第三百七十話・熱田祭り・その五

Side:織田信秀


「太原雪斎。思うたほどではないな」


 義元の知恵袋である太原雪斎。一馬たちを見ておるからか、いかほどの人物かと思うたが……。


「何故あのようなことを聞かれたのでございますか?」


「今川がこの先、なにを見て、なにを目指すのか、知りたかったのだ」


 雪斎が去って千秋紀伊守が先ほどの言葉の意味を問うてきたが、千秋ですらその意味をすぐには理解出来ぬのが今の世の中だ。


 雪斎が一馬らのように先を見ておるならば、覚悟が要るかと思うたのだが。


「シンディ、そなたたちに会うてわしは理解した。世の中というものは広く、そして変えることも出来るのだとな」


 雪斎がひとかどの人物なのは考えなくても分かる。現にあの男はわしの言葉の意味をおおよそ悟っておった。だが、答えることは出来なんだな。織田との戦のその先をまったく見ておらん以上は大きな脅威とは言えぬ。


「武士として僧として世の中を見ておるだけならば構わん。それならば今の世でも代わりはいくらでもおる」


 今川のため、あの男は尾張に来たのであろうが、古き権威から抜けだせぬのならば出来ることは多くないはずだ。


「何故、今川を攻めぬと思う?」


 皆が今川を攻める好機だと言う。美濃に大きな脅威がなく、伊勢も落ち着いておる現状では、誰もが次は今川だと口を揃えて言うほどだ。


 大義名分もある。わしは三河守の官位を得ておるし、斯波家は遠江奪還が悲願だ。


「織田は大きくなりましたからな。いささか急激に大きくなり過ぎたためでは?」


「そうだ。そこがあるのだ。遠江までならば獲れるであろう。だが織田が遠江まで獲ればいかがなる? さすがに公方が介入してこよう。足利家はおのれたちの脅威になる存在を嫌うからな。それに今川をいかにするかも難しい」


 さすがは千秋だな。ただの猪武者とは違う。


 懸念は遠江まで獲った後なのだ。尾張・美濃・三河・遠江と四か国を事実上領有すれば、必ずや公方や近隣の勢力の誰かが動くであろう。尾張は場所も畿内へ介入出来る位置にある。そこに四か国を領有する勢力が現れれば、誰もが脅威に思うだろう。


 北条とは同盟を結べようが、甲斐の武田は信濃を見ておればあまり信じられる相手ではない。それに越前の朝倉は斯波家による越前奪還を懸念して動くかもしれんし、六角もそこまで大きくなった織田にいかが動くか分からぬ。


 足利家とも縁続きである今川を追い詰めるとなると、足利一門の誰かが介入してくるかもしれん。


 駿河一国くらいならば残してもいい気もするが、関東との交易を考えれば邪魔だ。それに今川家は名門だ。さぞや恨みを抱くであろう。


 土岐家の末路を考えれば、なまじに残せば後顧の憂いになる。家の存続程度ならばいいが、遠江まで奪還してしまえば一国も残せぬ。


 とはいえ、今川家を滅ぼし畿内に目を付けられてしまうのは困るからな。現状でも美濃国内の勢力とは誼は持っておる。北の越前や東の信濃や西の近江。いずれかが美濃を攻めてきたらば、たとえ織田に臣従しておらずとも後詰めは送らねばならぬ。


 もし仮に六角と朝倉が組めば……、いささか困ったことになる。


「それにな。今川よりも日ノ本から戦をなくすための国造りが先決なのだ」


 雪斎が一馬たちのようにもっと先を見ておるのならば、今すぐ動いたのかもしれん。だが今川と現状を見ておる程度ならば捨て置いても構わんのだ。


「確かに、今日の熱田を見るとそう思いますな。尾張と美濃と三河からは、国人衆や寺社の僧ばかりか民ですらも来ております。長島の願証寺に至っては証恵上人自ら高僧を率いて来ておりますれば……」


 願証寺は確かにわしも驚いたな。立場もある証恵上人自らこちらに出向くとは思わなんだ。本気で織田の風下に立つことも厭わぬということか。


 世の中が尾張を中心に動きつつある。面白きよな。




Side:久遠一馬


 危機は脱した。ちょっと食べ過ぎたけど。


 午後も屋台でのお仕事だ。そういえば、雪斎がうちの屋台に来ていたらしい。


 セレスとエルは気付いていたらしいが、オレと信長さんたちは気付いていなかった。教えてくれればよかったのに。


 正直、記憶に残っていない。坊さんなんてたくさん来たんだ。見た目だけだと余所者かすら分からない。


 夕方になるとウチの屋台はおしまいだ。食材はたくさん用意したが見事に完売だった。


 夕方近くになっても賑わいは熱田だけではない。熱田は人で溢れていて、入れなかった人が、近隣の村などにて花火が打ち上がるのを今か今かと待ちわびている。


 オレと信長さんはウチの熱田の屋敷で花火見物だ。信秀さんは来賓と熱田神社にて見物するらしいけど、あっちは斯波義統さんを筆頭にお偉いさんがたくさんだ。


 オレと信長さんも本当はあっちに行かなきゃならないんだけどね。信秀さんが好きにしていいと言ってくれたんで、ウチの屋敷での花火見物になった。


「お袋様、花火まだー?」


「もう少し暗くなってからよ~」


 屋敷は今までにないほど賑やかだ。ウチの家臣や忍び衆の妻子と孤児院の子供たちに、牧場村の領民と工業村のみんなもウチで見物することになったんだ。もちろん農業試験村や太田さんの領地の人たちも誘ってある。


 夕食は屋台の料理とバーベキューだ。もう誰が誰だか分からないほど、みんなが食べ物を持ち寄って宴会になってるけど。


「藤吉郎殿。ジュリアとお酒飲んでいるあの人は、どなたか聞いている?」


 当然ながらほとんどは顔見知りだが、一部は誰かの紹介で来たのか知らない人がいるんだ。そんな中でも、会ったことがない商人風の男がジュリアとお酒を飲んでるのには違和感がある。


 ジュリアがお酒好きなのは今更で、気に入った人と飲むこともよくあるが、あまり商人と飲むのは多くない。どういうわけか、一緒に飲んでいる藤吉郎君が料理を取りに来たんで聞いてみた。


「あのお方は、伊勢の北畠家のご嫡男様です」


「北畠って……、本人なの?」


「お方様はそうだとおっしゃっておられます。同じ塚原様の弟子同士だと盛り上がったようでして……。最初はおいらが伊勢の商人だと思って案内していたのですが、途中でお方様とばったり会うと正体を見抜かれたのでございます」


 さすがは史実の英傑だ。ナチュラルに運がいいというかなんというか。


 歴史が変わってるのに、いつの間にかウチで働いてるし、貴重な人と出会うなんて運がいい。


 ということは、あの人は北畠きたばたけ具教とものりか。史実だと反織田のイメージがある人なんだけどな。普通にウチでお酒飲んでいるとは。


「お供の方は?」


「三人ほど……。少ないほうが目立たずにいいと、押し切られたようで。それと武芸の腕にも自信があるとのことで」


 凄いな。まあ、目立たないならそれがいいだろうけど。普段からそうやって出歩いているんだろうか?


「うーん。エル?」


「構いませんよ。ジュリアがなんとかします」


 北畠家は具教の親父さんがまだ現役で南伊勢を治めている。現状でも決して織田家に友好的とは言えないんだけどね。確かに周辺地域に突如として大国が現れたら警戒している感じだ。


 嫡男が来るなんて、地味に今後に影響しそうなんだけど。


 もうあの手の人はジュリアの担当でいいか。エルもそんな感じだ。一応信長さんには知らせるけど、信秀さんたちには事後報告で勘弁して貰おう。


「かじゅまー! はい、あげる!」


 ああ、他にもお市ちゃんとか信行君たちがウチに来ているんだよね。ここなら安全に見られるとの判断だろう。熱田神社は武士や来賓でいっぱいだし。


 ロボとブランカを連れたお市ちゃんと他の姉妹の皆さんが、オレとエルにお酒を持ってきてくれた。


 というか誰だ。お市ちゃんたちを働かせてるの!? って信長さんか。ならオレから言うことはないな。


「そろそろ花火が上がりますよ~」


 西の空も星が見え始めた頃、リリーが声を張って、花火をみんなに知らせる。


 庭にはキャンプファイヤー…、じゃなかった。かがり火が焚かれている中、みんなで空を見上げて今か今かと花火を待つ。


 一筋の光が空に駆け上がると、辺りは急に静まり返った。


 漆黒の夜空にオレンジ色の綺麗な花火が咲くと、どこからともなく歓声が聞こえる。


 みんないい顔をしてるね。


 たくさん楽しい思い出を作ってほしい。




◆◆

 天文十八年。熱田祭りでは前年の津島天王祭に続き、久遠家が花火を打ち上げた。


 津島天王祭での花火の反響は凄まじかったようで、熱田神社が是非にと嘆願した結果、織田信秀は津島と熱田で交互に花火を打ち上げることを決めたようである。


 当日は近隣の国からも多くの見物人が熱田と近隣に集まったようで、その賑わいに誰もが驚いたという逸話が残っている。


 そんな中にはお忍びで来ていた北畠具教がいて、今巴の方こと久遠ジュリアと偶然出会うと素性を見抜いたという話が『久遠家記』や幾つかの資料に記されている。


 公卿家の嫡男でありながら久遠ジュリアと意気投合したようで、久遠屋敷で花火を見物して、他の者と共に雑魚寝で夜を明かした。


 武芸に熱心で塚原卜伝に師事していた縁が交流のきっかけだったとされる。


 

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