったから出来れば親戚なんて持ちたくないと思っていたほどだ。


 お清ちゃんと千代女さんはどうなんだろうか。久遠家の裕福な生活や地位が欲しいなら別の選択肢もあるだろう。ふたりをオレの養女にして家中に嫁がせるのも可能だと思うんだが。


 若いんだしウチには若い家臣もいっぱいいる。もう少し自由にしておけば恋愛のひとつもすると思ったんだけどなぁ。




「まだ悩んでるの?」


「メルティか。結婚なんて経験ないしさ。人の人生を背負うのは重いよ」


 ひとりで縁側にて考えているとメルティが姿を見せた。まるで困った子供でも見るようにオレを見るのは止めてほしい。オレの悩みに気付いているだろうに。


「嫌いなの?」


「そういうわけじゃないよ。ただ……」


 そう。嫌いではない。ただ一生添い遂げる相手として見てなかったというのが本音だ。


 そもそもオレは結婚自体をどういう位置づけにするのか、自分でもよく分からない。客観的にみると政略結婚はなくしていきたいと思うが、見合いなんかまでは否定はしない。


 オレみたいなタイプだと、見合いでもしないと結婚出来ない男が出てくるだろう。


 正直、オレ自身は生体強化の影響で不老化したこともあるし、エルたちがいることで結婚についてそれほど深く考える必要がなかったんだよね。


 ゲームだった頃と同じでよかったからさ。


「なら受け入れてあげたら? 愛情も打算もすべて受け入れてあげたらいいじゃないの。大丈夫よ。私たちがいるわ。なにがあってもなんとかするから」


「メルティ……」


「生きるのは綺麗事じゃないもの。だから私も司令とみんなで確かな絆を求めた。彼女たちの気持ちも分かるわ」


 迷いから抜け出せないオレに、メルティはそっと寄り添い囁くように自身の意見を口にした。


「私たちも後戻りは出来ないのよ。仮に未来に、元の世界に帰る手段が見つかったとしても、帰れるのは司令だけ。あの世界のように個人の基礎情報の管理が行き届き、出生と所属が明確でないとなにも出来ない時代だと、私たちアンドロイドは普通に生きていけないわ。下手をすれば私たちはモルモットにされて技術を吸い上げられるだけの存在になる」


 メルティは淡々と語ったが確かにその通りだ。オレたちにはもう戻るところがない。宇宙に逃げることは可能だが、それをやれば悠久の時をオレたちだけで生きねばならなくなる。


 自然に人の社会に紛れるなら、ここで生きていくしかないんだ。


「私はね。正直、政略結婚もあっていいと思っているわ。そこから幸せになった人もきっといるはずだもの。要は本人たちの結婚後の努力次第なのよ」


 政略結婚について嫌いなのはオレの意見だ。メルティは以前からそこまで政略結婚に反対ではなかった。


 確かにこの時代では一般的に必要なことなんだ。それは理解するが……。


「そういえば、エルは?」


「通信機で尾張にいないみんなと話しているわ」


「そっか」


「エルも随分悩んでいるわ。あの子は真面目だから」


 どうしても最後の決断が出来ずに言葉が詰まる。ふとエルの姿が見えなかったことに違和感を覚えたが、アンドロイドのみんなと話しているのか。


「メルティ。エルのこと頼む」


「もう、そういうのは自分でやるべきよ。……でもまあいいわ。それが私の役目でもあるんだし。任せて。ただし、ちゃんと司令の言葉でも伝えてあげて。あの子はそれをなによりも求めているんだからね」


 エルが悩んでいるという言葉に心が痛くなる。いつも助けられてばかりいるのに。


 メルティは呆れた様子をしながらも笑って引き受けてくれた。彼女も古参のアンドロイドなんだよ。エルのサポートを目的に創ったのが当初の目的だ。


 あとはオレがどう決断するかですべてが決まるのか。


 重いな。やっぱり。でも決断だけは自分でしないと、オレはエルたちの夫である資格すら失ってしまうだろう。


 なにも出来ないんだから、せめて決断だけはしなくては……。



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