第三百九十一話・お清と千代女

Side:滝川お清


「あら、器用ね?」


「はい! エル様に教わったものでございます!」


 季節はもうすぐ冬です。マフラーという首を温めるものを作っているとジュリア様が覗き込んで来られました。


 編み物というもののようで、わたしにはなかなか難しいものですが、エル様に教わりながらようやくひとりでも作れるようになりました。自身で少しずつ形にしていくのは楽しいです。


 冬の外出は寒さが堪えると言っている父に贈りたいと思っております。


「アタシは駄目なのよね。ちまちまと編むの」


「ジュリア様は武芸が凄いではございませんか。羨ましいです!」


 わたしからするとジュリア様のほうが凄いと思うのでございますが。わたしは武芸も医術も絵を描くことも、殿のお仕事を手伝うことも出来ません。


 ですから決めたのです。わたしは……、わたしは久遠家と殿にこの身のすべてを捧げようと……。




 わたしの名前はお清。滝川資清の娘です。今年で十五になります。


 生まれは近江国の甲賀です。城持ちとはいえ名ばかりで、粗末な屋敷に住み田畑を耕していた父の娘です。


 さすがに売られるほど貧しくもありませんでしたが、男衆が他国に働きに行ってやっと食べていける暮らしでした。


 近隣の民の子が人買いに連れていかれるのは、幾度も見ております。残っても飢えて死ぬだけ。たとえどんな境遇になろうとも飯が食えるだけ幸せだからと、親は泣く泣く我が子を手放します。


 近江にいた頃は私の歳ではそろそろ嫁ぎ先が決まる頃でした。近隣の武家でしょうか。一族でしょうか。詳しく聞いていなかったので知りません。


 あれは秋の収穫を控えた頃でした。突然、父が家族ばかりか親族、郎党の主立った者を集めました。


 何事だろう。皆がそう話して不安げな表情をしていたのが忘れられません。


 家を出た兄が尾張で仕官した。その報告でした。


 つまらぬいさかいで家を出ましたが、兄は働き者で面倒見もよく民にも好かれておりましたから、仕官出来たことに皆が喜んでいましたね。


 ただ、その後が驚きでした。皆で尾張に行こうと思うという父の意思が明かされました。兄の禄が思った以上に高いことが理由でございます。


 尾張には池田家に婿に入った叔父がおりましたが、すでに亡くなっております。すでに伝手もあまりない土地。親族や郎党は賛同しない者が多かったと思います。見たこともないところにいくのは、それだけ恐ろしいことなのです。


 先祖代々の土地を捨てて行くのですから尚更のことでしょう。


 ですが、殿が私たちの暮らしを面倒見るとの念書をわざわざ送ってくれたことと、このままではまた今年も他国に働きに行かねば飢えるというので父が決断しました。


 見たこともないような多くの支度金が送られてきたことも後押ししたと思います。すべてが良銭であった銭に、わたしは嬉しいというより怖かったところもありましたが。


 そのあとの行動は早かったです。父は収穫を前にした田畑をそのまま一族に譲ると、止める一族や近隣の者たちを振り切り、親族と郎党とその家族も連れた百数十人で尾張を目指しました。


 年配で役に立たないので残るという年寄りも父が説得して連れての出立です。


 途中野盗に襲われそうになったり、不審だと道中の土豪に捕らえられそうになったりと大変でしたが、わたしたちは尾張にたどり着きました。


 尾張で真っ先に驚いたのは、海の広さと津島という湊町にあった黒くて見たこともない大きさの南蛮船という船でした。


 海はどこまでも広く対岸が見えない。大きな船で移動するんだと父に聞いたことがありましたが、まさかあれほど大きいとは思わなかったです。


 父自身も驚いていましたし、あの南蛮船が今お仕えしている久遠家の船だと知った時には信じられないと皆で顔を見合わせたほどでした。




 あれからもう少しで二年になります。尾張に来て驚いたことは数知れず、甲賀でも無名だった父が今では近隣では知らぬ者がいないほど出世しました。


 甲賀で滝川家の元領地を継いだ者たちは最初こそ喜び、わたしたちを愚かだと笑っていたと聞き及びます。しかし、あれからも甲賀では田畑だけでは生きていけず、今では尾張に移住してくる者が後を絶ちません。


 元領地を継いだ者は今では恨み事を言っているとも聞かれます。父でいいなら自身がと多くの者が久遠家に厚遇されると思いこんで甲賀からも来ましたが、結局、厚遇されたのは領地も家督も弟殿に明け渡してきた望月家だけ。


 わたしにも尾張に来てからは縁談が信じられないほど舞い込んできたと、父が言っておりました。


 すぐにでもどこかに嫁に行けと言われると覚悟しておりましたが、いつまで経ってもそんな話はなく、わたしは望月家の千代女さんと一緒にいつの間にか殿の側室なのだと周囲から見られるようになりました。


 それとなく父や母からは添い遂げたい相手がいるかと聞かれたことはありますが、命じられるならどこへでも参りますが、添い遂げたい相手と言われると……。


 わたしはこのまま殿のお側に上がりたいです。飢えることがなく生きられるのも理由ですが、殿と奥方様たちは皆様仲がいいのです。


 常に笑顔が絶えず、わたしのことも本当に気にかけてくだされます。


 まるで胡蝶の夢のような気がするほど。


 父も母も兄も皆、飢えることなく明日を生きることが出来る。わたしもそんな殿と奥方様と共に生きられたらと、こんな日々がずっと続けばいいと思わずにはいられません。


 無論、そんな望みは決して言えませんが。




Side:望月千代女


 清洲から戻られた殿とエル様の様子が少しおかしいです。なにがあったのでございましょう?


 悩んでいる? いや困っているのでしょうか? もしかすれば今川になにか動きでも?


 そんな時、私とお清殿がエル様に呼ばれました。人払いをした時の様子から、ただならぬお話なのだと感じます。


「ふたりの今後について、はっきりさせる必要が出てきました。どうしたいのか、ふたりの意志を聞かせてください」


 今後をはっきりさせる。つまり現状維持は難しいということでしょうか。


 今の私とお清殿は殿の内々の側室というように見られるようにしております。少なくとも外向きには。


 あちこちから来る縁談を断るためには都合がいいのが理由でしょう。それがこのままでは駄目だと。織田の大殿からでもなにか言われたのでございましょうか?


「一切お任せ致します」


 先に返事をしたのはお清殿でした。あまり難しいことはわからないと言っていましたし、ほかに返事のしようがないのでしょう。


 ただ、その表情は感情を押し殺したものに見えます。


「勘違いしないで。わたしたちはふたりに命じる気はないの。自身で決めてほしいの。このまま殿の側室となるか、家中か他家のどこかに嫁ぐか。側室以外でしたら、相手は叶う限り選べるようにします」


 やはりエル様は命じることはしてくださらないのですね。主命だといえば逆らえませんし逆らいません。


 お清殿は困惑していますね。なにを言っていいか分からないようで、助けを求めるように私を見てきます。


「エル様。私たちは殿や御方様たちのお考えが知りたいと思います。誰の意見でもない、殿と御方様のお考えをお教えください」


 とはいえ私も返事をするには少し事態への知見が足りません。本来ならば臣下がお気持ちを察するべきなのでしょうが、残念ながら私如きでは計れぬのが殿と御方様たちなのです。


「そうですね。最初から話しましょう」


 エル様は私の言葉に、此度このようなことになった経緯を話してくださいました。やはり織田の大殿が案じておられましたか。


 先日お茶会に行った時、私たちが本当にただの侍女でしかないと知った土田御前様が、私たちが行き遅れにならないかと案じてくだされましたので。そんな気はしたのですが。


 久遠家のことを思えば、同じ家中か他家に嫁に行くべきでしょうか。すでに百二十を数える御方様がおられるのに、今更私たちが入っても殿のご負担にしかならないでしょう。


 ただ、一度でいい。ひとりの女として見てほしいという思いもあります。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る